第十話 チェラーミカ王国第二王子・ガブリエル
タタタタタタっと靴音を響かせながら人の合間を縫って走る。フランツの大きな体では他の人にぶつかってこの速さで走る事はできないはずだ。右側のお店の果物が山積みになっている事に気を取られた瞬間、ドンっと人にぶつかって尻もちをついた。
見上げれば、浅黒い肌に黒髪の男が腕を組んで見下ろしていた。年は兄上と同じくらいだろうか。ものすごく機嫌悪そうで今にも怒鳴られそうだ。
「あっ、ごめんなさい!」
反射的に謝ると、隣に立っていた金髪青目の男がしゃがんで私に手を差し出した。口元は笑みの形に整えられているけれど、眉は八の字に下がっていて、ついさっき見た兄上と同じ表情だ。ふん、皆して私の事を馬鹿にして!
「大丈夫かい?きちんと前を見てないと危ないし、人混みを走るのも危ないよ」
兄上と同じ様な声音と口調で言われて、ついさっきの不快感が込み上げてくるけれど、私は目の前の男と同じように口元に笑みを浮かべて感情を隠した。それから、ぎゅっと手を握って金髪男の青い瞳を真っすぐに見つめた。私を馬鹿にする大人はこうすればお願いを断れないはずだ。
「ありがとう。けれど追われているんだ、助けて」
「もう追いつかれている、諦めろ」
黒髪の男に冷たく手を払われた。ついでの様に肩を持って後ろを向かされる。普段では考えられないほど乱暴に扱われた事に怒る隙もなく、眼の前にはもうフランツが迫っていた。走って来たフランツは私ではなく黒髪男の顔を見て笑った。なんだ?フランツの仲間だったのか?
「相変わらずやんちゃな子どものお守り役、お疲れ様」
「ダリオじゃないか!久しぶりだな!」
フランツはいつものようなお説教ではなく、旧友を見つけた時の心底嬉しそうな声を上げた。私の存在を無視するようなフランツの振る舞いに驚いて、私は自分を乱暴に振り向かせた黒髪の男を呆然と見上げた。隣の金髪男も青い瞳を大きく見開いて黒髪男とフランツを見ている。
「おう。久しぶりだな。お前がミハイルから離れるとは思わなかったわ」
「二年ぶりか?相変わらず、というより前よりさらに貴族らしさを失っていないか?」
この黒髪男、今、兄上の名前を呼び捨てにした?なんでもできる優秀な兄上、誰もが納得の次期王たる兄上。そんな兄上を呼び捨てにするなんて一体何者なんだ?
「お前、兄上の知り合いなのか?」
頭の上の会話に割り込むとフランツは何故か笑顔になり、黒髪の男は一層顔を顰めた。母上も父上も信頼する国で指折りの騎士にそんな顔を向けるなんて、この黒髪の男は何者だ?さっきフランツは貴族だと言ったが、私は会った事もない。
「ガブリエル様、此奴はダリオ・レゲナータ。隣国の子爵家の次男で、ミハエル様の幼少期のご友人です」
兄上の友人だと?だからこの男は、私を冷たくあしらい、あんなにも乱暴に僕の手を払いのけたんだ。きっと、兄上という『本物』を知っているから、その劣化品でしかない僕のことなんて、最初から価値のないガキだと思って馬鹿にしていたんだ。
「ふんっ!兄上の友人だからって、子爵家ごときが偉そうに!」
私がレゲナータ子爵令息を睨みつけると、フランツが目の前にしゃがみこんだ。またあの眉尻を下げた笑顔を浮かべている。
「このダリオはミハエル様が幼少の頃に宝探しに一緒に行った仲でございます。ガブリエル様が行きたい冒険の同行者としてこれほど適任な者はいないと思いますよ。ダリオに同行を命じて明日は冒険に行きませんか?」
「おい!勝手を言うな。こちらにも都合という物がある」
私が止めるよりも早く、ダリオが眉を吊り上げた。隣の金髪男は笑顔を崩さずにダリオを見つめている。貴族らしく感情を悟らせない振る舞いをしつつも、口を挟まないって事は身分を弁えた平民か?だとすれば、フランツを止めるような事は言えないだろう。
「都合というのはそちらの御仁の用事かな?どうであろう?一日か二日ダリオを貸してはもらえぬか?」
「ダリオ、別に急ぐ用事もないし、二、三日この坊っちゃんにお付き合いしても良いんじゃないか?勿論、付き合う分の日当は要求したいけれど……そうだなひとまずこの街の案内を頼めるかい?」
案の定フランツの意向に沿う返事を返し、私に対価の要求を告げた。街の案内という事は引き受ければ、今日は一日堂々と街歩きができる。金髪男がニッコリと笑いかけたのはそういう意味なのか?
私は街で一番安い果物屋、珍しい薬草を扱う店、無知な旅行者を食い物にしている店を案内した。行く先々でフランツはため息を吐き、レオは笑い、ダリオは私が兄上にそっくりだと言った。それから孤児院の子供たちが作ったクッキーを売っているパン屋、騎士団の者が頻繁に買い物に行く花屋も教えておいた。
ぐるりと大通りを一周した所で、喫茶店に入らないかと誘うと、レオは嬉しそうに賛成してくれた。この店は奥さんの実家の農園から毎日新鮮なフルーツを仕入れているからフルーツタルトが美味しいんだ。初めて食べるけど、街の女性たちがよく言っているから間違いない。席について、お茶とフルーツタルトを前に私はダリオに向き直った。
「ダリオは私の事を兄上にそっくりだって言ったけど、一体なんで?」
「お前の兄貴と俺が初めて会った場所、俺の国の王宮ではあったんだけどな。……パーティー会場の隅の花瓶の裏だったんだよ」
「えっ?兄上は異国のパーティー会場で何をしていたの?」
私の隣からため息が聞こえて目を向けると、フランツが苦笑いを浮かべている。一昨年まで兄上付きだったフランツもその場に居たのか。口に運んだベリーの酸味が口に広がるのを感じながら話の続きを促した。
「ミハイルはあの時、王宮から出て街を散策する方法を必死に考えてたんだってさ。後にも先にも存在感を消して隠れている俺を見つけたのはお前の兄貴ただ一人だ」
「街を散策する方法?」
「パーティー会場で上手く隠れられるって事は、隠れながら王宮を抜け出すくらいの術はあるだろう?と主賓の王子に言われて断れると思うか?仕方ないからこっそり街に行ったよ。今日みたいにな。それで、街を見回って言う事がお前とミハイルは同じだった。売られている食品の値段や売れ行きや道を行き交う人々の表情ばかりを見ている所が同じだ」
兄上と同じ所を見ていると言われて嬉しくなった私は夕食の席で、今日街で遭った事を話した。兄上は笑いながら自分もダリオに会いたかったと言った。翌日も一緒に出掛ける約束をしたと言えば、羨ましがって公務の調整までしようとして、母上に叱られていた。父上も母上もダリオの事は知っているらしく、翌日の外出が簡単に許された。あんなに粗暴なのに不思議な奴だ。
母上からは、紋章付きの指輪を預けられた。兄上の散策に付き合わせた時に断られた褒美の品だそうだ。必ず渡すようにと念を押された。
翌日、北門を出て街道ではなく草原を進む。森に行きたいと言ったが、以外にも厳しい口調でレオにダメだと止められた。森は私には危険で守り切れないと。私だって剣術の鍛錬はしているのに。黙って二人の後ろを歩いていたが、ふとダリオが隣に並んだ。
「俺たちも旅に出るまでは、お前と同じように『余り物』だと思って腐ってた時期があるよ」
「おれたち?も?」
見上げるとまっすぐ前を見ている視線が遠く、西の果てを見つめていた。西にはウヴァーラ帝国、ダリオの故郷がある方角か。兄上と出会ったという王宮がその視線の方向にあるのか。
「俺もレオも優秀な兄貴が家を継ぐんだ。俺もレオも敵うわけのない兄貴に家を任せて自由な旅人稼業だ」
足元の湿った草をザクザクと踏み倒して歩きながら、ダリオの話に耳を傾けた。なんだ、目立たないように閑職を目指す一族ってのは?だから王宮のパーティーで気配を消していたし、母上からの褒美を固辞したのか。ポケットの中の指輪が急に重たく感じられてきた。
「私は家を継ぐ事もないが、旅人になることもできない。ただ王宮で飾られるだけの存在だ」
この二人が羨ましいと思った。もしかして、この二人なら私が何者かになる方法を知っているかもしれないと思った。ふと本音を零してみたら、レオが立ち止まって振り向いた。
「ガブリエル王子は旅人になりたいのですか?でしたら王子にしか成れない『外交官』という旅人を目指すのはいかがですか?」
「おい!レオ!余計な事を言うな!」
「ダリオの家は王子に変な助言をして、妙な立場を得ることを望まないだろうけど、僕は違うからな。王子は南の国境城塞都市プロスールを知っていますか?」
「ああ、我が国の重要な防衛拠点だろう?」
ダリオに先頭を押し付けたレオが隣を歩きながら私に問いかけた。だんだんと周りに変な匂いが漂い、遠くに上る湯気が見えてきた。確かに冒険らしい景色になっている。
「あそこを築いた大将軍ハボルは、僕の先祖です。当時は未開拓の森で、人が住めないと言われていたあの土地を、行き場のない人々を率いて開拓しました。……ダリオの国では、ハボルは『大盗賊』なんて不名誉な名前で呼ばれていますがね」
「大将軍が、大盗賊だと?」
「そうです。ダリオは大盗賊と呼ばれている事に違和感を感じて旅をしていますし、僕はご先祖の残したお宝を探したくて旅をしています。二人で旅をする中で、大将軍と呼ばれた一面を知りました。王子は自国の英雄が大盗賊と言われている状況、悔しくありませんか?僕はご先祖の不名誉な伝説が悔しいです」
「私が外交官になって、その不名誉を解消してほしいのか?」
「そうです。王子という立場を持った外交官にしかできない事です。これは、僕の個人的な希望ですから、どうするのかは王子の自由です」
変な匂いが強くなって、会話が途絶えると、丁度草原も途絶えた。目の前には蒸気の立ち込める沼が広がっている。変な匂いのムワリとした空気が顔にまとわりついて不快だ。レオはギュッと眉を寄せて先頭を歩いていたダリオを睨んだ。
「ダリオ、ここに来たことあったのか?」
「いや、初めて来た。だが、アレが見えるだろうとは思っていた」
ダリオが指差す先には大きな岩山が見える。城の塔からも見えている山だ。レオが難しい顔をしながら、沼に手を突っ込んだ。その沼の中に何かあるのか?私もレオに並んで沼に手を突っ込んでみた。温かい?
「ガブリエル王子、この土地がどなたの物かは判りますか?」
レオは沼から手を引き抜き立ち上がって、遠くの岩山に視線を向けた。沼の向こうの草原とあの岩山まで含めたとしても、いや国境までが直轄領扱いだったはずだ。人も住んでいない未開の直轄領。
「ここは直轄領ゆえに父上の物のはずだ」
「では王子、この土地を王子が父君から貰い受ける事は可能ですか?」
「こんな人もいない、何もない土地を?」
私も沼から手を抜いて立ち上がった。不思議と全身がポカポカと温かくなった気がする。見ると掌はピンク色になっていた。ほんの数分漬けていただけなのに?
「王子、宝探しはまず宝を見極める知識が必要です。今の王子ではどこへ行こうとも宝は見つからないでしょう。この泉は『温泉』という人の疲れを癒し、病を癒すお宝の泉ですよ」
泉?沼ではなく?もう一度手を入れて水を掬い上げてみると、透き通っていて、泥など混ざっていない。よくよく覗き込むと確かに底まで見通せる。茶色く見えていたのは底の色がそのまま見えていただけだったのか!
「いいか、価値があることがバレてからじゃ遅いんだ。誰も価値に気づいていない誰も欲しがらない今のうちに手に入れるんだ。誰も欲しがらない場所なら何をやっても文句は言われない。そこを上手く使って価値を見せつければ、見る目がある者と尊敬され、国の役にも立つ、素晴らしい第二王子になれるだろうよ」
トンと私の肩に手を置いたダリオが、岩山を指さし、そして道中に生えていた草を差し出した。反対側の肩にまたレオの手が乗せられた。悪戯っこの様な初めて見る笑顔を浮かべている。
「先ほど、外交官という役割を勧めましたが、この土地は強力な武器として使えますよ」
「この土地の活用に必要な知識を貴方から学ぶことはできますか?」
私はポケットの中で重く沈んでいた、母上から預かった指輪を取り出した。王家の紋章が刻まれた、細工の美しい金環だ。私の掌を覗き込んだダリオは一瞬だけ目を見開き、それから「げっ」と本気で嫌そうな顔をして一歩下がった。私はレオの手をとって、その掌に指輪を乗せた。
「私はここを活用してハボル将軍の不名誉な伝説を消す尽力をしよう。その為に足りない知識を私に与えてくれないか?その授業料として、王家の庇護では不足かな?レオは平民だろう?私がこの土地を父上から貰い受けたら、領地の貴族としてあげることもできる。その日までの証として持っていてくれないか?」
レオは掌の指輪と僕の顔を交互に見て、やがていつもの「八の字の眉」を、今度は少しだけ誇らしげに崩して笑った。
「……承りました、ガブリエル王子。私の持つ知識を書物に纏めて置いていきましょう。それから必要な時に手紙のやり取りをする魔道具も」
三日で書物と魔道具を完成させて旅立ったレオが、ひと月もしないうちに、紋章の力を頼って舞い戻ってくるとは思わなかった。




