17.ぜんぶ涙のせいだ
「セッソルさんがコカトリスに襲われたんだってよ」
「ウソだろ。コカトリスなんかがうろついてたら、街に行けないじゃねえか」
「神殿騎士はいつ来るんだよ」
「どうせ、こんな山奥の村は後回しにされるに決まってる。十年前だってそうだったじゃないか」
「まだ冬じゃなかっただけマシさね」
石にされたセッソルさんが、教会に運び込まれた次の日。
村はどこもかしこも、コカトリスの話で持ち切りだった。
共同浴場の前には『しばらくお休みします』と書かれた立て札。
お湯を沸かすためには薪がたくさん必要だから、コカトリスが退治されるまでは浴場を開けないそうだ。
今朝、修道院長がこの話をした時、エリシアがこの世の終わりみたいな顔をしていた。すぐにいつもの真剣な表情に戻ったけど、僕は見逃さなかった。
エリシアはとてもきれい好きだ。
僕は水がたっぷり入った木桶を持って孤児院へと戻る。
温かいお湯は用意できないけど、せめて沐浴には困らないように。
「ザンマさん。お疲れ様です。重かったでしょう?」
「あ、エリシア。なんてことないよ、これくらい」
エリシアの表情が暗い。
翠の瞳を支えている涙袋の下に、黒いクマができている。
「夜、寝てないの?」
「……ザンマさんに気づかれてしまうようでは修道女失格ですね」
「コカトリス、怖いよね」
村は神石に守られているとはいえ、近くに凶暴なモンスターが出没するのだから、怖いに決まっている。
だけど、エリシアは静かに首を横に振った。
「いいえ。コカトリスなど怖くはありません。神は必ず、私たちをお救いくださいますから。昨晩は寝ずの祈りを捧げていたのです。少しでも早く、この村に神のご慈悲を賜れますように、と」
僕はなんてバカなんだろう。
僕が見ていたのは彼女の外見だけだったんだ。
どんなに疲れていても彼女の心は真っすぐだ。
エリシアの翠の瞳には、どこまでも清らかで、強い光が宿っていた。
「早く解決して貰わないと、温かいお風呂に入れませんし、ね」
イタズラっ子のように小さく舌を出してはにかむと、エリシアは小走りで孤児院へと入っていく。その言葉が照れ隠しであることくらい、僕にも分かった。
見習いといえど、彼女は立派な聖職者の心を持っている。
自分よりも村とそこに住む人々を優先し、彼らの幸せを祈ることができる人。
遅れて中に入ると、エリシアは大食堂で小さい子ども達に捕まっていた。
「エリシアお姉ちゃん、怖い。怖いよぉ」
「コカトリスって人を石にしちゃうんでしょ?」
「村には入って来ない? 寝てる間に石にされちゃったりしない?」
半泣きで修道服を掴む子どもたちを、エリシアは優しく撫でる。
「大丈夫。この村は神さまに守られていますから。コカトリスなんて、すぐに神殿騎士がやっつけてくれますよ」
「ホント?」
「ええ。本当ですとも。ほら、ゆーびきーり、げーんまん♪」
右手の小指を絡ませて約束の唄を口にするエリシアの、もう片方の手が小さく震えていた。
笑顔もどこかぎこちないように見える。
まるで涙がこぼれないように我慢しているような表情だ。
少し前、この村に代官が来たときのことを思い出した。
足蹴にされている僕と、うずくまるマリウスの前に飛び出して、『どうかこの者たちに御慈悲を!』と泣きながら頭を下げてくれた彼女の姿が、まぶたの裏にしっかりと焼き付いている。
彼女が涙を流すのは、いつだって他人のため。
今もきっと、子供たちのための涙をこらえているに違いない。
「エリシアお姉ちゃん、なんだかちょっと辛そう」
背後から声がした。振り向くとマリウスが立っていた。
「マリウス。お前、部屋から出ても大丈夫なのか?」
「うん。こんな大変なときに、いつまでも引きこもってられないし」
マリウスの口から発せられた言葉も、少し震えていた。
怯える心にふたをして、なんとか部屋から出てきたんだろう。
彼もまた、戦っている。
「ねえ、ザンマお兄ちゃん。エリシアお姉ちゃんを助けてあげらんないかな?」
「……ああ。そうだね。今度は僕たちが、エリシアを助けないとな」
「俺、エリシアお姉ちゃんのところに行ってくる! ……ザンマお兄ちゃん、なんだかちょっと頼もしくなったな。まあ、俺ほどじゃないけどっ」
「え? ちょっと、それどういう意味――」
言い逃げするマリウスの背中を目で追いながら、僕は自分の心に問いかける。
彼女を助けるために、僕になにができるだろう。
考えるまでもない。
そんなの、一つしかないじゃないか。
「僕がやる、コカトリスは……僕が倒す」
お行儀よく、神殿騎士が来るまでの順番待ちをするくらいなら。
モンスターに変身できる、この能力を使って。
「エリシアの笑顔を取り戻す」
僕は自分に言い聞かせるようにつぶやき、ぐっと拳を握りこんだ。
身体が少し震えている。
心臓もバクバクと音を立てて脈打っている。
怖い。恐い。コワイ。こわい。
これまで魔の森でモンスターと戦ってきたけど、神殿騎士を呼ばないといけないほど強力なモンスターを相手にしたことはない。
文字通り、命懸けだ。
それでも。やらなきゃいけない。やるしかない。
僕は僕にできることを。
この村は今、誰もが不安と戦っている。恐怖と戦っている。
これから訪れるであろう我慢の日々に怯えている。
そして僕には、みんなを救えるかもしれない力がある。
夜になれば、村は静かに眠る。
モンスターに変身する力を調べるため、何度も夜の村を抜け出してきた。
月明かりの下の夜遊びは、僕の得意分野だ。
でも今度は遊びじゃない。
エリシアの笑顔と、子どもたちの安心と、村の平穏を取り戻す。
そのために――。
カクヨムにて先読み更新中
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