11.ぜんぶ野イチゴのせいだ
「ほらっ、エリシア姉ちゃん。こっちこっち」
「待って。待ってください。マリウスさん。はぁ。はぁはぁ」
いま私は、四歳下の男の子、マリウスを追いかけて走っています。
事のはじまりは「エリシア姉ちゃんに村を案内してあげる!」という彼からのお誘いでした。
ちょうど、修道女見習いの仕事に一区切りがついたタイミングということもあり、「あら、ありがとうございます」なんて安請け合いをしてしまったのが運の尽きでした。
林に入ってドングリ独楽を教えてくれたかと思えば、小川に移動して葉っぱの舟でレースをはじめ、石切りに興じていたかと思うと、今度は丘までダッシュで登りだしました。
こっちはドングリを見るのも初めてですし、葉っぱで舟を作ろうなんて誰が考えたのかと驚くことばかりですのに、ゆっくり驚いているヒマもないくらい忙しく走り回るのです。
山育ちの男の子というのは、誰もが皆こんなに元気なんでしょうか。
息を切らしてたどり着いた丘の上には、ロープで木に括りつけられた木板がひとつ。
どうやらお手製のブランコらしく、しかも先客がいました。
「あっ、ザンマ兄ちゃん!」
名前を呼ばれた男の子が、ブランコからヒョイと飛び降ります。
私がここに来てすぐの頃、孤児院を案内してくれた、あの赤毛の男の子です。
「おっ、マリウスじゃん。エリシアに遊んで貰ってるのか?」
「違うよー。俺がエリシア姉ちゃんに村を案内してあげてんだ」
乗り手がいなくなったブランコが、ギシギシと音を立てながら、振り子運動を続けています。
「そっか、そっか。……エリシアも、忙しいだろうにマリウスに付き合ってくれてありがとう」
「はあ、はあ。……いえ、とても、興味深かった、です」
息も絶え絶えに返事をする私に、ザンマは「無理しないでね」と一言。
「ザンマ兄ちゃん! 野イチゴ! 野イチゴ食べようよ」
「ああ、いいよ」
「エリシア姉ちゃんも行こう! 秘密の場所を教えてあげる!」
言うや否や茂みに向かって走りだしたマリウスを「は、はい!」と追いかけようとすると、
「走らなくても大丈夫だよ」
背中からやさしい声がしました。
「え?」
「場所はすぐ近くだし、マリウスは待っててくれるから」
ザンマの言うとおり、マリウスは茂みに入ってすぐのところに立っていました。
すでに赤い木の実、野イチゴを摘みはじめているようです。
私たちが近くに寄ると、マリウスは上機嫌に左手いっぱいの野イチゴを差し出してきました。
「はい! 二人の分!」
「お。ありがとう」
「え? そのまま? ……食べるんですか?」
驚いた顔をしている私とは対照的に、二人はきょとんとした表情。
「あ、エリシアって、もしかしてジャム派だった?」
洗わずに食べてしまうのか、という意味だったのですが……。
「いえ。……いただきます」
野に生えているものをそのまま口にするなんて、これまでの人生で一度だって経験したことがありません。
しかし、これもまた神が私に与えた試練。
……とまで言うと大げさかもしれませんが、私にとってはそれくらい勇気が必要なこと。
怖さ七割、興味が三割。
なんだかいけないことをしているようで、心臓がドキドキしてきました。
私はマリウスから受け取った一粒の野イチゴを、恐る恐る口に運びます。
薄い毛のようなものが舌に触り、奥歯で噛むとじわっと酸っぱい果汁が口の中に広がっていきます。
「おいしい?」
不安そうに私の顔を見つめるマリウスの目。
「ええ。美味しいです」
そう答えると、マリウスの顔がぱあぁっと明るくなりました。
「ほんと!? 良かったぁ。俺、野イチゴを修道院長と修道女にも持っていくから。エリシアお姉ちゃん、また後でね」
「え!? あ、そんなに急いで行かなくても」
「マリウス! 両手が塞がってるときに走ると危ないぞ!」
野イチゴを両手で掬うように持ち、マリウスが走っていきました。
丘を降っていくマリウスを、私はザンマと一緒に追いかけました。
「はあっ、はあっ、……きゃっ」
でも、どうやら私の足はとっくに限界を迎えていたようです。
前に出すべき足がなぜか横にふらついて、私は足がもつれてしまいました。
ここは丘の上。
転べば、下までノンストップで転がり落ちてしまうことでしょう。
きっと怪我もするし、修道院長や修道女の呆れた顔が今から浮かんできます。
しかし、私には前方に引っ張られるこの身体を止める術がありません。
グッと目をつむり、この後に襲ってくるであろう衝撃に備えます。
その瞬間、私の右腕がガッシリと固定され、前方に傾いていた身体もバランスを取り戻しました。
「大丈夫?」
ゆっくり目を開けると、ザンマが私の右腕を掴んでいました。
二つも年下の男の子。
だけど、力は私の何倍も強い男の子。
その力強さとは対照的に、そっと、やさしく右腕が解き放たれました。
掴まれていたところが、じんわりと熱を帯びていきます。
その熱が伝わったのか、顔まで熱くなってきました。
あっ、先に、お礼を言わなきゃ。
「あの、ありがとう、ございます」
しかし、すでに彼の姿はありませんでした。
下を見ると、まるで風の精霊のように丘を駆け下りる彼の背中が見えました。
いつの間にそんなところに、と思ったのも束の間、私は彼の向かっている先に広がる光景に言葉を失いました。
まるで血が飛び散ったように、地面を赤く染める野イチゴ。
その横に転がっている――マリウスの小さな身体。
何があったのでしょうか。お腹を押さえてうずくまっています。
ただ転んだだけではない、と一目でわかりました。でも、
「いやあああああぁぁぁぁぁっ!!」
胸を締めあげるような恐怖に、私はただ悲鳴を上げることしかできませんでした。
カクヨムにて先読み更新中
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