第15話『仕組みが守るもの』
朝の牧場に、やわらかな陽が差し込む。
アレンはフェンスを点検しながら、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
昨日――初めて黒字になった。
人生で初めてだ。
「よーし、スライムたちも元気だね!」
スライムがぴょこんと跳ねて応える。
そこへ、マニュアルを片手にドランがやってきた。
「おいアレン、餌の量、今日はこれでいいのか?」
「はい! 今の時期は少し抑えめで──」
「……ふん。図で描いてあるから確認しやすいな」
昨日の彼とは違い、どこか誇らしげだった。
リリアも帳簿を抱えながらやってくる。
「アレン、今日も順調よ。餌代も、採集量も、全部バランス取れてる」
「ほんと!? よかったぁ……」
リリアは少し目を細める。
「……あんた、本当に変わったね」
「え?」
「前みたいに“働けばなんとかなる!”って突っ走るんじゃなくて……頭を使ってる。珍しいじゃない」
「うっ……」
そこへ、バルドルがのんびり近づいてきた。
「調子が良いのう。ふむ……“仕組み”が育ってきた証拠じゃ」
アレンは照れくさく笑った。
もう教えを受ける段階は終わった。
これからは自分で考える番だ。
その自覚が、胸の奥で小さく灯っている。
――そのとき。
ドランが急に動きを止めた。
「……おい。これ、見ろ」
彼が指差した地点には、草が左右に押しつぶされ、深い足跡が並んでいた。
アレンは首を傾げる。
「動物の跡じゃないよね……?」
ドランは険しい顔で、跡にしゃがみ込んだ。
「……魔物でもねぇ。これは、人間だ。それも……“プロ”の足取りだ」
リリアが青ざめる。
「まさか……黒牙商会!?」
アレンの背筋に冷たいものが走る。
バルドルが眉をひそめた。
「……奴らが動いたか。時期としては早いがのう」
アレンは拳を握る。
牧場を始めてから、黒牙商会による嫌がらせは増えていた。
荷物の盗難、値切り交渉の強要。
だが、ドランを雇い、牧場が回り始めると、ピタリと止んだ。
(……油断してたんだ)
アレンは唇を噛む。
「アレン、逃げたほうがいいわ」
「でも、牧場が……!」
リリアが叫ぶ。
「アンタ一人死んだら、牧場どころじゃないでしょ!」
その言葉を遮るように、低い声が響いた。
「……なるほど。ここが“標的”か」
全員が振り返る。
夕暮れの光を背に、
巨大な影が、ゆっくりと牧場へ歩いてきていた。
黒いマントに、丸太のような腕。
顔は無表情で、金属のように冷たい。
リリアが震え声で呟いた。
「……“処刑人”ガレス……!」
冒険者なら誰でも知っている名だ。
黒牙商会に逆らった者を“跡形もなく消す”処刑専門の男。
アレンの喉がカラカラに乾いた。
ガレスは立ち止まり、淡々と告げた。
「命令だ。アレン・フォード。
お前と、この牧場を──処分する」
無機質な声が、逆に恐怖を煽る。
ドランが前に出た。
「ケッ……やっと来たかよ」
「ドランさん!?」
「テメェにゃ借りがあんだよ。ここで返す」
ガレスは一歩踏み出すだけで、空気が震えた。
「邪魔だ」
次の瞬間、風が爆発した。
ドランは反応する間もなく吹き飛ばされ、フェンスに叩きつけられる。
「ドランさん!!」
アレンが駆け寄ると、ドランは苦しげに笑った。
「……悪ぃ……ほんの数秒しか……持たなかった……」
「喋らないで!」
ガレスは無感情にアレンを見下ろす。
「弱い。抵抗する価値もない」
心臓が握り潰されるような圧迫感。
それでもアレンは前に出た。
「僕は、この牧場を守る……!」
ガレスの影が巨大に伸びる。
その瞬間だった。
――ぼよん。
足元から、小さな振動。
ぼよん、ぼよん、ぼよん……
リリアが息を呑む。
「え、ちょっと……何、この数……!?」
牧場の奥から、
森から、
川辺から──
何十、何百というスライムが、一斉に押し寄せてきた。
ドランが目を見開く。
「なんだ……この大群……!」
アレンははっと気づく。
「……そうか……昨日からの“固定ルーティン”だ!」
餌場の位置を固定し、同じ時間に同じ場所で作業し続けたことで、
スライムたちが自然と“そこに集まる習慣”を学習したのだ。
アレンの作った“仕組み”が──
アレンを守る盾になっていた。
ガレスの足にスライムが絡みつき、視界を遮り、体を重くする。
「……厄介だ」
ガレスでさえ、初めて眉をひそめる。
アレンは息を吸い込んだ。
逃げても、奪われるだけだ。
守りたい場所ができた今、引く理由はない。
「ガレス!!」
アレンはスライムの群れの前に立ち、叫んだ。
「僕は……もう“働くだけの勇者”じゃない!!
自分で考えて、自分の手で守る!!
ここは……僕の牧場だ!!」
風が止まったかのように、空気が張りつめる。
ガレスがゆっくりと構える。
「ならば──力で証明しろ」
スライムが波のように動く。
アレンが前に出る。
ドランが立ち上がる。
そして、バルドルは静かに呟いた。
「……ここから先は、お前自身の戦いじゃ。アレン」
夕日が沈む。
夜が迫る。
戦いの幕が、静かに上がった。




