表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タマは今日も少しだけ冒険するシリーズ

タマ、箱の中から見張る

掲載日:2026/05/22

 タマは、春子の家で暮らしている猫だった。


 タマには、いくつか大事な仕事がある。


 ごはんを食べること。

 昼寝をすること。

 春子を見張ること。


 そして、家の中に現れるあやしいものを調べ、家を守ること。


 春子はそれを知らない。

 春子はタマを見るたびに、


「タマちゃん、今日もかわいいねえ」

 などと言う。


 違う。

 ただかわいいだけではない。

 タマはこの家の警備をしているのである。


 ある日の昼過ぎ。

 春子の家に、大きな荷物が届いた。


 春子は箱を開け、中から新しいタオルを取り出した。


「あら、いい感じね」

 春子は満足そうだった。


 タマは、タオルにはあまり興味がなかった。


 問題は、そのあとである。

 春子が空になった箱を、床に置いた。

 タマのひげが、ぴくりと動いた。


 箱。


 それはただの紙の入れ物ではない。

 四方を囲まれた、すばらしい隠れ場所。


 敵から身を守り、春子を観察し、必要な時だけ飛び出せる完璧な場所。


 つまり、要塞である。


 タマはゆっくり近づいた。

 箱の中をのぞく。


 少し小さい。

 いや、かなり小さい。

 だが、問題ない。

 タマは猫である。


 猫はだいたい、入れると思った場所には入れる。


 入れない場合でも、入る気持ちだけは強い。


 タマは前足を入れた。

 次に頭を入れた。

 肩がつかえた。


「……にゃ」


 タマは少し考えた。

 入り方が悪かったのだ。

 もう一度、角度を変える。


 前足。

 頭。

 肩。

 お腹。

 しっぽ。


 ぎゅう。

 入った。

 ただし、かなりはみ出していた。


 箱の横が少しふくらみ、タマの背中も少し丸まり、しっぽだけが外へ出ている。


 春子がそれを見て笑った。


「タマちゃん、それ狭くない?」

「にゃ」

 狭くない。

 ぴったりである。


 むしろ、ぴったりすぎるほどぴったりである。


 タマは箱の中で丸くなろうとした。

 しかし、丸くなるほどの広さはなかった。

 仕方がないので、半分だけ丸くなった。


 タマは満足した。


 ここはいい。暗くて、狭くて、春子の足音もよく聞こえる。何より、自分が守られている気がする。


 タマは箱の中から、じっと部屋を見張った。


 春子は台所へ行った。

 タマは見送った。

 異常なし。


 春子が戻ってきた。

 異常なし。


 春子が洗濯物を畳み始めた。

 異常なし。


 春子がタマの箱を見てまた笑った。

 少し失礼だが、異常なし。


 その時だった。

 台所の方で、かさり、と小さな音がした。

 タマの耳が、ぴんと立った。


 何かいる。

 タマは箱の中から、台所のすみをじっと見つめた。


 白い床。

 棚の下。

 細いすき間。


 そこから、黒くて光るものが、すばやく動いた。


 タマの目が細くなった。

 敵である。

 しかも、前に見たことがある。


 黒くて、つやつやしていて、足が速い。

 春子が見たら叫ぶやつだ。

 タマは箱の中で、さらに身を低くした。


 ただし箱が狭いので、あまり低くならなかった。


 春子も音に気づいたらしい。


「ん? 何の音?」

 春子が台所の方へ歩いていく。


 タマは箱の中から見守った。

 春子は棚の下をのぞいた。

 その瞬間。

 黒くて光る虫が、ささっと床を走った。


「きゃあああっ!!」


 春子は大きな声を出して、台所から逃げ出した。


 タマは目を見開いた。

 やはり敵だった。

 春子は完全に負けている。


 ここは、自分が出るしかない。

 タマは箱から飛び出そうとした。

 しかし、箱が体に引っかかった。


「にゃっ」


 タマは箱ごと少し前へ進んだ。

 ずり。


 黒い虫がまた動く。

 ずり、ずり。


 タマは箱に入ったまま、敵の方へ近づいた。


 これはこれで安全である。

 要塞ごと前進する。

 なかなかいい作戦だった。


 だが、黒い虫は速かった。

 箱の要塞では追いつけない。

 タマは決断した。

 要塞を捨てる時が来た。


「にゃっ!」

 タマは思いきり体をひねった。


 箱が横に転がり、タマはその中から飛び出した。


 そして、黒い虫へ向かって走った。

 黒い虫は棚の下へ逃げようとした。

 タマは前足を伸ばした。


 ぱしっ。

 外れた。


 黒い虫は向きを変える。

 タマも向きを変える。

 すばしっこい。


 なかなかの相手だった。

 タマは低く構えた。

 しっぽが少し膨らむ。


 春子は廊下の向こうから、恐る恐るこちらを見ていた。


「タマちゃん、だめ、近づかないで!」

 だが、タマは聞かない。


 春子を守るのが、家の警備係の仕事である。


 黒い虫がまた走った。

 その瞬間、タマは飛びかかった。


「にゃっ!」


 今度は、前足が届いた。

 ぱしん。

 黒い虫は動かなくなった。


 タマはしばらく、その場でじっと見た。


 敵は沈黙している。

 勝った。


 タマは胸を張った。

 見事な出撃だった。


 要塞から飛び出し、春子を脅かす黒い敵を撃退した。


 これほど立派な仕事は、なかなかない。

 タマは黒い虫をくわえた。


 そして、廊下にいる春子のところへ歩いていった。


「にゃあ」


 見よ、春子。

 これがタマの手柄である。

 タマは自信満々だった。


 春子はタマの口元を見た。

 次の瞬間。


「いやああああっ! タマちゃん、だめええ!」


 春子はさらに逃げた。

 さっきより勢いよく逃げた。

 タマは立ち止まった。


 なぜだ。

 敵はもう倒した。

 春子を守った。


 それなのに、春子はまた逃げた。

 しかも、かなり本気で逃げた。

 タマは少し考えた。


 どうやら春子は、黒い虫が動いていても、動いていなくても苦手らしい。


 難しい人間である。


 タマはその場に、黒い虫の残骸をぽとりと落とした。


 もう見せる必要はない。

 春子には、少し刺激が強すぎたのだろう。

 タマはくるりと向きを変えた。


 そして、転がっていた箱のところへ戻った。


 箱は横向きになっていた。

 タマは前足で押した。

 少し動いた。


 もう一度押した。

 箱が元の向きに戻った。

 タマは中に入ろうとした。


 前足。

 頭。

 肩。

 お腹。


 しっぽ。

 ぎゅう。

 入った。

 やはり、少し狭い。


 だが、狭いからこそ落ち着く。

 タマは箱の中で丸くなった。


 春子はしばらくして、ティッシュペーパーとビニール袋を持って戻ってきた。

 顔は少し青かった。


 それでも、春子は黒い虫の残骸をそっと片づけた。


「もう……タマちゃん、びっくりしたじゃない」


「にゃ」


 びっくりしたのは、こちらも同じである。

 春子はタマを見る。


 タマは箱の中から、堂々と春子を見返した。


 今日はよく働いた。

 家に現れた黒い敵を見つけた。

 要塞から出撃した。


 敵を撃退した。

 春子に報告した。

 春子は逃げた。

 最後のところだけ、少し予定と違った。


 春子はため息をつきながら、床を拭き始めた。


「タマちゃん、虫をくわえちゃだめよ。お口に入れるのもだめ。危ないこともあるんだからね」


 タマには、春子の言葉の細かいところまでは分からない。


 けれど、春子が心配していることは分かった。


 怒っているというより、驚いて、困って、心配している。


 タマは箱の中で、少しだけ目を細めた。

 黒い虫は敵である。

 見つけたら撃退する。

 それは変わらない。


 ただ、春子に見せに行くと、春子がものすごく逃げる。


 それは今日、よく分かった。


 春子は掃除を終えると、タマの箱の前にしゃがんだ。


「タマちゃん、おうちを守ってくれたつもりだったのかな」


「にゃ」

 当然である。


 春子は困ったように笑い、タマの頭をそっと撫でた。


「ありがとう。でも、次は呼んでね」

 呼ぶ。


 なるほど。

 タマは考えた。


 次に黒い敵が現れたら、春子を呼ぶ。

 春子は叫ぶ。


 自分が出撃する。

 春子はまた逃げる。

 たぶん、そうなる。


 それでも、家を守るのは大事な仕事だ。

 その夜。

 春子は箱を片づけようとした。


「これはもう捨てようかな」

 タマはすばやく箱の上に乗った。


「にゃ」

 だめだ。


 それはただの箱ではない。

 今日、黒い敵を見つけた要塞である。


 春子を守るために出撃した、記念すべき場所である。


 春子はタマを見た。

 タマは箱の上で胸を張った。


 しばらく見つめ合ったあと、春子は苦笑した。


「じゃあ、もう少し置いておこうね」

 タマは満足した。


 春子も、少しずつ分かってきたらしい。


 その夜、タマは箱の中で眠った。

 やっぱり少し狭かった。

 でも、狭いからこそ安心する。


 春子は電気を消す前に、タマを見て小さく笑った。


「おやすみ、タマちゃん。今日もおうちを守ってくれてありがとう」


「にゃ」

 タマは小さく返事をした。


 この家の平和は、今日も守られた。


 黒くて光る敵は倒された。

 箱の要塞も残った。


 春子は何度も逃げた。

 だが、それもまた、春子らしい。


 タマは箱の中で目を閉じた。

 ただ、春子はまだ知らなかった。


 タマが明日から、台所のすみを見つめるた

びに、春子が少しだけびくっとするようになることを。


 この家には、見えない敵が多い。


 少なくとも、タマはそう思っているのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ