お焚きあげ
野にも山にも木枯らしが吹く季節になりました。
さむいさむい冬がやってきたのです。
扇形をした黄色いイチョウの葉たちも
真っ赤な人の手のようなカエデの葉たちも
いつの間にか北風に運ばれてすっかり跡形もなく、今では名も知らぬ大小の落ち葉らが峠や谷にカサカサと寂しげな乾いた音を立てているのでした。
旅の僧も稲の精も寒いのはとっても苦手。
収穫がおわり、山々のもみじが全部散ってしまうと、稲の精はあまり姿を見せなくなりました。
熊や蛙たちのように冬眠をするのかも知れないなあ。
僧は思いました。そしてぶるっと身を震わせました。
このぶんだと雪になるかも知れない。
僧は歩を早めました。
やがて長い山路を下ったところに小さな村がありました。
でも村には人っ子一人いません。
おーい。誰かいないか。
もう何年も何人も訪れたことがない様子でした。
家々は荒れ果てところどころに家財が放り出されていました。
戦さでもあったのだろうか。
薄汚れた手毬がころころと転がって、僧の足元で止まりました。
僧はなんとなく哀れな気持ちになりました。
さらに行くと朽ち果てた社がありました。
本殿と拝殿だけのちっぽけなお社です。
お参りを済ませて僧がふと賽銭箱の中をのぞくと沢山のお札や御守りが落ちているのが見えました。
おや?
不思議に思った僧は賽銭箱の周りを確かめました。
すると賽銭箱の後ろに年老いた一羽の鴉がいました。
鴉は僧と目が合うとカァーと一声鳴きました。
ひゃあ~!
僧は驚いて尻餅をつきました。
賽銭箱の裏には大きな穴が開いていました。
賽銭泥棒の仕業です。
僧はもう一度鴉に近づきました。
そうか。おまえが誰もいない家から拾い集めてきたのだな。
カァー。
僧は良い事を思いつきました。
村から箒を借りて来ると、さっそく拝殿と本殿の掃除を始めました。
神様は綺麗好きなのです。
汚れたままにしておくと疫病神や貧乏神が居着いてしまいます。
井戸で水を汲み、雑巾を絞って其処此処に溜まった埃を拭き上げました。
そして最後に賽銭箱から中身をすべて取り除いて穴を塞ぎました。
カァー。
鴉は年を取り過ぎて首を動かすのもやっとでした。
待っていろ。
僧は鴉に優しく声を掛けました。
それから境内の落ち葉や木々をたくさん拾ってきて庭に寄せ集めるとかがり火を焚きました。
もう山の向こうに日が沈む頃です。
僧はずいぶん日が伸びたなと思いました。
それもそのはず暦の上ではとっくに冬至を過ぎていたのですから。
パチパチ!
パチパチ!
乾いた木切れは勢いよく燃え始めました。
おっと、急がなければ。
僧は賽銭箱の中に鴉が集めたお札や御守りをひとつずつ丁寧に火にくべていきました。
カァー。
おお、よしよし。
僧は鴉の体を手水舎で汲んできた水で洗ってやりました。
そして自分の懐に入れ寒くはないかいとねぎらいました。
鴉はもう目も見えないようでしたが、火の暖かさだけはわかるらしく
白く濁った眼で、僧がくべては燃え上がるお札や御守りを見つめているかのようでした。
おまえは偉いね。お札や御守りを集めてくるなんて。
何があったのか知らないけれど、この村も昔は活気に溢れていたのだろうね。
パチパチ!
パチパチ!
これはね、お焚き上げというんだよ。
火の神のお力を借りて魂を天に還すという意味と、思いのこもった物や魂が宿るとされる物に感謝の念を込めて清め天界に還すという意味があるんだよ。
カァー。
まあ本当は私の仕事ではないのだけど。そんな事はどうでも良いのさ。
人の思いに垣根は無いのだよ。
願いや祈りは貴いものだからね。大切にしなければならない。
僧は手毬をぽーんとかがり火の中に放り込みました。
カァー!カァー!!
あ、こら。待て。
それまでじっとしていた鴉が突然羽ばたいて
僧の懐から飛び出しました。
待て。こら。からす!
あ、危ない!!
僧が投げた手毬を追いかけるように
鴉は火の中に飛び込みました。
ああ…!!
ごおーっと炎が鳥居の高さまで上がりました。
僧が手をかざして指の隙間から炎を見揚げると
それは鳳凰の御姿になりました。
なんと…!
鳳凰は大きく一度羽ばたくと冬の夜空に向けてずんずん登っていきました。
真っ直ぐに。ずんずん。
僧は茫然としていました。
パチパチ…
パチパチ…
誰かが僧の脚絆の破れ目をくいくいと引っ張っていましたが、僧は気が付きません。
僧は我をなくしていたのでした。
くいくい…
しーちゃん…
しーちゃん。
ああ おまえか。
僧はその場に膝まづきました。
稲の精よ。
鴉が…鴉が逝ってしまったよ。
鴉が…。
僧は稲の精を抱きしめました。
しーちゃん…
会いたかったよ。
稲の精は僧の涙を小さな手のひらでぬぐいました。
ありがとう。稲の精よ。あれを見たかい。鳳凰だった…。
私はまた変な事をしてしまったらしい。
稲の精は丸い目をして微笑みました。
そうか。見ていたんだね。
もしかするとあれもおまえの友達なのかい?
そんなはずはないな。
僧はくすりと笑いました。
稲の精もくすりと笑いました。
稲の精は黒のウルトラダウンロングジャケットを着ていました。
なんだかちょっと子熊のようです。
ほう。珍しいものを着ているね。とてもあったかそうだ。
稲の精は自信たっぷりにうなずきました。
そうしてしばらく二人は寄り添って火にあたりました。
暖かいね。とても暖かい。
すると、どこか遠いところで鐘が鳴りました。
ごおーん…
ごおーん…
ごおーん…
それは除夜の鐘でした。
僧は稲の精に言いました。
明けましておめでとう。
稲の精のお腹がぐぅーと鳴りました。