37.ぜんぶ地鳴りのせいだ
それは薄紫の光が広がる夜明け前のことだった。
気の早い鳥が、虫が、いつもの日常を告げようとさえずり始めたそのとき――。
大地の底から、低く低く響く、呻きにも似た唸り声が這い上がる。
次の瞬間。
大きな揺れが村を襲った。
まるで世界そのものが左右へと揺さぶられたようだった。
部屋の棚から、石板が落ちて割れる。
食堂の方からは、いくつもの食器が砕ける音が聞こえた。
「なに!? なにこれ!?」
「なにって、地震に決まってんじゃん! ベッドの下に隠れなきゃっ」
「ああああああん。エリシアお姉ちゃああぁぁん!」
部屋の中はたちまち阿鼻叫喚に包まれた。
隣のベッドで寝ていたマリウスも、いつの間にかこちらに転がり込んできていた。
泣き叫びこそしないものの、すっかり怯えた表情で、僕の服の裾をぎゅっと掴んで離さない。
「大丈夫。きっとすぐに収まるさ」
僕も精一杯の虚勢を張って、マリウスの背を優しく撫でた。
怖い。心臓が喉の奥で跳ね、掌には冷たい汗がにじんでいる。
だけど、僕の感じている怖さは、彼らとは違うものだ。
マリウスたちは得体の知らない恐怖に怯えている。
でも、カルナから“数百年に一度の災厄”について聞かされていた僕にとっては、うっすらと理由を知っているが故の、死に直結した恐怖だ。
部屋にいる子どもたちを励ましながら、心の中では「ああ、これが終わりの合図か」と思っている。
大きな揺れはやがて収まったものの、余震のような小さな揺れが断続的に続いていた。それは地鳴りにも似ていて、ズシン、ズシンとな巨大なものが近づいてくるように、揺れは徐々に大きくなっていく。
ほどなくして、修道女・リウィアが部屋に飛び込んできた。
「皆さん! すぐに外へ! 広場に行きますよ!」
その尋常ならざる切羽詰まった声に押し出され、僕たちはぞろぞろと避難を始めた。
ひんやりと冷たい風が頬を撫でる。
まだ暗い広場に村の人たちが大勢集まっていて、カルナ率いる神殿騎士の一団を取り囲んでいた。
「カルナさま! これは何なのですか!?」
「ああ、終わりだ。世界は終わるんだ」
「助けてください。カルナさま!」
祈る者。泣く者。怒る者。
いつもはもう少し冷静な大人たちが、見るからに取り乱していて、まさにカルナたちに掴みかからんとしている。
だけどカルナは、こんな地獄のような状況でも決して笑みを絶やさない。
「皆さん、落ち着いてください。はい、深呼吸ー。すぅーー、はぁーー。すぅ、すぅ、はあぁぁぁ……。はい、もう大丈夫ですね」
その様子があまりにもいつもと変わらないので、村人たちも少しずつ落ち着きを見せはじめた。小さな静寂が訪れ、やがて誰かがゆっくりと口を開く。
「いったい、この村になにが起きているのでしょうか?」
問われたカルナは、これまで以上にニッコリと笑顔を浮かべる。
「結論から言いますね。いま、この村に――ドラゴンが向かっています」
再びの静寂。
誰もが言葉を失い、そして失笑が辺りを包んだ。
「…………は?」
ドラゴンとはまた大げさな。
みんな口には出さないけれど、そんな弛緩した吸気が流れたのは確かだ。
ドラゴンなんて昔話でしか聞いたことが無い伝説のモンスター。
僕だって、“数百年に一度の災厄”という前振りがなければ、心の中で笑っていたに違いない。
「いやいやいや。まさかそんな。ドラゴンって。そもそも、なんで襲ってくるのがドラゴンだなんてわかるんです?」
「そ、そうですよ。ドラゴンなんて空想上のモンスターでしょう?」
「み、み、み、見たことあんのかよっ!」
信じられない。
そして信じたくない。
そんな感情が入り混じった結果、村人たちは口々にカルナの言葉を否定する。
でも、それも長くは続かない。
カルナが真面目な顔で首を横に振ると、半笑いの表情が固まった。
「ドラゴンは実在します。見たことも、もちろん倒したこともありますよ」
再び広場がざわめいた。
疑いや戸惑いではなく、期待の色を帯びて。
「倒した!? ドラゴンを?」
「そんなバカな。その硬いウロコは剣を受け付けず、そのブレスは大地を三日三晩燃やすというぞ。そんなバケモノを、人間が倒しただと?」
「でも、この人がウソをつく理由なんて……」
広場の話題はいつの間にか『カルナはドラゴンを倒せるのか』にシフトしていた。
「じゃ、じゃあ。そのドラゴンも、カルナ様が倒してくださるんですか?」
「そうだ! 俺たちにはカルナ様がついてる!」
「ドラゴンなんか目じゃないぜ!!」
さっきまでの怯えた様子はすっかり消えて、その何倍もカルナの肩に期待が折り重なっていく。だけどきっと、これくらいのことは彼にとって何でもないことなんだろう。
カルナは口元に小さく笑みを浮かべ、何でもないことのように言う。
「もちろん! 村に向かってくるドラゴンは私が倒します」
「おおっ! カルナ様なら百人力、いや万力だ!」
「ありがてぇ。ありがてぇ」
「カルナ様、ばんざ――」
突如、鼓膜が破れるかというほどの大きな吼え声。
先ほどの唸り声とは違って、妙に耳に残る高音。
そして空気が裂けた。
耳をつんざく咆哮に風が震え、鳥たちは一斉に飛び立った。
顔を上げると、山の反対側から大きな黒い煙柱が立ち上っていた。
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