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14.ぜんぶオバケのせいだ


「ひーきーかーえーせー」

「ひーきーかーえーせー」

「ひーきーかーえーせー」


 デキムスの耳元で繰り返し、女子供に特有の高い声がする。

 透けた気体の塊のようなものが、デキムスの背から腹へと抜け、上空をくるくると回る。


 空気がどんどん冷え込んでいく。

 一方で、デキムスの思考は徐々に覚醒してきた。


(くそっ、なんだこれは。引き返せ、だと? まさか村人からの嫌がらせ……いや、ありえない。このようなこと、高位の精霊魔術師を何人も雇わなければ不可能だ。こんな田舎の貧乏村にそんな金があるはずもない)


「ひ、き、か、え、せ」

「ひきかえせ」

「…………ヒキカエセ!!」



 耳元でささやく声は止まる気配をみせず、デキムスを苛立たせるには十分な効果を発揮していた。


あはひおあへうあよ(わたしをなめるなよ)。|へっはいひかえっへはほやふほほか《ぜったいにかえってなどやるものか》」


 頭も身体も動かせない。口は動かないが、なんとか舌だけは動く。

 すぐ近くに自分を襲っているナニカがいると確信して、デキムスは精一杯の強がりを口にする。


 本音を言えば、さっさと帰りたいのはデキムスだって同じだ。

 視察なんてものが必要なければ、こんな山奥になど来たくはなかった。


 村に着いて早々、汚らしい孤児にお気に入りのズボンを汚されて最悪の気分で視察を始めることになってしまったし、宿は事前に予想していた粗末さの四割増しで粗末だった。


 村の娘だって、せっかくここまで来たなら手を出しておこうと思うくらいで、街にはもっと垢抜けた女がいくらだっている。


「………………」


 声が止んだ。

 しかし、夜の静寂があたりを包み込んだのは、ほんのわずかな時間だった。


 ガタ、ガタガタ。

 何かが揺れる音。


 顔が動かせないから、デキムスには何が起きているのか確認することができない。

 目を動かす代わりに、じっと耳を澄ませる。


 スーッ、パタン。


(引き出し、いや戸棚を開けて……なにかを探している? なにを?)


 シュッと金物が抜ける音。


(……まさか!?)


 答えはすぐにわかった。


 視界の端に、光るものが見えた。

 月明かりに照らされているのは短い刀身だった。


 デキムスがいつも携帯している短刀が、ふわり、ふわりと闇の中に浮いている。

 その切っ先がデキムスの方を向く。


 顔の正面に切っ先を向けられたデキムスの額に、じわりと嫌な汗がにじみ出る。


(は、ハッタリだ。できるわけがない)


 自分を殺すつもりなら、こんなに回りくどいことなどせずに、眠っている間に刺し殺してしまえばいい。


 それをしないのは、どういう理由かは分からないが、デキムスを殺すつもりがないということ。


 勢いよく迫ってきた短刀は、バスッと音を立ててデキムスの真横に刺さった。

 見えなくとも、耳のすぐ隣に刃が刺さっていることが分かる。


こ、こんはほほへ(こ、こんなもので)|お、おほひはっへふはは《お、おどしたってムダだ》」


 突き刺さった短剣がスッと引き上げられ、今度は反対側の耳の横に刺さった。


「つっ」


 なにかが触れた感触に思わず声が出る。

 麻痺しているから痛みはほとんど無い。しかし、だからこそ恐ろしい。


 この短刀がどれくらい深く自分を傷つけているのか、知覚できないことが逆にデキムスの不安を掻き立てる。


(まさか、本当に刺した!?)


 再び浮き上がった短刀が視界から消えた。

 それからすぐ、今度はデキムスの手首に何かが触れた感触が伝わり、ズブリッと刃が深くマットレスに突き刺さり、シーツが裂ける。


 続けて、反対側の手首にも同じ感触。

 さらに太ももの内側、首元と、切られれば急所となる部位の近くに短刀が刺さる。その度にベッドがギシリと揺れた。


 ダラダラと冷や汗が流れる。

 もしかすると、すでにベッドは赤く染まっているかもしれない。


 血の気が引き、身体がみるみる冷えていく。

 目の前がぼんやりとかすんできた。


 これが失血のせいなのか、恐怖のせいなのか、デキムスには判断できない。


はへっ(まてっ)! はっへくへ(まってくれ)!」


 動かない口を必死で動かし、動きを止めるよう懇願する。

 姿の見えない何者かに向かって。


あはっは(わかった)あはっはかは(わかったから)へへいく(でていく)! ひゅぐいへへいく(すぐにでていく)! はかあほう(だからもう)やへへくえ(やめてくれ)!!」


 短刀は再びデキムスの視界に入り、ゆっくり両目の中心へと近づいてくる。


 切っ先が眉間に触れた。


「ひいぃっ!」


 情けない声が部屋に響く。

 再び大きく距離を取った短刀は、デキムスの頭の上、枕元へと一気に突き刺さり、そのまま動きを止めた。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」


 ベットリとした汗をかきながら、荒い息を吐き、ただ天井を見つめ続ける。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。

 眠ることができないまま、ようやく自由になった自分の身体を動かし、デキムスは耳、手首、太ももと、我が身の状態を確認する。


(出血は……ない。短刀もない。夢、だったのか。……いや)


 マットレスを触ってみると、指先が布の裂けた感触を捉えた。

 昨晩の痕跡、刃物が突き刺さった跡がしっかりと残っている。

 枕を見れば、やはり上部が大きく裂けている。


 昨晩の記憶がよみがえり、背筋に冷たいものが走った。


 身体に被害がなかったから良し、とできるほどデキムスの精神は強くない。

 村に滞在している間、毎晩、毎晩、同じようなことを繰り返されたら気がおかしくなってしまう。



 デキムスは当初の視察予定を大幅に変更し、陽が登るとすぐに村を出立した。

 目の下に濃い隈を作った代官が、逃げるように去っていく姿を、村人たちは首を傾げて見送った。



カクヨムにて先読み更新中

→https://kakuyomu.jp/works/16818792437653682620

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