第2話 『金持ちはお金のために働かない』
夜が明ける前、王都レギオンの西門には、霧が薄くかかっていた。
鳥の声もまばらで、まだ世界は眠りの中にある。
その静寂の中、ひとりの青年が駆けてくる。
「はぁ……はぁ……間に合った……!」
アレンだ。
眠い目をこすりながらも、約束通り西門に現れた。
門の外では、昨日の老人──バルドルが、石に腰かけていた。
夜明け前の薄明かりの中、その姿はまるで神殿の像のように見える。
「来たか。意外と素直じゃな」
「あ、あんたが変なこと言うから……気になって寝られなかっただけだ」
アレンはむすっとしながらも、隣に座った。
バルドルは微笑み、いきなり問いかける。
「質問だ、若造。
お前は“働いた分だけ”しか稼げぬ世界で、どうやって自由になるつもりだ?」
「は? そりゃ……働き続ければ、いつかは……」
「いつかは、なんだ?」
「えっ……その……」
アレンの声が途切れた。
“働けば報われる”
そう信じていた。
信じるしかなかった。
しかし昨日、働いて怪我して赤字。
今日もきっと同じだ。
その現実が、アレンの胸を刺す。
バルドルは石から立ち上がる。
「よし、歩くぞ」
「は? どこへ?」
「街だ。お前に“現実”を見せてやる」
老人とは思えぬ軽い足取りで歩き出す。
アレンは慌ててついていった。
◆
朝の市場通り。
露店の準備が始まり、商人たちの声が飛び交う。
バルドルは大通りの中央で立ち止まり、周囲を指差した。
「若造、お前には見えるか? この街の“金の流れ”が」
「いや、見えるわけないだろ……」
「だろうな。だから貧乏なのだ」
バルドルは言葉を続ける。
「この商人たちは早朝から働いている。
だが彼らが金持ちかと言えば、そうではない」
「いや、商人って儲かるもんじゃ──」
「それは“儲かる商人”だけだ。
卵を売っても、パンを焼いても、
労働の限界を超えることなどできぬ」
バルドルは、人々が荷物を運び、棚を並べて慌ただしく動く様子を見せつける。
「働けば稼げる。
だが、労働には必ず限界がある。
お前の昨日の怪我がその象徴だ」
「う……」
アレンは思わず目をそらした。
まるで自分の人生そのものを突きつけられているようだった。
◆
次にバルドルは冒険者ギルドに向かった。
ギルドは今日も依頼を求める冒険者で溢れている。
その光景を見て、バルドルは静かに告げた。
「ここが“ラットレース”だ」
「ラット……何?」
「回し車だよ。
走っても走っても、同じところをぐるぐる回るだけの運命」
バルドルは依頼板を見て言う。
「安すぎる報酬。
高すぎる修理費。
ギルド依存の仕組み。
努力すればするほど苦しくなる構造」
「…………」
「お前は昨日、死にかけながらも依頼をこなしたな?
だが稼いだ金はほぼ修理に消えた」
「……ああ」
「それがラットレースだ。
働けども金が貯まらぬ世界」
アレンは拳を握りしめた。
「じゃあ……じゃあ、どうすればいいんだよ。
働かないと生きていけないだろ!」
叫ぶように言うと、バルドルはゆっくりと振り返った。
その瞳は、どこまでも深く静かだった。
「“金持ちはお金のために働かない”」
「……昨日も言ってたやつか?」
「ああ。あれこそ真理だ」
バルドルはアレンの胸を指で軽く叩いた。
「金持ちは、“自分自身の価値を高めるために働く”。
“学ぶために働く”。
“仕組みを作るために動く”。」
「し、仕組み……?」
「そう。
お前が昨日受けたB級依頼も、ギルドの“仕組み”に乗せられただけ。
働いた分、ギルドが儲かり、お前は赤字だ」
「……!」
「働いて金をもらうのは、最も脆い。
怪我すれば収入はゼロ。
強くなっても限界がある」
言葉は容赦なかったが、不思議と胸に刺さる。
バルドルは杖を地面にトンと突き立てた。
「若造。
強さではなく、考え方を学べ。
学びが人生を変える」
アレンは息を呑む。
そんなこと、考えたこともなかった。
「考え方を……学ぶ……?」
「そうだ。
そして学ぶ意思のある者にだけ、金の真理は見える」
バルドルはくるりと背を向けた。
「さて、若造。
学ぶ気はあるか?」
アレンは迷った。
しかし昨日の痛み、赤字の帳簿、怒るリリアの顔──
すべてが頭に浮かび、背中を押した。
「……ある。
教えてくれ、バルドル」
老人は初めて、少し満足げに微笑んだ。
「よかろう。
では今日から、お前は“貧乏勇者アレン”ではない。
──金の賢者を目指す弟子となる」
アレンはごくりと喉を鳴らした。
こうして、彼の“人生の再教育”が始まったのだった。




