第四話:見えない万引き犯
「……店長、またなんです。また、消えたんです」 野菜担当の青年・伊藤が、お通夜のような顔で私の元へやってきた。 木曜、午後四時。夕食の献立を求めて主婦たちが押し寄せる、ゴールデンタイムの入り口だ。
私、店長・佐藤は、一八五センチの長身をバックヤードの入り口で折り曲げ、伊藤の報告に耳を傾ける。 「消えた? また、シャインマスカットか? それとも、最近高騰している長葱か」 「いえ……キャベツです。それも、一番立派な、三キロ近くある大玉が、棚から忽然と」
キャベツ。 それはスーパーの野菜コーナーにおける「重量級の主役」だ。手のひらに隠せるマスカットや、カバンに忍ばせやすい長葱とはわけが違う。あんな嵩張るものを、誰にも気づかれずに持ち出すのは、プロのマジシャンでも至難の業だ。
「ここ数日で、三玉目です。レジの通過記録はなし。ゴミ箱にも形跡なし。まさに、神隠しです」 伊藤の言葉には、確かな怯えが混じっていた。 「神隠し、か。……あるいは、重力を無視する新種の万引き犯か。面白い」
私は胃の奥に軽い熱を感じた。これはストレスではない。脚本家としての「謎解き」への興奮だ。 「よし、監視カメラのアーカイブを確認しよう。伊藤くん、君も来なさい」
私は一八五センチのストローのような脚を動かし、店長室兼、警備室へと向かった。 モニターには、我が店『エブリデイ』の隅々が、無機質に、かつ冷徹に映し出されている。 「ターゲットは、昨日の午後三時、野菜コーナーの三番棚だ。再生してくれ」
画面の中で、いつもの日常が早送りで流れる。 お客様がキャベツを手に取り、重さを確かめ、戻したり、カゴに入れたりする。 午後三時十五分。 一人の初老の男性が、キャベツの棚の前に立った。 彼はキャベツを一玉手に取ると、そのまま、なぜか足元へポイと落とした。
「あ! 落とした! 乱暴な客ですね」と伊藤が叫ぶ。 だが、そこからの映像が、私たちの理解を超えていた。
落とされたキャベツは、床を転がることなく、まるで「見えない誰か」に導かれるように、スルスルと自動ドアの方へ向かって移動し始めたのだ。 「……え、何あれ。ラジコン?」 伊藤が目を丸くする。
キャベツは、低い位置を維持したまま、滑るように床を走る。 そして、ちょうど店の自動ドアが開いた瞬間、まるで待っていたかのように外へと滑り出していった。 そこには、誰もいない。ただ、キャベツが独りでに、初夏の日差しの中へと脱走していく。
「見えない万引き犯……透明人間か?」 私は呟いた。 だが、よく見ると、キャベツの移動速度は、人間が歩くスピードよりはるかに遅く、一定のリズムを刻んでいる。 そして、その軌道には、微かな「音」が伴っているようにも見えた。
「伊藤くん、ズームだ。入り口の足元、マットのあたりを最大にしてくれ」
画像が粗くなり、ドットの粗い世界が広がる。 脱走するキャベツのすぐ下に、白くて、小さくて、激しく動く「何か」が映っていた。
「店長、あれ……犬……ですか?」 「いや、犬にしては小さすぎる。あれは、もっとこう、白くて、丸くて、自走するもの……」
私は自分の記憶のインデックスを、落語の演目を繰るように高速で検索した。 そして、一つの恐ろしい、いや、滑稽な結論に達した。
「……お掃除ロボットだ」
数日前、近所の家電量販店がオープン記念で配っていた、小型の家庭用お掃除ロボット。 なぜ、それが我が店の野菜コーナーを徘徊しているのか。 そしてなぜ、キャベツを「万引き」して回っているのか。
「伊藤くん、現場に急行だ。犯人はまだ、現場周辺に潜伏している可能性がある」 「えっ、犯人って、ロボットを追うんですか?」
「違う。ロボットにキャベツを運ばせている、真の『黒幕』を捕まえるんだ」
一八五センチの私は、まるで探偵映画の主人公のような(実際はひょろ長いもやしのような)足取りで、自動ドアへと駆け出した。 その先に待っていたのは、透明人間よりも、幽霊よりも、はるかに「スーパーの店長」を悩ませる、奇妙な真実だった。
自動ドアを飛び出した私の目に飛び込んできたのは、あまりにも牧歌的で、かつ理解を絶する光景だった。
スーパーの駐輪場の隅、陽だまりの中に、一台の白い円盤――家庭用お掃除ロボットが鎮座していた。その上には、まるで玉座にでも座っているかのように、立派なキャベツが一玉、鎮座している。 そしてそのロボットに向かって、一人の少年が一生懸命にスマートフォンを操作していた。
「……あ! また止まっちゃった。頑張れ、ルンちゃん! あと少しでゴールだよ!」
少年の声が、のどかな午後の空気に響く。 私は一八五センチの巨体を少年の背後に滑り込ませ、その長い影で彼をすっぽりと覆い隠した。
「……なるほど。キャベツの『デリバリー』、というわけかな?」
「うわっ!? びっくりした!」 少年が飛び上がって振り返る。 「君、これはなかなかの『演出』だが、残念ながらこのキャベツはまだ、我が『エブリデイ』の所有物なんだ。未精算のままの移動は、落語の世界でも『万引き』と呼ぶのだよ」
少年の話を聞けば、事の真相はこうだ。 理科の自由研究で「自動運転の可能性」を調べていた彼は、実家の掃除ロボットを外へ連れ出し、スマホから遠隔操作して荷物を運ばせる実験をしていた。 なぜキャベツだったのかといえば、「そこに、重くて丸い絶好の荷物が並んでいたから」。 客を装ってキャベツをロボットの上に乗せ、自分は店外からスマホで「お掃除開始」のボタンを押し、ルンちゃんと共に商品を脱走させていたというわけだ。
「……悪気はなかったんだ。ただ、運べるかどうか試したくて」 俯く少年に、私は一つ溜息を吐いた。 怒鳴りつけるのは簡単だ。だが、それではこの奇妙な事件は「ただの不快な記憶」で終わってしまう。脚本家・佐藤の魂が、それでは納得しない。
私は膝を折り、目線を少年と同じ高さまで落とした。一八五センチの私が膝を折ると、それはまるでクレーン車が折りたたまれるような大掛かりな動作になる。
「坊主。君の『ルンちゃん』は、実に優秀だ。この巨体のキャベツを、一度も落とさずにここまで運んだ。だがな、スーパーのキャベツには『魂』があるんだよ」 「たましい……?」 「そうだ。伊藤くんが朝露を払って並べ、農家の人が泥を落とし、そして私がこのリズム感のある棚に配置した。その魂の対価が、百五十八円という数字だ。それを払わずに連れ去るのは、誘拐と同じなんだよ」
私は少年のスマホを指差した。 「君が作った『自動運転プログラム』は素晴らしい。だが、一番大切な『決済システム』が組み込まれていなかったようだね」
私は少年にキャベツを抱えさせ、店内のレジへとエスコートした。 少年の貯金箱から出された百五十八円が、レジを通って「チャリーン」と心地よいリズムを刻む。
「これでよし。これでこのキャベツは、正真正銘、君の『ルンちゃん』の最初の正当な乗客になったわけだ」 「……店長さん、ありがとう。次はちゃんと許可をもらってからやるよ」
少年がロボットを小脇に抱え、キャベツを大事そうに持って去っていく。 その後ろ姿を見送りながら、私はバックヤードで伊藤と顔を見合わせた。
「店長、警察呼ばなくてよかったんですか?」 「いいんだよ。将来の天才エンジニアを、キャベツ一玉で前科者にするほど、私は野暮じゃない」 私は手元のメモ帳を取り出し、今日の出来事をリズミカルに書き留める。
タイトルは……そうだな。 『キャベツ、月面を走る』。 掃除ロボットを月面探査機に見立て、キャベツという名の未知の惑星を運ぶ孤独な旅。そんな新作落語が書けそうな気がしてきた。
胃の痛みは、いつの間にか消えていた。 代わりに、心地よい空腹感がやってくる。 「伊藤くん、今日のキャベツはいい出来だ。一玉、買っていくよ。今夜は回鍋肉だ」
一八五センチの店長・佐藤は、軽やかな足取りで売り場へと戻っていった。 次のトラブルが、またどこかで面白い「脚本」の種を蒔いていることを、心のどこかで期待しながら。




