第七話 狼獣人・アベルⅡ
三日後の朝にこの町の数少ない宿屋兼食堂へと二人の青年を迎えに行った。街で盛大な夫婦喧嘩が起きていない限り、泊っているのは彼らだけだし、朝食をあそこで食べるもの好きも居ないはずだ。
扉を開けた先の空間は静かなはずだと思っていたが、厨房の方からドンドンと何かを叩く音に合わせて聞き慣れない陽気な鼻歌が聞こえてきた。 厨房にいるのは、この宿の主人で偏屈なドワーフのバルカスさんのはずだ。
食堂の端のテーブルにあの二人の青年が揃っているから、間違いなく厨房に居るのはバルカスさんの筈だ。いつもは「食うなら座れ、食わないなら帰れ」と岩のような顔で客を睨んで、不愛想に淡々と料理をしている筈の偏屈ドワーフが鼻歌を歌っているだと?!
「アベルさーん!朝ごはん一緒にどうです?ここのご主人の料理すごく美味しいんですよ」
入口に立ち尽くす私に気付いたレオ君がニコニコと笑顔で手を振る横で、ダリオ君は手元のカップを睨みつけている。とても美味しいものを食べている顔には見えないのだが、しかしバルカスさんの機嫌よさげな雰囲気と空間に漂う香りからすると美味しい料理が出ている筈ではあるのか。
彼らのテーブルに同席させてもらって、ダリオ君の表情の意味を理解した。彼が睨んでいたカップの中には爽やかな香りに似合わない毒々しい紫色の液体が揺れていたのだ。あれは今から向かう森によくある木の実の果汁でとても甘い。見た目と香りと味が一致しなくて、なれない人には混乱する飲み物だろう。にこやかに同じものを飲んでいるレオ君がちょっと不思議なくらいだ。
「よう、アベル!お前、たまには良い仕事するじゃねぇか。最高の客を紹介してくれて感謝してるぜ!」
ドン!と目の前に置かれた皿には見慣れたパンが二つと見慣れない料理が二種類盛り付けられている。キノコと野菜らしき食材に赤いソースが掛けられているのと、薄い肉らしきものには黄色い粉が掛けられている。
「バルカスさん、これ何です?見たことない食材の様な気がするんですけど」
「旦那たちが持ってきた食材よ!見たこともねえキノコに、柔らかい干し肉。ちょっとばかし派手な香辛料も味は最高だ!」
バルカスさんはご機嫌に私の肩を叩くと、聞きなれない鼻歌を歌いながら厨房へと戻っていった。
「あー、えっと。決して取引した訳じゃないんです。僕らお金がないから材料を提供することで宿泊費に食費を含めてくれるってバルカスさんがおっしゃって下さったので、ご好意に甘えてはいますけれど……」
少しの後ろめたさもあるのか目を逸らしながら小声で言ってはいるが、嘘の匂いはしない。バルカスさんの方からの提案と言うのも本当なのだろう。一つ息を吐いてから私も出された料理に手を付けた。旨い。
野菜の苦みがキノコの旨味を引き立てる様に軽い酸味の赤いソースがまとめ役を担っている。薄い肉にかけられた黄色い粉はピリっとした辛味で、肉だけで食べても横のキノコと一緒に食べても良いアクセントになる。食べたことのない刺激的な味に驚いていると、厨房から果実水を持ってきたバルカスさんが私の隣に腰を下ろした。
「なぁアベル。いつになったら、この旦那達の取引許可ってのは下りるんだ?俺はこの旦那たちにこいつを託したい」
トンと机に置かれたのは、無駄な装飾などない実用的なナイフだ。これは売り物じゃないと、随分前にどこかの領主と揉めてたやつじゃないか?この三日で何があったのか?私も今日一日一緒に過ごせば分かるだろうか。
私たちは朝食を食べ終わると急ぎ森へと出発した。二人は宿に一部屋余分に借りて、荷物を全て下したそうで、荷馬車の荷台部分を空の状態で引いていく。私としては手で持ち帰れる分くらいのつもりだったが、少し大きめの物を狙うか、月隠し鳥を一羽仕留められればその羽毛でも許してくれるだろうか。
西の森は、国境の重苦しい森とは違い、木漏れ日が地面を明るく照らす穏やかな場所だ。子供たちが種族関係なく木の実を拾ったり、植物を摘んだりしている。幼い子供に植物を教える少年を見て、妹と二人で食べ物を探し回った遠い日を思い出した。
「ダリオ君、あの子が集めているあの木の実が今朝の果実水の実だよ」
「えっ?紫の果実水があんな緑の実から搾れるんですか?あっ、これがそうですか?」
「いや、それは似てるけど毒のある実だね。まぁ使い道もあるけれど、基本は毒だ」
二人に子供たちが採集している木の実や植物の事を教えつつ、空の様子を見ると今日も多くの月隠し鳥が北へと向かっている。弓で仕留めるには少し高いか。後ろから付いてくる二人は恐る恐るといった風に一歩ずつ慎重な足取りで、地面ばかり見ている。ふと自分も地面に視線を落とせば草の倒れ方がボアの通った跡そのものだ。しかもかなり大きそうで、これなら一頭でも十分な獲物といえよう。
「この先にボアが居そうだが、役割分担はどのようにする?」
「アベルさん、我々はあそこで『芋』を掘っていますから。ボアの方はよろしくお願いしますね」
振り向いて問いかけたが、返って来たのは予想外の返事だった。レオ君が指差した先には、なんてことのない雑草が生い茂っている。芋などある様に見えないが、二人は近くの枝を折り、穴を掘り始めてしまった。一体何の為に付いてきたのだか。
仕方ない、布の代金は自分で稼ぐしかないという事だな。私は槍を握りしめて、そうっと森の奥へと分け入っていく。いた!大きいが毛艶の様子からして若そうだ。あれは肉にも期待できるぞ。
隠れながら風下に回り込み、少しずつ近付いていく。一人で狩りをするならば、一撃で仕留めなければ危険だ。一蹴りで跳べる距離まで近付いてタイミングを計る。地面に鼻を近付けた瞬間飛び掛かった。
我ながら上手く仕留められたものだ。一撃だったから余分な傷もない。あとは解体だが、さすがにこれは大きすぎる。少しくらいの手伝いを頼んでも良いだろうか。
二人が居るところに戻ると、長い芋が五本ほど掘り起こされていた。そんなに掘ってそれは旨いのか?
「その芋はそんなに旨いのか?二人で食べる量としては多すぎるくらいじゃないかな?すまないが解体を手伝ってはくれないだろうか」
私が声をかけると二人は顔を見合わせて、ダリオ君が森の入口の方へと走り出して行った。
「アベルさん。この芋は食べる物ではないんですよ。これ、あの布の材料なんです。機織りの実演をするにはもう少し必要なんですよ」
レオ君から芋を布にする工程を聞いているとダリオ君が子供を五人ほど連れて戻って来た。子供たちをレオ君の下で芋掘り人員としてダリオ君が解体を手伝ってくれるらしい。
「アベルさん、すまなかった。三日前は僕の軽はずみな発言で随分と不快にさせたのでしょう?本当に申し訳ない」
森を歩いているとダリオ君が唐突に立ち止まって頭を下げた。ひとまず先に進むように促しながら話を聞くことにする。
「ん?どうしたんだ?」
「いや、僕にとっての『閑職』と他の人の意味が違うってレオに叱られて、バルガスさんからはアベルさんにとっての意味を聞いたんだ。知らなかったとは言え本当に失礼な事を言った。なのにアベルさんは僕らに不利益になる事をしなかった。それで反省も謝罪もしない様な人間ではいけないと思ったんだ。」
鳶色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。若さゆえの世間知らずや己の未熟さを恥じる誠実な視線だ。あの言葉に悪意を込めて言う者たちの目とは全く違う視線だ。純粋な謝罪の気持ちが伝わってくる。
「もういい。気にしないでくれ。それよりも、ほら大物だ。手伝ってくれるのだろう?こいつを腐らせるわけにはいかないからな」
「はい! 任せてください!」
ダリオ君のナイフさばきは、驚くほど正確だった。 『財をなさず、目立たず』が家訓の貴族と言っていたが、その手つきは「自分のことは自分でする」ための技術が染み付いているように見える。二人で手際よく皮を剥ぎ、肉を部位ごとに切り分けていくが、実にやりやすい。
剥いだ皮をダリオ君に預け、切り分けた肉を担いでレオ君と子供たちの所に戻ると、芋の小山が築かれていた。一人では運びきれなかったボア肉を皆で取りに行き、空だった荷車にあっという間に積み込まれる。
手伝ってくれた子供たちにもボア肉を少しずつ分けて持たせた。「重たい!」と口を尖らせながら笑う子供たちに囲まれて歩く森の道は、私が知っているどの景色よりも賑やかで、帰り道がとても短く感じた。
宿に戻れば、バルカスさんが大喜びでボア肉を抱えて厨房へと消えて行った。程なくして宿の窓から街中に良い香りが振りまかれた。匂いに釣られるように、一人、また一人と近所の住人が集まってくる。久しぶりの賑やかな食事はとても美味しかった。
狩りに行った二日後、私はなぜかレオ君ダリオ君と共に領主邸に呼び出され、離れの調理場に立たされている。両隣を楽しそうに袖をまくったレオ君と、鳶色の瞳を煌めかせるダリオ君に挟まれて、向かいには興味津々でこちらを見つめるダニーロ様が居る。
レオ君が内側に細かい溝が刻まれた器に芋をこすり付けると器の中にねばねばとした物が溜まっていく。覗き込んでいると私の前に器がスライドさせられ芋を渡された。やってみろという事か。
「いいですか、アベルさん、この『絹芋』は、擦る時の角度が肝心なんですよ」
「……こうか?」
「おぉ、筋が良い! 流石ですね。アベルさんの手は正確だ」
レオ君に促されるまま芋を擦り、言われた通りに加熱してみる。悔しいことに、私は手先が器用な方だった。私の手元で、泥臭い芋がみるみるうちに艶やかな白い繊維へと姿を変えていく。その様子を、ダニーロ様が感嘆の声を漏らしながら凝視していた。
「素晴らしい!これほどの特産品、早急に管理体制を整えねばならん。だがこの芋は簡単に育てたり収穫したりできる物なのだろうか?」
「これらの芋は先日アベルさんと一緒に街の西の森で採集してきたものです。アベルさんは森の植物に詳しいだけじゃなく、狩りの腕も素晴らしかったのです。芋掘りの安全確保もできる素晴らしい人材でしたよ!」
「ほう、そうか。芋の加工も上手く、芋の収穫場所にも詳しい……アベル、今日から君をこの『絹織事業』の最高責任者に任命する。給与もそれ相応に用意しよう」
しまった!レオ君の青い瞳を見れば、これ以上ないほどの「善意」と、少しの「いたずら心」が透けて見えた。
「よかったっすね、アベルさん! これで立派な『お役人』ですよ!」
隣からダリオ君がニコニコと私の背中を叩く。ダリオ君たちの善意は恐らくバルガスさんのお節介に押されている分もあるのだろう。過去の私が言ったことだ。孤児の立場では身分も収入も上げられないという嘆きは。
「アベル分かっているだろう?この町の伝承を。金の髪に青い瞳の賢者訪れる時、導きに抗うことなかれと。……この町の新しい特産の布を妹さんの婚礼に身に着けさせるのなら、君がその事業に関わらない状況では、妹さんに不利益がある事の予想は立つだろう?君が選んだ未来だったのだよ」
「……承知いたしました。……謹んで、お受けします」
絞り出すような私の返事に、ダニーロ様は穏やかに頷き、両隣の青年たちは力いっぱいに私の背中を叩いた。妹の婚礼衣装の布は、確かに手に入った。さらに孤児と言う身分では望むべくもないと思っていた生活の安定と街に必要とされるという重責までもが。いざ手にしてみると、ダリオ君の家訓も少しだけ分かる気がする。
数日後、町を出ていく彼らの荷馬車を見送った。ダリオ君は「アベルさん、仕事頑張ってくださいね!応援してます!」と、相変わらずの鳶色の瞳を輝かせて、本当に楽しそうに手を振っていた。
二人の荷馬車が見えなくなって、ふと空を見上げる。冬を運ぶ月隠し鳥の群れがまた一つ、北へと通り過ぎていくところだった。ほんの一週間前に見上げた時と同じ鳥の群れのはずなのに、今は全く違って見える。ダリオ君の瞳と同じ色の鳥は季節だけでなく私を取り巻く状況の変化も知らせているようだった。




