賽の目も神次第~こっそりと仕掛けられた時限トラップ~④
ジュンに制止の声を上げるが止まらず、早足で通り抜けていく。
「女神様、何か方法がないか、考えといてくれ」
「は~い、悩める青少年たちに、助力は惜しまないよ~」
原因はあんただ。という突っ込みも忘れずに残して、俺はジュンの後を追う。
「待てよ、良いのか」
「……」
完全無視で、数歩前を進む。
これは何を言っても無駄だと思い、大人しくシュンコと並んで後に付いていく。
「なんとかならないの? あの子はあんたなんでしょ。自分ぐらいうまくコントロールしなさいよ」
「無茶言うな。無気力、惰性走行が俺の制御法だ。あいつと同じ立場になっても自分の内心はわからん」
「あんたって、同じ人間なのに、使えないわね」
「うっさいな。外見はお前と同じなんだから、お前も何か手があるだろ!」
次第に、会話がヒートアップしていく。
「無理よ! 結局の所、あの子とあたしは、他人同士よ!」
「なら俺もそうだ。俺から離れたんだから、思考パターンは予測できても他人を予測するのと何ら変わらんぞ」
互いに、はぁ~、と長い溜息。結局の所、俺たちには、あいつをどうこうする術を持っていないのだ。
「最後は、女神頼りか、時間頼りだな」
「時は万能薬って、本当なのかもしれないわね」
ジュンは、背中から喋りかけるなというオーラを発している。それを汲んで、俺たちは再び黙る。
家までの帰路は、短いが、その重い雰囲気に異様な長さを感じた。
ジュンが静かに家の中に消える。俺たちも家に入るが、ジュンは何も言わずに二階へと消えるのを見た。
「なあ、どうする?」
「どうするも、あの子を少しは一人にさせた方が方が良いでしょ。目下の問題は――」
――夕飯だ。
「夕飯は、なんとかしなきゃいけないでしょ」
「俺は、カップ麺でも良いが……」
つかつかと家の中に入り、冷蔵庫を調べ始めるシュンコ。いくつかの食材を確認して、頷く。
「そんな不健康な物よりちゃんとした料理作ってあげるわ」
「お前、料理できるのか? できるなら助かる」
「って言っても、簡単なもの。シチューとカレーのどっちが良い?」
「あー。カレーだな」
「意外ね。もう一人のあんたが食べやすいようにシチューだと思ったんだけど」
どういえば良いか、と頬を軽く掻きながら答える。
「胃に楽なのはシチューだが、やっぱりあいつの好みは、俺と同じだ」
直ぐに思い出したような納得の溜息。
「ジュン。今日の昼抜いただろ? それにあの調子だと夕飯も抜きかねない。食べるんだったら、がっつり食べられるカレーだと思ってな。それに明日の朝も食えるし」
どっちを作っても楽だけど、と言いながらシュンコは冷蔵庫から食材を取り出していく。
「俺は何をしたら良い?」
「あー、お風呂洗ってきて、戻ってくる頃には手伝うことがあるから」
「わかった」
一度、制服から普段着に着替えた俺は、今日初めて風呂場に足を踏み入れた。
話には聞いていたが、予想以上だった。
バリアフリーに防カビコーティング、大きな姿見がそこにある。
広々とした浴槽は、複数人が入っても余裕のスペース。
今朝言った、三人同時入浴をやってくださいと言わんばかりである。
「これも女神の計らいか? まぁ、気を付ければ良いことだ」
さっさと、風呂場を洗う。壁、床、浴槽と意外と自分は凝り性なのだということが思い知らされる。もう良いのではと思うほどに洗った。
俺が台所に戻ってきた時には、野菜と肉を全て鍋に投入され、水で煮込まれていた。
表面に浮いた灰汁を時折、お玉で掬いながら、シュンコは調味料とにらめっこしていた。
「何やってるんだ?」
「隠し味を何にするか、をね」
こいつも同じ凝り性なのだという点でなんとなく安心した。
「確か、お母さんのカレーってお肉によって隠し味が違うのよ。どれだったかな? 一般的なソース? ビターチョコや蜂蜜だっけ、それともコーヒー?」
真剣に悩んでいる横から顔を出して、俺も記憶から手繰り寄せる。
「使っている肉ってなんだ?」
「それは、鶏肉よ。味が蛋白になり易いからどれを入れるんだっけ……」
「確か、ケチャップだったな。味に深みが増すって聞いたことがある」
あっ! そうだ。とシュンコも思い出したようで、慣れた手付きで投入していく。
「ありがと。でも、なんであんた覚えているの」
「お前の方はどうなのかな? 昔、お袋がテレビの影響を受けてか、ケチャップはコクが増すってあったからヒジキの煮物とみそ汁に投入していた記憶があってな。その前後にカレーにケチャップもあったんだ」
「それは。私の方ではなかったかも。で、味は」
俺は遠い目で見る。
俺の様子を見るに、大体の予想はついているようだが、確認せずにはいられないようだ。
「普通においしい。けどヒジキやみそ汁の後味に、ケチャップが来たから案外不評だ。うん、総合で微妙だった」
女の自分と意外と会話が長く続いた事に驚きだ。
互いに、知っていることが多いためか気兼ねなく話をできるが、相違点や得手不得手が違うだけで、案外安心して頼れる。
「どうした? 私の顔に何か付いてる」
丁度カレーのルーを投入している時だった。視線を鍋に向けているシュンコに対して、俺は全く恥かしげもなく言葉が紡げた。
「こんな状況になって、お前が居てよかったと思う」
「な、何言ってるの! 私とあんたは、性別が違うだけよ」
「俺の視点から見るとお前も他人だ。だから、頼れる他人で安心した」
「――っ!」
耳がみるみる赤くなってく。鍋をかき回すお玉が加速を続ける。
「わ、わぁ、たし、誰かからそんなこと言われたの初めて。いつも、お節介で煩い奴って感じで」
「俺たちの状況に丁寧さとか気遣いいらないだろ。その点、お前でよかった」
「……」
シド目で睨んでくる。褒めたはずだ、うん。だから悪いことはない。
「それって、遠回しにあたしにロマンスを感じないってこと?」
「えっ? いやそんなつもりは」
「そうですよね~。理想の女の子は、気兼ねなく話せて、デート出来て、自分は浮気や嫉妬の心配なんていらない恋ですよね~」
「ジュンから聞いたのか? 今日の昼の事、あれはだな……」
「やれやれ、あんたもあの娘も同じなら相当無遠慮よね」
「すまん」
とにかく低身で謝るが、溜息一つで許してくれた。
「私の事よりもう一人のあんたとしっかり話さないとね。あの子溜めこむわよ」
「わかっている。見ている限り、大分苛立っている。でも物に当たる様な性格じゃないから話しか聞いてやることしかできないんだよな」
「私は、ご飯やお風呂の準備を終えたら向うから先に行ってて」
「わかった。だけど期待するなよ」
俺は、静かに階段を上り始めた。
ジュンの部屋の前で深呼吸。それからドアがノックする。
「入るぞ」
断りだけ入れて入る。許可なんて取ってない。どうせ、返事が無いと思ってたからだ。
「許可した覚えはない」
別に俺達同士なのだから硬い事言うな、と言って無理に入る。さあ、ここからが勝負だ。
こいつの目的は分かり切っている。俺を早々に追い出すつもりだ。
「何の用だよ」
「お前の様子見さ、今日一日で結構大変だっただろ」
「分かってて聞いているなら、お前は相当なサティストだぞ」
「……」
黙りこんで、ベッドの脇に座る。
俺は、よっこいせ、と爺臭い声をかけて座り込む。ジュンは俺に背を向けて寝ているが、構わずその背中に視線をぶつける。
さあ、沈黙に耐えきれなくなって起き上がれ、俺はいくらでも耐えてやる。
それから五分、十分と経過する。雰囲気から苛々が伝わるが俺は無視して背中を見つめる。
そしてついに、痺れを切らして声を掛けてきた。
「何の用だよ。出てけよ」
「飯はちゃんと食うよな」
「食欲ない、というか当分はいらない。明日から休むかもしれん。動きたくない」
「お前、即身仏にでもなるつもりか? 今日の昼飯だって食ってないだろ」
「煩い! お前はオレの苦しみなんて微塵もわかってない!」
鬱陶しく感じているのだろう。威圧的な態度をとり、怒鳴ってくるが、女になって迫力がない。むしろ子どもがわーわー騒いでいるような雰囲気だ。
「やっとこっちを見たな」
「――っ」
そのまま、再び寝ようとするが、すぐに立ち上がったジュンの肩を押さえつける。
「何するんだよ」
「話をするんだ」
「オレには話すことはない。オレは、部屋から出ないし、一人になりたい。オーケー」
「俺がお前のそんな行動を許すと思うか?」
じっと目を見つめる。目を逸らすのも癪なのか、全力で睨み返してくる。くそ、可愛いじゃねえか。
だが、煩悩を振り払い説得に入る。
「お前がどんどんマイナス思考になり易い状態に、俺が放置すると思うのか?」
「オレはお前だ。なら、お前だってオレの気持ちくらい察しろ。それとも何か? 今は女だからシュンコのように女を強要するのかよ」
「俺はそんなことしない」
聞こえるくらい強く歯ぎしりをしたジュン。おいおい、歯が痛むだろ。止めろよ。
「正直、ウザい。朝からアレしろコレしろとか言われるし! オレは男だ。はいそうですかって直ぐに順応できねえよ! オレがどんな思いで今女物のパンツを穿いたかわかるか! それに女の身体は歩き辛いし、貧血で気持ち悪いしで、否応なく違う体って実感させられて、それで元に戻りません! オレは、なんだよ!」
一度に捲し立てられる内容を、俺は、眉ひとつ動かさずにじっと聞く。
息を大量に吐き出したために、呼吸が浅く、何度も繰り返しているジュン。呼吸が整ったらまた、不満が一気に溢れ出してくる。
「まだある。まだあるぞ! なんだよ、女子の制服着たオレの対応は、なんであんな目で見られるんだよ! 男の時と対応が違うだろ! それになんだ。女の髪ってこんなに重いのかよ。ずっと後ろに引っ張られるような感じで疲れるし、裸見た男どもの視線はなんか知らねえけど、嫌な感じ! スカートの端はヒラヒラして捲れそうだしでもううんざりだ!」
「どんどん言え。聞いてやるから」
「煩い! トイレもそうだし、お前手を引く時早い! いつもと歩幅が違うから危ないんだよ。それに結構体力落ちているし、男のおまえの歩幅について行くの実は大変なんだぞ!」
不満を言い尽くしたのか、ベッドの上で膝立ちだったジュンは、緊張の糸が途切れて力が抜け、俺に体を預ける。
「大変だったな」
「そんな風に扱うな。まるで他人か人形のようだろ」
「まあ、元は同じでも今この瞬間に同じことを考えていると言うと答えは、ノーになる」
「だからオレたちは、本質は同じでも、他人だ、だから他人のようにも扱ってちまう。か」
台詞を奪ってやった、と弱弱しいが得意げな顔のジュン。そして、猫みたいに俺の胸板に頭を擦りつけてくる。なんか頭わさわさしたくなる。
「あー。なんか、凄ぇ安心する。でもさ。客観的に考えると、オレって男の胸にダイブインしているんだよな」
「……そうだな」
女の俺は身を離して、壁に手を着き。
「おえっ」
「おい、失礼だろ」
「だってよ。むさい男同士が抱き合っている姿想像しちまったんだぜ。お前ら、どこのガチホモだよ」
「失礼すぎるだろ! 俺自身に対して、ちょっと来い!」
もう一人の俺の手を掴んで引く。思いのほか軽く、振り回せた事に驚き、胸にまた激突する。そのまま引っ張って、鏡の前に立たせる。
「ほら、鏡を見ろ。外見上は、男女が抱き合っているだけだろ! 何も問題ない」
ぼーっと部屋に据え置かれている姿見で今の姿を見る。ヤバい、やった本人が恥ずかしい。それになんかジュンの表情がここにあらず。って感じだ。
「まっ、良いか。一日オレの体と離れていただけなのに、懐かしすぎる。オレってこんな体していたんだ」
ペタペタと触って確かめる。手と手を握り合って互いに確かめる。女の手って細くて白くて柔らかいな。ヤバい、考えて見たら初めて女と手を絡ませたかも。
「入るわよ」
部屋の扉がノックされる。入室の許可なく、ジュンが入ってきて固まる。
「あんたら、そっちの気があるの?」
「見ようぜ! 外見的なものを!」
「あー、安心しろ。オレ自身程度に恋愛感情を抱くほど自暴自棄になっていないから」
「お前、さりげなく酷いぞ! 自分自身を卑下しすぎだろ! あっ、俺自身か」
肩に手をおいてジュンを引き剥がす。なんか、小さく、あっ、と名残惜しいそうな声が、聞こえた気がしたが無視する。
「で、ジュン。お腹空いている?」
言われて気が付いた空腹感。腹の虫は素直で、今だと待ち構えていたのか鳴り出す。
「そりゃもう、腹減った」
ジュンは恥ずかしげもなく言う、まあ、俺達に気を使うなんて馬鹿らしいよな。
「全く、さっきまでの沈んだ表情が嘘みたいね。憑き物が落ちたようね」
「ああ、悩むのなんて面倒くせぇからな。止めだ止め」
「じゃあ、ご飯が炊かるまでに時間があるし、お風呂に入りましょう。あんた、今日緊張や何やらで汗かいたでしょ。洗ってあげるわ」
シュンコが満面の笑みを浮かべている。ああ、この場に居ない方が良いか。と俺はドアの方へと向かう。
ドアを閉める瞬間、ジュンの絶望的な表情を見た気がするのでは、苦笑一つで部屋から出て行く。
すまんな、不甲斐ない兄で。
「勘弁しろ。風呂くらい一人で入れる」
「反論は認めないわ。デリケートな体の洗い方を知らずに後悔するよりも盛大に恥を持ちなさい」
「止めろ、オレは落ち着きたいんだ!」
「十分よ! さあ、ボディの洗い方から洗顔フォームの正しい使い方。それから入浴後のスキンケアまで覚えてもらうからね!」
「助けろぉぉぉ」
部屋からの悲鳴を聞かないように、俺は、耳を閉じ、自分の部屋へと避難する。
ジュン……アーメン。




