夏のアバンチュール。川の流れに身を任せ Dパート
「あ、引いてる、引いてる!」
川面に反射する光がキラキラ揺れ、竿先に伝わるかすかな重みさえ楽しく感じた。 釣りなんて初めてだったけど、みんなでキャッキャ言いながらやると意外と悪くない。私、QP、麗華、桜、そしてマーくん。五人でのんびり過ごす夏の午後――の、はずだった。
最初に釣り上げたのは麗華だった。興奮気味に竿を上げると、銀色に光る小さな魚が跳ねている。いきなり経験値を積むとか、さすが麗華。
「くそ、負けてたまるか。来い、経験値!」
大声を出してはいけないとのことなので、小声でボソリと呟いた私も負けじと集中するが、できるのはただ待つことだけ。魚との駆け引きって、どうやったらいいのよ。これじゃ経験値どころか、ただの自然観察じゃん。 その後、マーくんが手慣れた様子で数匹を釣り上げ、桜も指導の甲斐あって一匹目をゲット。QPは私と似たような状況で、時々竿を上げてはため息をついていた。
「アヤちゃん、どう?まだ?」
「ダメ。餌が取られるばっかり。てか、餌がイクラってグルメだよね」
私のグルメ発言にマーくんが「イクラの代用餌だけどね」と笑いながら教えてくれた。人工イクラと呼ばれる手軽な餌で、女の子に配慮してのチョイスらしい。やっぱり彼は気配りの人だ。
「アヤちゃん、そこ危ないよ」
「わ、わかってるってば……たぶん!」
QPの注意に返事しながら、私は川の縁の丸石にそっと足を乗せた。 立ち位置を少し変えたら釣りやすいかなって思っただけなんだ。ほんの数十センチ前に出れば視界も開けるし、気分も乗りそう――そんな軽いノリ。
最初に気づいたのは、風の匂いだった。 さっきまで太陽の光がきらきら反射していた渓流も、いつの間にかひんやりした空気に包まれている。
「……あれ、山のほう暗くないですか?」
桜の声に全員が顔を上げた。 上流――つまり山の上のほう。さっきまで青かった空が、まるで墨汁を流したみたいに一気に黒く沈んでいた。谷間だから見える空は限られていて、こういう変化は急に迫ってくる。
「夕立かな。早めに切り上げたほうがいいかも」
え、私まだ経験値を得てないよ? QPに「戻ろう」と声を掛けられて、仕方なく頷いた。
その“頷き”の直後だった。 ぽつ、ぽつ、と冷たいものが頬に落ちる。まだ小粒だけど、雨は確実にこちらへ近づいている。
「よし、一旦集まろう。竿を仕舞って……」
マーくんが声をかけ、私も慌てて竿を持ち上げた。
そのときだった。 水の流れの音が変わった。低くうねるような、ごう……という響き。さっきまで澄んだ水が、気づけば茶色く濁り始めている。
「これ、上流でかなり降り始めてるな……」
マーくんの表情が一気に緊張に変わった。 私の心臓が嫌な跳ね方をする。こういう場面、ホラーでも見たことあるやつだ。雨より先に“濁流が来る”って、山では本当にあるんだ。
「急いで戻ろ――」
言いかけた瞬間。私は立ち位置を変えようとして、足元の丸石の端に乗ってしまった。
……ぐらっ。
「え?」
浮石だった。ほんの少し足の位置を変えただけなのに、石がぐらりと傾き、膝の力が一気に抜け、視界がブレた。 バランスを取り戻そうと腕を広げたが遅い。
「久具津さん!!」
マーくんの声。次の瞬間、肩を掴まれた。助け起こそうとしてくれたんだと思う。けれど、その力が逆に私の体勢を加速させた。
「あっ――」
「うわっ!」
私とマーくん、二人は縺れるように落水した。
冷たい。息が一気に持っていかれる。頭が真っ白になるほどの衝撃と、水の勢い。
「アヤちゃん!」「マーくん!!」
「大変だ、後藤さんに早く知らせないと……」
麗華とQPの悲痛な叫び声、そして桜が慌てて駆け出す。その声も景色も、全部が遠い。
「はっ……けほっ……!」
多少水を飲んでしまい、むせながら必死に顔を水上へ出すと、マーくんが私の腕を掴んだ。
「離れないで!」
声は震えていた。私だって怖い。 それでも雨はさらに強くなり、すぐ視界が白く煙るほどの土砂降りに変わった。川の流れは一気に速くなり、足がまったくつかない。水を含んだ衣類は重く、動きづらい。二人して浮かんだり沈んだりしながら濁流に押し流される。
上流から押し寄せた大きな濁り水が、私たちの身体を引き寄せ、引き千切るように流れを速める。渓谷は天然の水路みたいに細くて深い。逃げ場なんてどこにもない。
「ぎゅ、っうび〜――!!」
最後にQPを叫んだ声は、自分でも驚くほど掠れていた。手を伸ばしても、岸はみるみる遠ざかっていく。 雨は止むどころか激しさを増し、音が全部を飲み込んでいく。それが恐怖をさらに煽った。
私はただ、必死にマーくんの手を握ったまま流され続けた。離した瞬間に何かが終わる気がしたからだ。
濁流はどこまでも容赦なく、糸尾とQPの顔が脳裏をよぎった。もう駄目かも……。
巻き込んでしまったマーくんには謝っても許されないだろう。だけど言わずにいられなかった。
「(マーくん……ゴメン……)」




