雨降って地ぬかるむ Bバート
「待っているだけってのも退屈だね。QP、まだかなー」
糸尾と高橋が去った保健室。夕日が半分、西の空へ退場しかけている頃、私――久具津操乃は一人残され、暇を持て余して独り言が増えていた。
春になったとはいえ、日が落ちると想像以上に肌寒い。毛布を手繰り寄せて身を包み、ベッドの上でゴロゴロ転がる。そろそろQPが戻ってくるかなと思っていると、保健室に乾いたノックの音が響いた。お、戻ってきたか!
……残念。入ってきたのは春風桜だった。
「失礼します。糸尾先輩はいますか?」
「糸尾なら高橋が迎えに来て、一緒に出ていったよ」
私の返事を疑うように保健室内を一通り見回した彼女は、私に視線を定めて鼻を鳴らした。
「フン、あの程度のことで保健室に運ばれるなんて、大層な御身分ですね、セ・ン・パ・イ」
流石にカチンときた。上等じゃないの。
私はベッドの上で胡座をかき直し、膝で右腕を支えながら頬杖をついた。
「随分と糸尾に入れ込んでるみたいだけど、一体何なの、コ・ウ・ハ・イちゃん?」
両手をきつく握りしめ、私を睨み返す春風。おーコワ。鬼の形相とはまさにこれだ。
「……あなたこそ何なんですか。他人の婚約者をたぶらかして、どういうつもりなんです!」
「……はい?」
スマン、今なんて言った?
「聞こえなかったんですか? それとも馬鹿なんですか? ムっちゃんは私の婚約者って言ったんですよ!」
「……」
「……」
いやいやいや、何言ってるのコイツ。婚約者? ムっちゃん?
「糸尾んちのご両親は、そんな話してなかったけど?」
前に糸尾の家に突撃した時――
『それで……久具津さんだったかしら? あなた、紡久と付き合っているの?』
糸尾のお母さんは確かにそう言った。その後の話でも婚約者の存在は出てこなかった。仮に婚約者がいるなら、あの時に言及されているはずだ。
「呆れましたね。図々しくも家にまで上がり込んでいるとは……おじさん達が知らないのは当然です。私とムっちゃんの二人の間で交わした約束ですから」
「ん? どゆこと?」
「やっぱり馬鹿なんですね。小さい頃にムっちゃんが私をお嫁さんにしてくれるって言ったんですよ!」
「……はい?」
いやいや、待て待て。子供の頃? まさか……
「……あのさ、聞いてもいい? それって何歳の時の話?」
「あれは忘れもしません。私が五歳で、ムっちゃんが七歳の春です」
「それ本気で言ってる?」
「何が言いたいのか分かりませんが、これだけは言わせてもらいます。今後ムっちゃんに付きまとうのはやめてください」
マジかぁ〜。今どき、こんな漫画みたいなヤツがいるんだ!
「そのこと、糸尾は……」
コンコンッ。
不意にノックの音と同時に引き戸が開き、QPが戻ってきた。
「アヤちゃん、もう起き……あれ?」
保健室が魔境化していることに気づいたQPが急に立ち止まり、後ろから続いて入ろうとした子が背中にぶつかった。
「うわ、なにこれ……」
「キャ! 急に立ち止ま……え? 何、どうしたの?」
麗華まで来たのか。二人は私と春風を交互に見て、どうすればいいか迷っている様子だった。
「白井先輩……ですよね?」
「え、あ……はい」
春風に急に話を振られてビビるQP。こんな雰囲気じゃ仕方ない。
「先輩はこの学校の“恋のキューピット”って呼ばれていますが、本当ですか?」
「いやいや、そんな大袈裟な」
「そう? 皆言っているわよ?」
うん、言われてるね。麗華もその恩恵を受けたひとりだ。よく相談者が教室まで押しかけてくる。
「私の恋の成就を手伝ってくれませんか?」
「春風……桜ちゃん、だっけ? 君、モテそうだから、そんなの必要ないんじゃない?」
確かに春風はモテ要素が多そうだ。私とは大違い。でもコイツの狙いは……
「ちゃん付けはやめてください。私の恋路を邪魔するお邪魔虫を排除したいんです」
ですよねー。どんだけ私が嫌いなんだよコイツ。そんな春風にQPはニコリと微笑んだ。
「ゴメン、それはできないよ」




