第十二話 帝都の宿屋女将・カロリーナ
本日、ほんの少しだけ長めです
「いらっしゃい……ってダリオ坊っちゃん!戻ってらしたんですか?」
カラコロリンとドアベルの音に振り向きますと、精悍な顔つきの青年と、この辺りではあまり見かけない金髪の青年が立っていました。精悍な顔つきの青年は2年前に街を出て行った、息子同然のダリオ坊っちゃんです。我が家の縁戚に当たる子爵家の、やる気のない次男坊。書庫に籠って友達も作らなかったダリオ坊っちゃんが、異国のご友人を連れてのご帰還です。
「カロリーナのスープが恋しくなってね。はいお土産」
アタシの驚きに構う様子もなく、サッと手に握らされたのは不思議な色合いの金属です。朝焼け色の冷たい塊は髪留めでした。薄い緋色の金属板を重ね合わせて花の形を模した可愛らしい髪留め。アタシが付けるには少し若々しすぎるでしょう。
「あらまぁ、こんなオバサンにこんな可愛らしい髪留めなんて」
「それ、ミリャーナの作品。所で、スープある?二人分お願い。あと部屋も空いてたら二人で一週間泊まりたいんだけど」
今度はミリャーナの作品に驚く暇もなく、ダリオ坊っちゃんがおかしなことを言い出しました。街では高級な方の宿で快適に過ごせる様にはしていますが、すぐそこにはご実家のお屋敷もありますのに。夫が歩いてお勤めに行けるほど近い場所に。何を好き好んで外泊されるのでしょうか。
「一週間も滞在するならご実家に帰れば宜しいのに」
「あの家に友達を連れて行けると思う?万年閑職の子爵家だよ?それに今回は家よりもヨゾに用事があるんだ」
「あらまぁ。今日はヨゾはお勤め日ですよ。明日の昼過ぎには帰って来ると思いますけどね。知らせずに待つんですか?」
夫の不在を知った坊っちゃんは悪い笑顔を浮かべられました。懐かしい、ミリャーナと家中に悪戯を仕掛けていた頃の様なお顔です。明日の夫の腰が無事な事を祈ります。夫は俗な言い方をすればビビリなのです。案の定、帰ってきてダリオ坊っちゃんの姿を見た夫は驚きすぎて尻もちをつきました。可哀想に。まぁ三十秒で立ち上がれた分マシな方でしょう。
夕食を終えると夫はお客様を書庫に連れ込みました。ダリオ坊っちゃんが書庫好きだからって、まったく。随分夜が更けても、ピクリともしない書庫の扉にため息を吐いて、厨房に立ちました。どちらかと言えば暑い夜ですもの、夜食はサッパリしたものが良いでしょうね。
ウリを刻んで、香味野菜を刻んで仕上げはお玉でひと混ぜ。特製の冷製スープを持って行くと、坊っちゃんがとても喜んでくれました。
「そう言えば、『ハボルの財宝を見つけてくる』なんて言って出て行きましたけど、それが宝の地図ってやつですか?」
ふと目に入った歪な形の紙が目に入って尋ねると、坊っちゃんのお友達レオくんが、人懐っこい笑みを浮かべて地図を渡してくれました。
「これ、僕の家に代々伝わる宝の地図なんだ。この千切られた所に宝が隠されてるんじゃないかと思うんだけど、地図にない場所に行くのはなかなか難しいくてね」
手元にやってきた地図は、よく見なければ地図と分からないほど簡易な物です。新しいインクは二人が旅をしてきた場所かしら?だとするとこの後は南に向かうのかしら?すいっと滑らせた指が止まります。
「あら?この地図……アタシの実家の辺りがまるっと無いじゃない」
「カロリーナの実家?!」
ダリオ坊っちゃんが大きな声を上げるのを初めて聞きました。坊っちゃんは通りの良い声質で、小声で喋っても周りにみんな聞こえてしまうのですけれど、だからこそ小声で喋る癖がついていたのがダリオ坊っちゃんです。
ダリオ坊っちゃんがアタシを見つめているのは、スープのおかわり……いえ地図の事ですわね。テーブルの真ん中に地図を広げ直して、歪な紙の外側、続きがあればアタシの実家の村が描かれているであろう辺りを指差します。
「坊っちゃんに話した事は無かったです?アタシは港湾の村の出身なんですよ。この辺りの水辺はいつ見ても同じ様な顔をしてますけど、うちの方だと季節や時間で全然違う景色になるんですよ。この地図だとはみ出ちゃうんですけどね」
坊っちゃんに答えたら何故かヨゾが身を乗り出してきました。ヨゾはうちに来たことも有ったでしょうに。
「カロリーナ、何か子供の頃に聞いた、土地特有の話は無いか?」
「んー、金の髪に青い目の男の子が『エマの所に帰りたい』と言ったら村の船を動かせ、って言い伝えがあるけどあの船動くとは思えないのよね」
そう言えばダリオ坊っちゃんのお友達、金の髪に青い目ですわね。この子があの舟を動かすのかしら?舟を漕ぐ様な力持ちにはみえないけれど。
夢見がちな若者に付き合った夜更かしは、平穏に過ごしてきた宿屋の女将にはちょっと堪えました。やたらとよく晴れた空の眩しさに目を細めながら、温まり始めた石造りの階段を踏みしめて出かけます。
ヨゾのおじい様までは端くれとはいえ貴族だった我が家は、潮の西側の高台にある大きなお屋敷です。先々代皇帝の気まぐれで身分は没収されても家財はそのままだったので、ヨゾのお父様がお屋敷を改築して高級宿屋を始めました。爪を隠した鷹家系のクラーイ家はこの商売を成功させたのです。ご近所のお家はどこも当時とは別の人々が住んでいます。
うちは高級宿ですから、泊まりに来るのはお城に用事のある地方貴族や他国からのお客様で、毎日お客様が来るわけではありません。品位を保つ料金で少ない営業日でも採算は取れるのです。営業日を減らしているから、今でもご本家にお勤めに行く事も叶うのです。
商合かう石造りの階段を下りて馴染みの八百屋に入った所で、顔なじみの奥様方に囲まれました。
「カロリーナ、あんた大丈夫かい?今日はヨゾが家にいる日なのかい?」
「えっ?急に何?ヨゾは今日はダリオ坊っちゃんと出かけて行ったけど」
「アンタの所に泊まってるんだろ?不吉な金髪男が。あいつもヨゾと一緒かい?」
「金髪男?レオ君の事かい?彼は部屋に居たと思うけど、不吉ってどういう意味よ?」
「アンタいくら田舎の出でも知ってるだろう?。金髪の大盗賊の伝説さ。この辺じゃ見かけない金髪男を見かけたら大盗賊の末裔が復讐に来たと思えって言い伝え。誰も居ない家に金髪男置いてたら、家財一式無くなっちまうよ?」
「アタシの地元にはそんな言い伝えはないよ。一体なんで大盗賊が復讐なんかするのさ?」
「そりゃ殺されたからに決まってんじゃない!特にアンタの家は家系的にもねぇ」
全てがバカバカしい噂は、肉屋でもパン屋でも聞かされました。そんな大昔のおとぎ話みたいな事で不吉呼ばわりされるなんて。あんな優し気な子なのに、本当に口惜しいこと。
「カロリーナ!待ってー!」
家に帰ろうと階指を登りはじめた所で、聞き慣れた声がらしくない大声でアタシを呼びました。全く、昨日からこのご兄弟は騒がしいこと。まさかご本家の賢い次期当主様までバカバカしい噂を信じた訳じゃないでしょうね。
振り向くとカッシム様が脚を縺れさせながら走ってきます。一体どこから走って来たのでしょうか。それとも度を越した運動不足でしょうか。以前はソックリなご兄弟でしたが、逞しくなられたダリオ様の雰囲気がすっかり変わった事にヘロヘロのカッシム様を見て気付きました。
「どうされたんです、カッシム様?」
アタシが振り向くと歩調を緩めてカッシム様は目の前までやってきました。両膝に手を置いて、地面を見ながら肩で息をしています。
「カロリーナの家に、ダリオが、泊っているって、本当?しかも、大盗賊の、末裔を連れて」
「まぁ?!カッシム様まであのような根も葉もない噂を信じたのですか?」
息を切らせながら、途切れ途切れにもバカバカしい事を言うカッシム様に、大袈裟に驚いて見せました。バッと音がしそうな勢いで顔を上げたカッシム様が眉をつり上げて、一歩アタシに詰め寄ってきます。
「根も葉もあるから聞いてるんだよ!レナートの馬屋が今日店を閉めてるのは知ってる?昨日ダリオが荷馬車を預けて店を閉めさせたらしいんだ!見てた人の話じゃ変な匂いのする荷馬車で山積みの荷が積まれていたって。っていうかなんでダリオは家に帰ってこないんだよ。いつの間にお兄ちゃん離れしちゃったんだよー」
さっきまでの息切れが演技かの様に一息に言われた勢いには驚きました。ですが内容には呆れてしまいます。特に最後の部分が。いつまで弟離れできないのでしょう。
「全くもう!レゲナータ家の奇跡と言われた優秀さが形無しですね!アタシが噂の真相も確かめて差し上げますから、また明日!はい!カッシム様はちゃんとお役目に戻ってください!」
生まれたばかりのダリオ坊っちゃんから離れなかったカッシム様を勉強に追い立てた時の様に言えば、目を丸めたカッシム様は明日の待ち合わせを決めて、背筋を伸ばして帰っていかれました。
家に戻ると、レオ君が金細工を並べて、頭をひねっていました。見たこともない色合いの金属ですが、ミリャーナはあんな金属も扱えるようになったのかしら?アタシは花茶を淹れたカップを持って向かいの席に座りました。レオ君の視界の端にカップを置けば、ハッと顔を上げたレオ君が困ったように笑いました。どうぞ、と勧めれば上品にお茶を飲んで美味しいと笑ってくれるこの子がどうして不吉なんて言われてしまうのでしょう。
「ご迷惑おかけしているみたいですみません」
「あら?耳が早いのね?それで、ウチに復讐の為に来たの?」
カップを置いた一言目に謝られてアタシは眉を上げました。この子はここに居て、街の噂なんか耳に入る筈も無いのに一体どういう事かしら。戯けた様に聞き返せば、並んでいた金細工を一つ手に取って視線を彷徨わせました。
「そんなつもりはなかったんですが、でもカロリーナさんの一番大切な物を奪う手助けをしているので、復讐ともいえるでしょうか?」
「アタシの一番大事な物?アタシの一番はヨゾだよ。ヨゾを奪って行こうってんならアタシも戦わないといけないね」
「ミリャーナさんは?」
金細工を手のひらで転がしながら問いかける、青い瞳が悪戯げな輝きを持ちました。さっきこの子は『奪う』ではなく『奪う手助け』といいましたね。アタシの考えが合ってるなら、嬉しい様な、お節介だと笑いたい様な気持ちです。
「……奪う手助けって言ったね?もしかしてダリオ坊ちゃんとくっつけようとしてる?」
「これらの細工物のお代は、ミリャーナさんが堂々とダリオと結婚するための爵位だったんですよ」
確認の問いかけに帰ってきたのは、想定も想像も超えた答えでした。全く理解が追いつかず、お茶を一口飲んで落ち着いてから、聞くべきことを口に出します。
「はっ?あんた、爵位を授けられる程の高位貴族だったの?ミリャーナは代金としてどんな爵位を受け取ったのさ?」
「旅の道中で得たちょっとした伝手を使って、チェラーミカ王国の女男爵の地位を約束してもらいました」
「ちょっとした伝手ってなによ?あんた、一体どんな旅をしてきたの?」
信じられないような、おとぎ話みたいな旅の話を聞いてアタシはこの子を信じる事にしました。それにしても、わが娘の鈍さにはびっくりよ。ダリオ坊ちゃまと両思いな事に、周りはみんな気付いていたし、叶える方向で動いてたのに。これは明日カッシム様に一番に報告しなきゃいけないわ。
翌日アタシはレオ君を連れて、カッシム様との待ち合わせに行きました。レオ君を見てギョッと目を丸めたカッシム様が、場所を変えようと連れて行ってくれたのは、個室のある高級喫茶店でした。カッシム様が奢ってくれると言うので、せっかくだし一番高いケーキを頂きます。うふふ。
「カロリーナ、連れてくるならそう言っておいておくれよ。君が噂のハボルの末裔かい?」
注文したケーキとお茶が届いた所で、目の座ったカッシム様が口を開きました。その不機嫌そうな表情は、アタシがケーキを二つも頼んだせいかしら?不機嫌そうなカッシム様の表情など気にしない様にレオ君はニコニコしています。
「ダリオが自慢していた兄君ですね?初めまして、レオです」
「えっ?ダリオは僕の事自慢してたの?なんてなんて?」
またこの若様は、ダリオ坊ちゃんの事となると我を忘れて困った事。レオ君も真面目な顔して、「スープの具をこっそり交換してくれる優しいお兄さん」とかどうでも良いエピソードを話してる場合ですか。二人の間でパチンと手を叩けばぴたりと騒がしい声が止まりました。
「カッシム様、兄弟仲が良い事なんて今更確認の必要もないでしょう?それより、ダリオ坊ちゃんが家に帰らない理由を聞きたいんでしょう?」
小さく「あっ」と声を零したあと二人して視線を彷徨わせました。気まずい沈黙を破ったのは、レオ君でした。静かにフォークを置いて、皿の端に残ったクリームを丁寧に拭い取りました。
「お兄さんもダリオを説得してくれませんか?ダリオは継ぐ家のない次男なんかじゃないって。独立すれば家訓なんか関係ないって」
「うん?なに?なんか嫌な予感がするんだけど」
「こちらの大盗賊の末裔様は、あちこちで人助けをして、お隣の国の王子の教師役をして、ウチの馬鹿娘とダリオ坊ちゃんに、隣国でのご立派な立場を持たせたんだって」
アタシの説明でカッシム様には思い当たる事があったようです。
「……もしかしてミハイル様の?」
「いえ、第二王子のガブリエル様が、ダリオとミリャーナさんに身分とお仕事をくださるそうです。僕は子孫としてハボルの真実を知る必要性もありますし、子孫として宝を相続する理由もありますが、ダリオはこれ以上危険を冒して旅を続ける理由はないと思うんです」
カッシム様のフォークを握る手にぐっと力が入り、レオ君を見つめる眼も険しく細められました。レオ君の思いやりも分かるけれど、今の言い方はちょっと良くなかったわね。寂しさを隠してダリオ坊ちゃんの事を応援しているカッシム様にとっては、ダリオ坊ちゃんの望みが最重要事項ですものね。
「君はこんな中途半端な所でダリオを置いて行こうと思ってるの?君に置いて行かれる心配でダリオが家に帰って来ないのなら、僕は君をウチに攫っていこうかな」
「ねぇ、レオ君。うちのバカ娘を躾ける間、ダリオ坊ちゃんとの旅を続けるっていうのはどうかしら?いまこそ大奥様の教えを使うときよね。末端でも貴族の振る舞いができる様に、そうね半年くらいは必要だと思うんだけど。それに、レオ君がハボルの末裔であの船を動かすのなら案外安全な旅になると思うの」
はぁとため息をついたレオ君をカッシム様は本当にお屋敷に連れ帰られました。なぜか誘拐されるレオ君が身代金を要求する手紙を書いてアタシに渡して。この身代金?は一体何でしょう?テインを十束と白色のプロスール布ってのはなんだろうね。要求を見たダリオ坊ちゃんは舌打ちをして何も持たずに出て行きました。きっと噂の荷車に積んである物なのでしょう。
数日後宿を訪れたレオ君は、青く艶やかな布をアタシに差し出しました。アタシの故郷の海の様な青です。
「これでミリャーナの婚礼衣装を作ってあげて下さい」
一撫ですれば、肌触りの良さからその布の質が伝わります。こんな質の良い布、女男爵という身分には必要でも、何の対価もなしに貰うわけにはいきません。アタシはキッチンからアタシの料理の秘密を持ってきました。
「これは、絶対に美味しいスープが作れるお玉だよ。お嫁に来る時に持たされたんだ。その布の価値には不足かもしれないけれどこれでかんべんしておくれ」
お玉を手に取ったレオが驚いた表情をした後に、ニヤリと笑いました。
「カロリーナさん、これは受取れません。恩ある帝都一の宿屋の評判が落ちたらこまりますから。ですが、一晩貸してくれませんか?これ古い魔道具だと思うんです。僕なら同じものを作れるので、一日貸してじっくり見させてください」
翌日お玉を三本に増やしたレオ君がやってきました。一本はアタシのお玉。レオ君が作った二本のうち一本も差し出されて首を傾げました。
「ダリオが好きなカロリーナさんのスープ、ミリャーナさんも作れるようにしっかり教えてあげてください」
「まったくもう。布のお礼が全くできないじゃないか。仕方ない。旅立つ前にはもう一回おいで。ひとまずアタシの実家に伝わる『香辛料の配合表』よ。実家の近くでは採れない香辛料まで使ったレシピもあってアタシには持て余してるんだ。世界を回るなら、行く先々でアタシが作れなかったレシピも作って美味しい旅ができるんじゃない?」
彼らが旅立つ日、アタシは保存食を木箱三つと壺二つ渡してあげました。きっとあの馬車の荷台はこうやって荷物が増えていったんでしょう。
次回は明日1/31(土)更新です




