同位体チェンジ~服装違いの中身違い~①
真っ暗な闇の中を俺は、浮かんでいた。
上にも、下にも、右にも、左にも、進む事なく、地に足が着かない浮遊感。
時折、頭の天辺が引っ張られるように、ぴりぴりとした痛みを感じる中、自分の身体が崩れていく。
……さらさら……さらさら
崩れた自分の粒子は、向かい側で自分の身体になる。代わりに、俺の粒子が抜け落ちた場所に、周囲の闇が、入り込み、置き換わる。
……ぬるぬる……ぬるぬる
俺が俺で無くなる。オレがオレに置き換わる。
向かい側の俺は相変わらずの俺なのに、今のオレは、丸く、柔らかく、脆い。
俺の見慣れた男のごつごつとした手を掴もうとして伸ばす腕は、ほっそりと、白く、すぐに折れてしまいそうで……
「俺は……オレは……男だ! 男なんだ! 男だったんだ!」
そう、男だった。過去の出来事だ。その事実に思い当たり、オレは、すっと涙を流す。
「オレは……なんなんだ?」
その呟きと共に、目を覚ます。仰向けで見る天井、自分の目元が濡れ、枕にまで染みを作っていることに気がつく。
「あははっ……何度目だよ」
目が覚めるたびに、乾いた笑みと絶望に襲われる。昨日だって目が覚めた時、憂鬱だった。昨日の内に吹っ切れたつもりだったが、今度は夢の中まで出てきやがる。
「ったく。オレは、男だ。俺は男だ」
自己暗示めいた言葉を何度もつぶやく
「ホントに、女々しい自分が恨めしい」
壁に掛かる女子制服を見て溜息を洩らす。
女性化二日目。
女として認識されている中での登校にこれほど憂鬱になるだろうか、いや、憂鬱なのはオレを見る視線だ。
「男子制服に……いや、女子制服の方が」
朝は仕切りにそれを悩んでいた。学校に行く時間には余裕がある。ただシュンコが来て身支度に追いやられれば、考える時間は無くなる。
俺は、パジャマ姿のまま、腕を組み唸る。そこに、ドアがノックされる。
「ジュン? 起きているの? 入るわよ」
「ああ、良いぞ」
昨日と大体同じ時間にシュンコが入ってきた。オレは、渋い表情のまま壁にかかる二つの制服を見ていた。
「何? 変な顔して」
「学校、行きたくねえな。女の制服着るのも嫌だし、視線に曝されるのも凄い嫌だ」
「学校には行かなきゃいけないでしょ? 女子として」
ぐさっ、目を背けていたけど、明文化されると余計に動揺する。
「なあ、どうにかならないか?」
「無理よ。諦めて制服に着替えなさい。ほら」
脱力気味なオレの手を引いて立たせ、男子制服を手に取る。あっ、無理やりに女子の制服には着替えさせられないんだな。
オレはしぶしぶと言った感じで着替え始めた。髪の毛も昨日と同じように括るが上手く出来ずに、シュンコに手伝って貰う。
オレの着替えが終わった所で、二人でリビングに降りてきた。
「おはよう。お母さん」
「おはよう、お袋」
俺たちより先に、お袋とシュンが飯を食べていた。
「おはよ。カレー食べたけど、シュンコが作ったの?」
「うん、昨日の内に作ったんだけど、食べた?」
「とっても美味しかったし、楽させていただいたわ。私は、これから一寝りするから。お休み」
「ああ、お休み」
オレは、お袋とすれ違うようにリビングに入る。男の俺は、食べ終わったのか、食器を片づけたついでに、オレ達のカレーも盛る。
「ありがと」
「おう、二人飲み物は?」
「オレは、インスタントコーヒー」
「私紅茶で」
それだけ聞いて、男の俺の動きは早い。ケトルのお湯をカップに注ぎ、ティーパックとインスタントコーヒーとをそれぞれ入れて、俺達の前に置く。
あー、楽だな。他人に用意して貰うのって。と堕落した考えが浮かんでしまう。
「それじゃあ、頂きます」
「頂きます」
男の俺も、新たに茶を淹れて、オレたちの会話に加わる。
うん、美味い。カレーは二日目だな。などと思ってしまう。
「ジュン、大丈夫か? 今日は学校行けるか?」
「……少し現実逃避していたのに、思い出すなよ」
オレは、自分の顔を両手で覆う。なんか、嫌なことでも起こらなきゃ良いが。
「大丈夫よ。多少のフォローは、私がしておいたから~」
突然の声に、オレたちは、皆一様にそちらを振り向く。
ソファーに足を組み座る大酒のみは、紛れもない迷惑な女神だ。
「誰が迷惑な女神ですって~」
「ちっ、人の思考を読むな」
言い出したのはオレだが、同じオレ達は、露骨に表情を歪める。
「ジュンちゃんの認識は男の恰好をしている女の子だけど、それだと色々と不具合があるんだよね~」
間延びした声で言う女神。不具合って言うか、矛盾多いだろ。
「今まで身体検査を受けてきたという事実が無かったり、男女別の授業を受けてこなかったり。っていう周囲との記憶の齟齬、新たな事実と過去の事実のねじれには、修正じゃなくて、情報規制を掛けておいたから。誰も疑問に思う前に、思うことが出来なくなっているわ。まあ、不都合が起こらない範囲での出来事だから」
「その前に、オレを男に戻せよ」
「じゃあ、そう言うことで」
言いたいことは多いが、言う前に霞のように消え去る。全く、と悪態を吐くが、結果は変わらない。
「……何なんだか、おい。ヤバい、遅刻するぞ!」
オレ達は、みなゆっくりと朝食をとっていて、女神の乱入で時間を忘れていたが、もうギリギリな時間だ。
「遅れる、遅れる!」
「急ぐと危ないわよ! 走らない!」
オレたちは、一様に慌てる。自室から鞄を持ち出し、慌てて家を出る。
三人とも、僅かに駆け足気味で通学路を走るが、男女での体力の差か男のオレは、じれったそうにしている。
「シュンは、はぁ、はぁ、先言っていいぞ」
「起こられるんなら、俺達三人一緒だ」
「……はぁ、はぁ、男の私は、何言っているのよ。もう時間が無いわよ!」
オレたちは最後のスパートで、校門に掛け込む。
「おい! お前らギリギリだぞ!」
「「「ごめんなさい!」」」
「いいから行け」
生活指導の先生が、そう言って送り出す。何歩か進んだ所で、あっ、と思い出したかのような声を上げる。
「おい、ジュン」
「……何ですか?」
オレは、緊張で唾を飲み込む。ここで何か、とんでもない事を言われそうな気がするが。
「お前、女子らしいな。全く気がつかなかったぞ。校則には、男女の制服の規定が緩いからって男子の奴を着るのはどうかと思うぞ」
「は、はぁ」
「じゃ、行け」
それだけ行って、オレ達の後から校門を通ろうとする生徒を呼びとめる。
「き、緊張した。もう嫌だ」
オレの泣き事に、シュンが頭を軽く撫でる。
「お疲れさん。でもこれから教室が待ってるぞ」
むぅっ、同じオレなのに子供扱いをするとは、女扱いよりは良いが、なんとも言えない気分になる。
「まぁ、何かあったら言いなさい」
「ありがと、シュンコ」
オレは、もう今朝の時点で心が折れそうだ。そして、俺達はホームルームに間に合うギリギリのタイミングで教室に入り込む。
オレ達を見つめる視線、視線、視線、視線。それにひそひそ話が聞こえる。
なんか、オレ、いじめにあるとかないよな。