44.ぜんぶ見られたせいだ
「神の名のもとに、裁きを下す。天を満たす光よ、一条に集いて鉄槌となり、大地に巣くう穢れを打ち払いたまえ。……|ユピテル・サンクティオ《神の制裁》!」
高らかに響く神への祈り。
天が裂け、雷鳴が轟き、それすら光に呑まれた。
光の柱が大地を貫き、白いドラゴンの咆哮はまばゆい光にかき消される。
世界は音を失い、ただ白い閃光だけが残った。
焦げた草の匂いが鼻を刺し、熱のゆらめきが遠い蜃気楼のように大地を揺らしていた。
その中心に立つ一人の男。
剣を鞘に納め、風にオリーブグレージュの髪を揺らすカルナの姿があった。
淡い陽光がその輪郭を縁どり、まるで神の遣いのように見えた。
「やあ。無事かい? ザンマ、エリシア」
「カルナ様!?」
「どうしてここに!?」
「もちろん、君たちを助けにきたんだよ。私が来るまで、よく頑張ったね」
「それは助かったけど……」
「大丈夫。もう一匹のドラゴンも、ちゃんと始末してきたよ」
その言葉に僕は思わず息を呑む。
僕が村を出てから今まで、長く見積もっても一時間くらい。
その間にドラゴンを一匹仕留めて、さらにこっちに駆けつけてきたって?
「これが……神の最終兵器、か」
彼がそう呼ばれている理由が、今ならハッキリとわかる。
「その呼び方はやめてくれよ。……肩が凝る」
軽い笑みを浮かべるカルナの横顔に、ほんのわずかだけど疲労の影が見えた。
だけど彼はすぐにいつもの表情に戻って、僕に手を差し伸べる。
その手のひらから伝わる温もりが、僕に戦いの終わりを告げる。
「村も、街も、彼女も救えた。ザンマが時間を稼いでくれたおかげだ」
「……僕なんか、結局アイツを倒しきれなかった。カルナが来るのがもう少し遅かったら僕も、エリシアも……」
間違いなく、あの白いドラゴンによって殺されていただろう。
隣にいるエリシアは、まだ状況を把握できずにきょとんとしている。
そして僕は――重大なことに気づいた。
「…………エリシア。僕は……その」
どう切り出せばいいのか、わからなかった。
彼女は見ていたはずだ。すべてを。
スライムの姿の僕も、人間に戻る僕も。
喉が小さく鳴る。言葉が出てこない。
「ありがとうございます」
「……え?」
エリシアの指先が、そっと僕の手を包んだ。
焼け焦げた空気の中、そのぬくもりだけがどこまでもやさしかった。
「これで二度目です。あなたに助けてもらったのは」
それは純粋な笑顔だった。
恐怖も躊躇いもなく、ただまっすぐに感謝の気持ちだけが宿っていた。
一方で、僕の頭は真っ白になっていた。
息をするのも忘れた。
胸の奥がドクンと鳴り、言葉がどこかへ逃げていった。
彼女は静かに言葉を紡いだ。
「あの日、街道でモンスターに襲われたとき、私は死を覚悟しました。護衛の人はすぐに気を失って、馬車がひっくり返って逃げ場もなくて……。私がいま生きているのは、紫色のスライムさんに助けて貰ったおかげです」
もちろん、覚えている。
あの日のことは一度だって忘れたことはない。
「ずっと不思議でした。神の敵であるはずのモンスターが、どうして人間の私を助けてくれたのか」
それからもう一つ、と彼女は続ける。
「村に来てから気になることが増えました。ザンマ、あなたです。あのイヤな代官を追い払ってくれたのも、木こりのセッソルさんを襲ったコカトリスを退治してくれたのも、きっとあなただと思いました」
全部バレてる!?
まっすぐにこちらを見つめる翠の瞳を直視できない。
「なん……で?」
それが僕にできる精いっぱいの反応だった。
でもエリシアは小さく首を傾げて笑う。
「わかりません。なぜか、そんな気がしたのです。……あっ、もしかしたら、私にも異能力があるのかもしれませんよ」
あながち、ありえない話ではないよなあ。
僕にだって異能力があったんだから。
「だから、スライムさんの正体があなただと知って、私はむしろスッキリしました。不思議に思っていたことが全て腑に落ちて、ホッとしたんです」
「でも……怖くないの? だって僕は、モンスターに変身できちゃうんだよ? スライムだけじゃない、スケルトンやレイスにだって変身できるんだ」
「それがどうかしましたか?」
「どうかって……」
言葉が喉で止まる。
煤けた風が二人の間を抜けていく。
彼女の言葉には一切の迷いがなかった。
その声が静かに胸の奥へと染み込んで、長く心に巣くっていた恐れや孤独を溶かしていった。
「どんな姿でも関係ありません。私を助けてくれたのも、村を助けようと頑張ったのも、ザンマという“人”です。どうして怖がる必要が?」
翠の瞳が、まっすぐ僕を見つめていた。
きっと僕は今、ずっと欲しかった言葉を貰えたんだ。
戦いの跡に風が吹き抜け、焼けた大地の灰が宙を舞う。
灰が陽光を反射し、まるで雪のようにきらめいていた。
その一瞬の静けさの中で、ようやく気づく。
僕は彼女を救うためにここにきた。だけど、
――救われたのは僕の方だった。




