プロローグ
「良い?出かける時は必ずこれを着て、絶対寄り道なんかしちゃダメよ?」
母さんがいつものように焦げ茶色のフード付きのマントを渡しながら言う。季節はもう夏で、マントを着るなんて怪しさこの上ない。だけど、母さんに心配はかけられないから、俺は黙って受け取った。
「母さん分かってるよ。いい加減行かないと仕事に遅れるよ?」
母さんを仕事に送り出して、先ずは掃除から始める。外に人が多い時間は家から出ないように言われてるから、市場に人が多い朝のうちは買い物には行けない。それに、この時間はご近所さん達がお喋りしながら洗濯をしているから井戸にも行けない。
窓は開けても問題ない。道から覗かれるのを防ぐために五階建ての五階の部屋を借りているから。
窓のすぐ下はゴツゴツとした黒い岩場でその向こうには海が見える。窓からは潮の匂いと岩場で貝を獲る人たちの喧騒が入ってきた。岩場で貝を獲っているのは俺と同じくらいの年の子供達だ。一人として知り合いはいないけれど。
俺も母さんもこの街の生まれではない。母さんはとても遠い国の生まれだと言っていた。確かにこの街の人達は浅黒い肌に黒い髪の人が多いのに、母さんも俺も白い肌に金髪だ。ついでに俺は瞳の色もこの辺りの人とは違うらしい。らしい、ってのは俺が自分の瞳を見たことがないから。母さんもちょっと珍しい琥珀色の瞳をしているけれど、全くいない訳ではない。
で、俺の場合はこの瞳の色が問題らしい。母さんいわく俺は父さんにそっくりなんだって。瞳の色も父さん似の青色らしい。青い瞳は珍しくて誘拐される危険があるから家からできるだけ出るなと言うのが母さんの言い分だ。その珍しい青い瞳の父さんに俺は会ったことがない。生きてはいるらしい。
ベッドから毛布を引っ張って来て、窓の外でバサバサと振ってホコリを払う。毛布をベッドに戻したら、玄関横から箒を持ってきて家の中の掃き掃除。床の埃は一旦玄関に集めて、後で出かける時に外に掃き出そう。
水瓶の中にはたっぷり水が有ったので、台所の隅の簡易洗い場で洗濯もしてしまおう。この簡易洗い場も、俺が外に極力出ずに済むように母さんが作った。洗い場の床に複雑な模様が描かれていて、そこに触れた水は公共トイレの壺に飛んでいくらしい。
普通の家は共有井戸の近くの広場で洗濯して、その後公共トイレに水を捨てに行くんだって。魔道具なんか家に無いんだってさ。
俺を家から出さない分、母さんはちゃんと家が余所と違う事も教えてくれている。母さんが休みの日には、街から出て色々な事をさせてくれている。俺が自分の身を自分で守れる様になったら、外出禁止も解除するって。つまり、母さんが休みの日に外でしてる色々ってのは、主に剣術、格闘術の訓練だ。
洗濯、拭き掃除も終えて、水の処理も終わると、すっかり日が高くなった。窓から聞こえてくるのも子どもの喧騒から風と波の音に変わっている。世間の人が昼飯に家に戻った頃なのだろう。
玄関を開けてササッと貯めていた埃を外に掃き出してから、マントを着て出かけた。玄関を出てすぐ右側の扉を開けると建物の外に出て階段がある。ほとんどの住民は建物の中にある階段を使うので、ここで人に会う事は滅多にないが、用心して俯き気味に降りていく。
通りに出たらフードが捲れない程度の早足で市場へと向かった。まずは八百屋からだ。瓜とトマトとレタスは欲しい。他にも美味しそうな野菜があれば買うつもりでいる。からし菜の季節は終わったけど、ああいう茹でて食べる野菜はあるだろうか。
「あぁ、ネイダ、いらっしゃい」
ニコニコと笑いかけるお婆さんにフードを取って顔を見せると抱きしめられる。これもいつもの事。なんでも亡くなった息子さんの子どもの頃に俺が似ているらしい。母さんに何かあったらこのお婆さんを頼る様にと言われているので、顔を見せるのも問題ない。
「おばあさんこんにちは。ウリを二つとトマトとレタス、あとオススメはありますか?」
「ウリは水瓜かい?食瓜かい?」
水瓜は果物のような瓜で生で食べる物、食瓜は似たり焼いたりして食べる物だ。多分母さんは食瓜を二つのつもりだったんだろうけど、俺は水瓜が好きだしたまには甘いものが食べたい。
「水瓜があるなら、水瓜と食瓜を一つずつにして」
俺が持ってきた袋に瓜とトマトとレタス、それから苦菜という茹でて食べる葉っぱとおまけで人参を詰めてくれた。
その次の肉屋では豚の塩漬け肉と羊肉の塊を買った。水瓜と人参が思った以上に重い。予定よりだいぶ膨らんだ袋を抱えて急ぎ足に路地を曲がった所で人にぶつかった。
尻もちをついた拍子に袋から水瓜が転がり、フードも取れてしまった。マズイと思いつつ見上げると、大柄でボサボサ長髪の眼光鋭い男がこちらを睨んでいる。
拐われる!と思った瞬間男が表情を変えた。驚きに目を見開いて慌ててポケットを探ると小箱を取り出して差し出してきた。
「坊主、ぶつかって悪かったな。これは詫びだ。取っておけ。但し、開けるのは坊主が大人になった後だ。いいな」
押し付けるように握らされた小箱は、螺鈿細工の美しい物で、とても高価な物に見える。それにこちらの不注意でぶつかったのに詫びだ等と言われるのも不思議だ。それに、開けると言ったって、鍵もなしに開けれる物なのだろうか?
戸惑っているうちに、男はどこかに行ってしまった。ただ、男は去る前に俺のの頭にフードを被せ直していたらしい。立ち上がってウリを拾おうとした時に視界にフードの端が見えて初めて気がついた。
通りに人が増えてきている。来るときより慎重に早足で家に帰って、夕飯の支度を始める。夕飯を作り出してからパン屋に寄り忘れた事に気付いたが仕方ない。
テーブルに羊肉の煮込みと茹でた食瓜を並べた所で母さんが帰ってきた。
「あら?今日はパンは売り切れてたの?」
荷物を置きながら尋ねる母さんに、螺鈿細工の小箱を見せながら今日の事を話した。螺鈿細工を見た母さんは小さく笑った。てっきり叱られると思ってたのに。
「ふふっ。そんな事が……今日のネイダが迂闊だったのは間違いないけど、まぁ良かったんじゃないかしら?この箱、大事になさい。折角頂いたんだしね」
その一月後、俺は母さんに連れて来られた王城の前に立っていた。辺りは沢山の人が居て、けれど皆一箇所を見つめていて、誰も俺や母さんの容姿を気に留めない。それもそうだろう。今日は大盗賊ハボルの処刑の日で、皆それを見物しに集まっているのだから。
そんな人々の視線の先には、ガタイの良い長髪の男がいた。髪の色は違うけれど、あの時ぶつかった男だ。鋭い視線で群衆を見回す男は、体中傷だらけでしかも縛られている。
ふと目が合った気がした瞬間男はニヤリと笑って立ち上がり、そして体を縛っていたロープを引きちぎった。
「俺の宝は誰にも見つけられない!探したきゃ探せば良いさ!」
そう叫びながら何かを放り投げた。次の瞬間、耳元でコトリと音がした。音に釣られて右を向くと、母さんがなぜかあの螺鈿細工を持って笑ってる。
と今度は周りの人間がいきなり叫びだした。処刑台に目を向けるとあの男が自分で首を切っていたのだ。
「相変わらず派手好きだねぇ。ネイダ、あれがお前の父さんだよ。男前だろう?」
ふふっと笑った声が震えてる事にも、目尻が光っている事にも俺は気付かない振りをした。俺の前でずっと強い母さんで居たがっているのを知ってるからね。




