15、十年前 Act1 複合
それは、潤がまだ三歳、年数でいえば十年前の話だ。その当時は、潤の父も母もいた。潤が誕生すると知ったとき、二人とも、子供が生まれるということに喜んでいた。その待ちわびた生誕の時は、父も母も潤の姿を見た。
その姿を見て、母、洋子は感激の声を上げた。自分の子孫となる者が自分の目の前にいる。それだけでも、かなり嬉しかったはずだ。洋子は退院した後も、朝起きてから夜眠りにつくまで、片時も目を離さずに育てるほどの親バカぶりだった。
ところが、その一方で、潤の父、正男は潤を見るやいなや、喜ぶどころか、全くの笑みを浮かべなかった。潤の姿を見た正男は、声も出さず、「よかったな」と、冷たく言い放って病室から出て行った。嬉しさや驚きのあまり、声が出ないのならまだ納得できる。だが、そんな感情を全く見せずに、声を潜めた。
そんな出来事があった三年後、三歳となった潤が眠りについたころ、洋子と正男は口論となった。洋子には、全く理解のできないことを数々ぶつけられた。
「だから、どういうこと!? もっと詳しく説明してよ!」
その言葉を聞いた正男は、ため息を漏らし、再び同じことを説明し始めた。
「だから、さっきから言ってるように、潤はこのまま野放しにしておけば、いずれは日本を、いや、世界をも脅かす恐怖の存在となる」
洋子からしてみれば、そんなのはほとんど理解ができない。第一、自分の体から生まれた普通の男の子が、世界を脅かす恐怖になるはずがない。それに、潤は体重も少ないほうだ。どちらかといえば、脅かされる立場の方がまだ納得できる。
「潤は、近いうちに俺の研究施設に連れて行く」
「やめて!」
洋子は否定した。なぜ、我が子をそこまで見放すことができるのか。研究施設? 冗談じゃない。自分の子供をそこまで見下すものに、我が子を渡すわけにはいかない。
「それだけは! 絶対に!」
洋子の瞳の奥が燃え上がる。絶対に渡したくないと言う保護欲。それだけが彼女の中に渦巻いた。自分の子供を研究施設に送り出すなんていやだ。ましてや、まだ四歳にもならない我が子を渡せない。
「やはりお前も同じのようだ」
「え?」
虚を突かれて、一瞬戸惑った。先ほどまで熱く語っていた彼は、一気に熱が冷めたように言い出した。
「お前も潤と同じように、世界を脅かすはずの存在だった」
またもわけの分からないことを持ち出してきた。潤も自分もそんなはずはない。自分がそうだとしても、潤だけは、潤だけは違う。
「お前たちには、そういう血筋が通っているのだな」
駄目・・・・・・お前たちは駄目・・・・・・『お前』・・・・・・だけにして・・・・・・。
洋子の中でカッと何かが弾けた。もう、このまま口論している暇はない。こんな人間に潤を渡すぐらいなら、いっそ殺してしまおう・・・・・・。世間の評価や犯罪に手を染めるという罪悪感をも凌駕する、怒りと、ある種の諦観。
洋子は台所から包丁を取り出す。それをなんの躊躇もなく正男へと突き刺そうとする。正男はそれを軽やかにかわし、握られていた包丁を、いとも簡単に抜きさり、投げ捨てた。そして、素早く洋子の正面に回りこむと、腹部にパンチをいれた。洋子はその場に、腹を押さえて倒れこむ。
「安心しろ、明日の朝までに元通りの状態にしておいてやる」
そういうと、もう一度腹部にパンチをいれた。洋子は、その一撃で、意識を失ってしまった。
正男はすばやく、尚且つ足音を立てずに階段を駆け上がると、潤を抱き上げた。そして、起こさないようにゆっくりと階段を下り、玄関へと向かう。靴を履き、再び抱き上げ、ドアを開け、外へと出た。車のドアを開け、そこに潤をゆっくりと置く。ドアを閉め、自分は運転席に向かう。いつもよりも大きく聞こえるエンジン音に苛立ちながらも、車を進め始めた。
長い眠りから覚めた。前には車を運転する父の姿がある。僕はゆっくりと体を起こした。それに気づいた父が優しげに言った。
「ああ、起こしてしまったか、潤」
その言葉には優しげな気持ちが伝わってくる。僕は何で父が車に僕を乗せて走っているんだろう? 寝起きで意識がはっきりしないのだ。僕は、そのことを父に尋ねた。
「パパ。これからどこに行くの?」
僕の中には不安しか渦巻いていない。とにかく何かにすがりつくように、父に行先を問いただしたのだ。その不安をかき消すように、父は言い出した。
「これから遊園地に行くんだよ」
そのとき、僕の中でさらなる不安が渦巻いた。そして、それと同時に疑問も浮かび上がる。考える前に口からその言葉は出た。
「夜に遊園地って、やってるの?」
その言葉の答えに数瞬かかった。
「ああ。やってるさ」
「でも、こないだ六時に閉まるから帰るんだよって、パパ言ったよ」
さきほどよりも、かなり遅れて答えが返ってくる。
「パパが遊園地の人に使うからってお願いしてある。だから、潤は安心してお休み」
「うん・・・・・・」
疑問が解消されたことにより、脳が安全を確認し、無意識のうちに張っていた気が緩み、眠気が襲ってきた。ごちゃごちゃ考える間もなく、再び僕は眠りについた。
十年前のこの話は、数回に分けて進めていきます。
現在の話の中に、ちょくちょくはいってくる感じなので、
よろしくお願いします。