第十四話:グランドフィナーレ・大掃除の夜
日曜、午後八時。 スーパー『エブリデイ』は、かつてない熱気に包まれていた。 「今夜は全館一斉清掃! 棚の裏から心の汚れまで、すべてを洗い流すぞ!」 私、店長・佐藤は、一八五センチの長身に青いバンダナを巻き、マイクを握りしめて宣言した。
これは単なる清掃ではない。私にとっては、二週間にわたって胃をキリキリと痛めてきた「物語の断片」を整理し、新しい幕を上げるための儀式だった。
「店長、気合入りすぎっすよ。掃除用具、揃えましたけど……なんか、変な人たちまで手伝いに来てません?」 田中の呆れた声が、ポリッシャーの起動音にかき消される。 振り返れば、そこにはこの二週間、私の胃壁を削り続けてきた猛者たちが勢揃いしていた。
「ちょっと店長! この洗剤、ポイントつくのかしら!?」 一ポイント夫人が、なぜか自宅から持参したマイ・デッキブラシを振り回している。 「奥様、今日はポイントではなく、心の徳が積まれます! さあ、その執念で床を磨いてください!」
「店長。清掃の効率化案を作成しました。各棚の埃の堆積率に基づき、最短ルートで磨き上げます。……なお、これはマニュアル外の業務として、後でアイスを要求します」 無表情の一条くんが、三台のロボット掃除機をまるで使役魔のように操りながら現れる。
「あぁ、いいわねぇ! 青春の汗と、塩素の匂い! 揚げ物の油汚れも、全部私が真っ白に揚げ直してやるわ!」 山崎さんが、フライヤーを磨きながら豪快に笑う。
店内は、カオスを煮詰めたような、最高に心地よい喧騒に包まれていた。 私は一八五センチの視界を巡らせ、バックヤードで迷子になった自分や、台風の日にコロッケに祈った自分を思い出した。すべては、この賑やかな夜のためにあったのではないか。
だが、物語には必ず「不測の事態」がつきものだ。 「……て、店長! 大変です! 冷凍食品のケースから、何かが出てきました!」 田中の悲鳴が店内に響き渡る。
見れば、冷凍ケースの奥、普段は誰も触れないはずの霜の陰から、一体の「謎の氷像」が発見されたのだ。それは、数年前のクリスマスキャンペーンで没になった、一八五センチの私を模した、巨大な『店長型チョコレート・スタチュー』の成れの果てだった。
「……あれは、私の『黒歴史』じゃないか」 私は戦慄した。かつて「完璧な店長」を目指し、自らの像を作ろうとして失敗し、闇に葬った過去の遺物。
「店長! これ、どうするんですか!? 溶け始めて、中からドロドロのチョコが出てきてますよ! 床が、床が茶色の海に!」
「……不味いな。これは、私の心の澱が具現化したものか」 私は一八五センチの巨体を震わせ、デッキブラシを構えた。 掃除は、今まさに「戦い」へと変貌したのだ。 溶け出したチョコレートは、まるで私のこれまでの胃痛の歴史を物語るように、店内の磨き上げたばかりのタイルを侵食していく。
「みんな、下がるんだ! これは私の責任だ! 私がこの過去と、決着をつける!」
「何を言ってるのよ、店長!」 山崎さんが叫んだ。 「あんたの汚れは、私たちの汚れでしょ! 私たちが、全部まとめてサクサクに解決してやるわよ!」
一ポイント夫人が、一条くんが、山下さんが、そしてあの「賞味期限の紳士」までもが、なぜかモップを手に立ち上がった。 「店長。……物語のフィナーレに、掃除の不手際があってはならない。時間は、我々の味方だ」
紳士が懐中時計を掲げる。 スーパー『エブリデイ』。 深夜の清掃パーティーは、ついに「過去の自分」を洗い流す、壮大な総力戦へと突入した。
店内のタイルを侵食していく、溶け出した「店長型チョコレート・スタチュー」の茶色の奔流。 それは、私がかつて抱いていた「理想の店長像」が、時間の経過とともに腐敗し、溶け出した恥部そのものだった。
「店長、ぼーっと突っ立ってないで! 長い足を滑らせて転ぶわよ!」 山崎さんの叫び声が、バケツを叩くような激しい音と共に響く。 彼女はエプロンをなびかせ、大量の熱湯を床にぶちまけた。 「油汚れとチョコなんて、温度でねじ伏せるのが一番よ! さあ、あんたたち、追い込みなさい!」
その号令とともに、信じられない光景が繰り広げられた。
一ポイント夫人が、マイ・デッキブラシをまるで薙刀のように振り回し、チョコの汚れをレジの方へと力強く掃き出していく。 「この汚れを落としたら、今月分のポイント、倍にしてちょうだいね! 期待してるわよ、佐藤店長!」 「奥様、お見事! あなたのその執念、今夜は汚れへの『一撃』となって輝いています!」
一条くんは、三台のロボット掃除機を三角形の陣形に配置し、最新の吸水ポリマーを散布していた。 「……分析完了。粘性チョコの流動を完全に停止。清掃効率、一五〇パーセントに上昇。……店長、このチョコの甘い匂い、意外と悪くありません。人間の『失敗』には、特有の芳香があるのですね」 無機質だった彼の口元に、微かな、本当に微かな「笑み」のような揺らぎが見えた。
さらに、あの「賞味期限の紳士」が、懐中時計を片手に優雅にモップを滑らせる。 「……時間の汚れは、時間で洗う。店長、君の過去は今、我々の手によって清算されている。明日からの君は、賞味期限の書き直された『新着商品』だ」
一八五センチの私は、その光景を滲む視界で見つめていた。 胃が痛い。だが、この痛みは、笑いすぎて腹筋が痙攣している時に似ていた。 私は、右手にモップを、左手に落語の台本を握りしめ、咆哮した。
「皆様! ありがとうございます! 私、佐藤、本日をもちまして、『完璧な店長』という重荷をゴミ袋に詰め、廃棄いたします!」
私は一八五センチの長い腕を大きく振り、最後の汚れを排水溝へと押し流した。 ジャバジャバという水の音。 塩素の匂いと、微かに残るチョコレートの甘い香り。 やがて、店のタイルは、開店初日のような、いや、それ以上のまばゆい輝きを取り戻した。
午前零時。 掃除を終えた面々が、店内の通路に腰を下ろし、一条くんが配ったアイスを頬張っている。 蛍光灯の光が、磨き上げられた床に反射し、一八五センチの私の影を何重にも映し出していた。
「……終わりましたね、店長」 田中が、おにぎりではなくアイスを咥えながら呟く。 「あぁ。終わったよ、田中くん。……そして、始まるんだ」
私は、店長室のデスクに置かれたあのノートを手に取った。 二週間にわたる、胃痛と笑いと、不条理な人々との対話。 それらすべてが、今の私を作っている。
私は一八五センチの体を真っ直ぐに伸ばし、深々と頭を下げた。 「皆様。本日は、誠にありがとうございました。……さて、お後がよろしいようで」




