春爛漫。桜吹雪は嵐の予感 Cパート
「おはよう、アヤちゃん。もう大丈夫?」
朝の光が柔らかく甍の波を照らしていた。桜の花びらが風に舞い、通学路には先日の嵐が残したかのような薄桃色の絨毯が広がっている。風邪から復調した私はQPと肩を並べながら歩き、校門の方へ視線を向けた。
「……あれ、糸尾?」
遠目に見覚えのある背中があった。糸尾だ。女の子と楽しげに話しながら歩いているように見えた。慌てて二度見したが、あっという間に二人は登校してきた他の生徒たちに紛れて見失ってしまった。
「今さ、校門の前で糸尾が女の子と歩いてたように見えたんだけど……」
「ええー、あの糸尾くんだよ? まさか〜」
“あの糸尾”ってどの糸尾だよ。
とりあえずQPには見えていなかったようだ。それとも私の見間違いか?
「サッカー部に可愛いマネージャーが入ってきて浮気してるとか」
「……いやいや、あの糸尾だよ?」
「どの糸尾くん?」
ニマニマと笑いながら、からかってくるQPの頭を、照れ隠しに軽く小突いて、私たちも校門をくぐった。私の高校生活最後の年が、一日遅れでついに始まった。
教室に入ると、麗華と高橋が窓際の席で楽しそうに話していた。周りのクラスメイトたちが遠巻きにそれを羨望の眼差しで見ていて、なんだか変な感じ。
「オッス、麗華。高橋くんも。席はどこでもいいの?」
「おはよう、アヤちゃん、QPちゃん。この後に席替えだから今は自由よ」
「やあ、おはよう。久具津さんは風邪もういいのかい?」
「おっは~。お二人さん、オーラ出まくってて周りが引いてるよ〜」
高橋に「もう大丈夫」と返して、麗華の後ろの窓際の席に座る。QPは私の隣に腰を下ろした。
「糸尾は別のクラスだって?」
「そうなの。アヤちゃん、後で様子を見てきてね」
「ん。わーった」
教室内が少しざわついた。私とQPが“誉れ高き二人”に気軽に話しかけたせいか、少し空気が和らいだ気がする。
「失礼します。高橋先輩はいらっしゃいますか?」
そんな中、ガラリと廊下側のドアが開いた。
長い髪を軽くまとめた可愛らしい子が教室内を見渡している。誰?と思ったが、制服のリボンはビリジアン。つまり新入生だ。どうりで見覚えがないわけだ。
ちなみに私たち三年生はエンジ、二年生はコバルトで、男子はネクタイが学年で色違いである。
窓際の高橋が軽く手を挙げると、凛とした立ち姿で軽やかな足取りの一年生が教室に入ってきて、高橋の前で立ち止まり、軽く会釈をした。
「高橋先輩、太田キャプテンからの伝言です。本日、新入部員の体力テストを行うそうなので、二年の先輩方への準備の指示を任せますとのことです」
「そう、分かった。わざわざありがとう」
「いいえ、仕事ですので。それに……」
彼女は滑らかに伝言を告げると、なぜか私へと視線を向け、私の目をジッと見つめた後、ふんっと鼻を鳴らすと踵を返して教室を出て行った。
「……今の子、誰?」
「入学式で新入生代表を務めた、春風桜さんね。どうしたのかしら?」
あまりのことに呆気にとられた私が誰ともなく問いかけると、麗華が困ったような顔で答えてくれた。代表ってことは首席入学じゃん。
「入学早々、サッカー部を訪ねてきてマネージャーになった子だけど、なんか態度が変だったね」
高橋も思案顔で、彼女が教室を出ていった先を見つめている。ふ〜ん……サッカー部のマネージャーねぇ。
あの態度は、少なくとも私に対して悪意があった。覚えはないけど、私、彼女に何かしたのかな?
「俺の方でちょっと気にかけておくよ。何かあったら直ぐに相談して」
苦笑いしながら間を取り持ってくれると言う高橋。そうしてもらえると助かる。
そんなやり取りをしている間に担任の先生が教室に入ってきた。
ふと窓の外を見ると、桜の花びらがふわりと舞い落ちてきた。春の空気は明るいのに、私の心の中では未だに春の嵐が吹き荒んでいる気がした。なんだかなぁ……目頭が熱くなってきちゃったよ。
不安からか、意図せず小さく私は呟いてしまう。
「……糸尾は今、何してるんだろう」




