第一話 ダリオ・レゲナーダ
カチャリと開けた扉から一歩踏み込めば、そこは僕の楽園だ。立ち並ぶ書棚のうち三つは既に読み終わっている。それでもまだ十二は残っているけれど。よし、今月は八番の書棚に手を付けよう。あそこはやたらと分厚い本が並んでいるから楽しみだ。
背表紙に『シルビオ』と書かれた分厚い本を持って僕は窓際の書見台へと移動した。
《ドゥシャン四世三年目》という記載で、この本が今から百年以上前の物だと判明した。ドゥシャン四世と言えば、歴代皇帝で一番多く処刑を行った人物だったか。犯罪に厳しく治安を安定させたと言うのが大方の評価だが、融通が利かず厳格すぎて国が発展しなかったという評価もある、世間の評価が真っ二つに分かれる皇帝の時代だ。
これは当たりの本を引いたな。
我が家はウヴァーラ帝国の帝都に居を構える貴族である。と言えば良家に思われるかもしれないが、歴代、本家から縁戚まで宮廷の閑職を歴任する子爵家だ。実質大した家ではない。
現在の当主である父上は帝都水道局の第三下水道課の一応課長らしい。父上の部下は全員平民である。次期当主たる兄上は学業が優秀すぎて財務局税政課に配属されて、いかに閑職のポストに飛ばして貰うかに頭を悩ませている。
そして僕ダリオは兄上の轍を踏まぬよう、学業には精を出さずこうして家の書庫に籠もって過ごしている。学園に通っているが友人は居ない。妙なコネなんか作りたくないし。まぁ現状の僕は閑職どころか、就職先候補すらない本当のダメ学生だ、
僕が今読んでいる『シルビオ』という本はなかなかに興味深い。まず、インク。ページ毎に違う色のインクが使われている。あと、我が家にある本には珍しく一ページ毎の文字数がだいたい揃っている。随分と几帳面に整えられたものだ。だからこそ我が家の書庫に残されているのか。僕もいずれこの書庫に収められる物として考えたら見習うべきだろうか?
ちなみに、我が家の書庫に並んでいる本は全て一点もの。というか歴代の当主及び優秀な親戚の日記である。ここでいう優秀とは、目立たず閑職を全うしつつも、歴史の側面や裏側を細やかに記し残した事を指す。
記録ではなく日記なので、当然個人的な内容が殆どで、このシルビオ氏も、犬の糞を踏んでしまった悔しさとか、仕事帰りに急に雨が降った腹立たしさ等が綴られている。あっ、このインクの色は天気か。犬の糞を踏んだ日は曇りで黒色、仕事帰りに濡れ鼠になった日は雨で青色が使われている。学園の卒業式、結婚式、子どもの誕生日の全てが青色とは、かなりの雨男だったんだな。
『ドゥシャン四世七年目六月十日 人事異動の通達を受け取る。次の配属は警察局刑務部重犯罪課執行人係。皇帝が次々に刑を下すから執行人が人手不足なのだろう。しかし、あそこは閑職と言えるのだろうか……』
几帳面に赤色で綴られた文面に驚いた。六月に晴れた日があったとは、いやそうではない。これぞ歴史の側面と言えるだろう。あの皇帝の実績は歴史に綴られても、刑務執行人が人手不足だったなどとは歴史書には記載されまい。さて、シルビオ氏はどんな仕事をしたのだろうか。
『……遂に私も執行人として実務を行わなければいけない様だ。しかもそれが死刑の執行だなんて。どこで道を間違えたのだろう……』
『……ハボルは本当に極悪人だったのだろうか?実に表情豊かで優しげな眼差しをしていた。そしてあの騒動は、おそらく私に気を遣ってくれたのだと思う……せめて彼の一番の宝が見つからない事だけを祈っておこう』
どっちも今となっては死人だ。だから確認のしようはない。けれど、歴史の新たな側面が書かれている事には違いない。日付的にも間違いなくこの処刑は大盗賊ハボルの話だ。百年以上経った今でも都市伝説として語り継がれ、財宝探しをしている人が結構いる。そもそも、誰もその財宝の中身を知らない。財宝が何なのかを研究している人もいるんだったか。
いくつもの商船を沈め、多くの財宝を奪ったと言われる大盗賊ハボル。山に、海に神出鬼没で、美術品や骨董品を好んでいたとも聞く。しかし、彼の処刑後になぜか多くの盗品を持って彼の仲間が出頭していて、殆どの盗品は発見されている。財宝などどこにもある訳が無い。
ハボルの財宝等という眉唾話を頭の隅にページを捲れば、死刑だけではなく様々な刑を執行している日々の記録が続いた。鞭打ちなどの刑を執行した日の文字は震えていたが、服役刑の監督をしていた日は整った字が並んでいた。きっとシルビオ氏は気弱な人物だったのだろう。
『……今日の罪人もハボルの仲間だった。しかも死刑など執行せずとも間もなく神の御本に召されそうな女性だ。そして彼女は私に「ちゃんとできるようになったのかい?」なんて小声で問いかけた。死刑執行人の顔は見えない筈なのに、あの日の事を知っている口ぶりだ。だが決して嫌味な感じではなく、むしろ労りすらも感じる囁きだった。決まりで会話は出来ないが、心のなかで「痛みが少ない様に努めます」と返したら彼女は笑った。彼女は心を覗く術でも持っていたのだろうか……』
ふうん?ハボルの仲間は不思議な力を持っていたと言うのは都市伝説ではなく事実だったかもしれないのか。そう言えばあの有名な台詞に対して、仲間が次々に盗品を持って出頭していた等と言うのもおかしな話ではあるか。百年以上経って見つからない財宝はその不思議な力で隠されている可能性もあるのか。興味深い。それにこの日記の通りなら盗賊団自体が興味深い存在だ。一度歴史の表側からも確認するのが良いだろう。
コンコンコンコン
「ダリオ坊ちゃま居られますか?夕食の時間ですよ」
おっと、もうそんな時間だったか。そう言えば薄暗くなって文字が見えにくくなったな。パタリと閉じて元の書棚に仕舞うと、僕は書庫の扉を開けた。
「ありがとう、ヨゾ。今日のは面白くて夢中になってたから、呼んでくれて助かったよ」
「そんなに、面白かったんですか?ですが、ご当主様をお待たせしてはいけません」
「そうだね……でも話の種にはなるから、食事をしながら話して、待たせた事は忘れてもらおう」
「ご当主様、そういう所は厳しいんで許して貰えるとは思いませんけど」
さて、父上達はこのシルビオ氏の日記は読んでいるだろうか。あの生真面目な父上は、例え読んでいたとしても、ハボル盗賊団に興味を持ったりなどしていないだろうけど。
食堂に行くと僕以外の家族が揃っていた。父上の表情は変わりないが、妹の膨らんだ頬を見ればかなり待たせてしまった事は明らかなので、素直に謝って席についた。テーブルの上にはスープとサラダそれから焼いた肉が置かれている。スープを一口掬って口に運べば、今日の夕食当番が解る。おっ?今日はカロリーナだったか。具は少ないけど美味しくて満腹感を得られるから、僕はカロリーナのスープが好きだ。
「ダリオ、今日も書庫に籠もっていたのかい?我が家の書庫は大して面白くもないだろう?」
「いいえ、兄上。とても面白いですよ。僕は兄上の様に真面目な人間ではないので、学園や中央の図書館の本の方がつまらなく感じるのですよ」
品よくサラダを口に運ぶ兄上は滅多にあの書庫には入らない。仕事が忙しいというのも勿論有るのだろうけど、兄上は学術書特に商売を論じる様な内容の書物が好みだ。時々、うちの書庫の本にもそういう内容を見かけるけれど、一冊全てがその内容という物はない。
「今日は一段と熱中していた様だが、何を読んでいたのだい?」
「八番書棚の『シルビオ』を読んでいました。歴史の側面というか、裏側といか、興味深く、感じ入る物がありました」
「八番書棚か。あそこはヨゾのご先祖様の棚だ。そんなに興味深かったのなら、ヨゾに話を聞いてみると良い」
兄上との会話を聞いていた父上が肉を切り分けながら、チラリと壁際に視線を向ける。父上の視線の先ではヨゾが目を丸めていた。
ヨゾは今では平民だが、元は男爵家の子息だった。先代、ほんの十数年前の話だ。特に悪いことをした訳でも、政敵に陥れられたわけでもない。たまたまそういう時代に当たった。
うちの国は時々極端な政策を振るう皇帝が現れる。前の皇帝は功績のない家は降爵するという法律を作って大勢の貴族を平民に落とした。その時に平民になったのが、ヨゾのクラーイ家だ。
「ヨゾ、シルビオというのはどういう人物なんだい?」
「シルビオは、繊細というか、少々変わり者。まさかご本家に本を納めているとは思いませんでした」
「繊細で変わり者?どういう評価なんだ?」
食後、興味を持ったらしい兄上と父上とヨゾを連れて書庫へ行き、シルビオの本を開いた。ページ毎に変わるインクの色を兄上が不思議がったが、僕が予測を伝えると、呆れながら感心していた。
「ほう?大盗賊ハボルの処刑執行人か。それは確かに歴史の側面だな」
「ダリオ坊っちゃんはどこまで、読まれたのです?」
珍しく楽しげな父上と、物憂げなヨゾの表情が対照的だ。
「僕が読んだのはここまで。この老婆の処刑のところまで」
「ん?これはハボルの仲間の魔女の事かな?魔道具の作成に長け、ハボルの潜入潜伏を助ける道具を作りながら、日常は八百屋をしていたという」
「では、このシルビオが記している心を覗く術ってのはその魔道具の物であった可能性の方が高いのですか?」
「どうだろう?魔女と言われていたからには魔法も多彩だったと思うんだけど」
僕が夕食前に読んでいたページを開くと、兄上までもが楽しげに読み始めた。そう言えば、幼い頃兄上と大盗賊ハボルのお宝探しと称して出かけ遭難しかけた事があった。あれはどこの山だったか。
「ダリオ坊っちゃんも、シルビオの様に財宝探しに行かれたいのですか?」
兄上と盛り上がりかけた所で、ヨゾがページを捲りながらそんな事を言いだした。
『ハボルの宝の正体が判った。少なくとも皇帝が変わるまでは隠し通さなければいけない。いやもしかしたら永遠に隠さなければいけない物なのかもしれない』
ヨゾが開いたページの内容に皆絶句した。シルビオはこれを生涯隠し通したのか?いや、ヨゾの一族は皆これを隠しながら生きているのか?
「坊っちゃん、もしもハボルの財宝探しに行くのでしたら、我が家に残るシルビオの本を差し上げます。旦那様も宜しいですか?」
「もしも、見つけてもダリオの功績としない様に振る舞えるのなら構わない。うちは万年閑職のしがない子爵家だからな。……それと、この八番書棚の一番下のその空いている所をダリオの場所にする」
「分かりました!僕もシルビオの様に面白い本を納められるよう努めます。それと、僕の功績としない協力者を探すため、どこか遠方に転校または留学させて頂けないでしょうか?」
まさか堂々とトレジャーハンターになれるとは思わなかった。僕は財宝も名誉も必要ない。ただ歴史の真実が知りたいだけだ。だけど真実を探しに行く体力も技術もない。まずは利害が一致してできれば気が合う協力者を探す事から始めないと。
「ダリオ坊っちゃん、留学するのでしたら海の向こうのメードビエド王国はいかがですか?我が家に残っているシルビオの記録の最期はメードビエドへ向かっているのです」
その半年後、僕はメードビエド王国王都ステリアのステリア第三学園図書室でハボルの財宝に出会った。




