9.ぜんぶ田舎のせいだ
「じゃーん。ここが大食堂だよ」
「大食堂……」
そこは“大”という名を冠するには、あまりにもこじんまりとした食堂でした。
村の規模を考えれば十分すぎる大きさなのでしょうけど、街から来たばかりの私にとってそれは、街から田舎へと移ってきた現実を、容赦なく突きつけられたようで、危うく嘆息を漏らしてしまうところでした。
「と言っても、ほかに食堂があるわけじゃないんだけどね」
「ここに皆さん集まって食事をとるのですね」
「うん、そうだよ。……あ、そうそう。お手洗いは大食堂の隣にあるから」
修道女・リウィアから、私に孤児院の中を案内する役目を押し付けられた彼は、ザンマ=グレゴリオ。
田舎の少年にしては目鼻立ちが整っていて、少し印象に残る顔立ちをしています。
中でも特に目立つのは、赤毛にヘーゼルブラウンの瞳。
本人が知っているかは分かりませんが、赤毛は貴族階級に多い髪色です。
彼が孤児となった理由を想うと、胸の奥がキュッとしますが、ことさら珍しいことでもありません。
歳は十二歳だと聞きましたから、私の二つ下ということになります。
二人きりになってからずっと、彼は私にくだけた言葉遣いで接してくるのですけど、これはこの孤児院独自の文化なのでしょうか。
街では、年上の女性に向かってこのような言葉で話す人がいなかったので、少しだけ面食らっています。もちろん態度に出すような無様は晒しません。
「ここは寝室。僕らはみんなここで寝るんだ」
「えっ! みんなで!? ……ですか?」
「うん。そうだよ……、あっ! もちろん男女は別だから安心して」
気にしてるのはそこじゃないのっ! 変な感じに気を回してるのも逆にモヤる!
と、思わず乱れた言葉遣いを口に出してしまいそうになりました。
危ない。危ない。そんなはしたない姿を見せては、神さまに顔向けできません。
そもそも、男女別室なんて当たり前のことです。
同室の可能性なんて考えもしませんでした。
私が驚いたのは、みんな同じ部屋という信じられない事実。
プライバシーなんてどこにもないじゃありませんか。
……最悪です。
なぜって、見習いの間は私もこの孤児院で暮らすことになっているんですから。
私はこれまでずっと、街の修道院で見習い修業を続けてきました。
正式に修道女となるまであと一年。
現地研修として送り込まれたのが、この修道院というわけです。
つまり、一年間はこの孤児院で暮らすということ。
「それで……女子の寝室なんだけど」
立ち止まったザンマが、廊下の先を指で差します。
「あの廊下の先にあるんだけど、僕はここから先に入れないから」
「わかりました。あとで自分で見に行きますから、大丈夫です」
ホッとした様子で、ザンマは方向転換して別の廊下を歩んでいきます。
「こっちが炊事場で、あっちが洗濯場。修道女と一緒に、僕たちも当番制で炊事や洗濯をするよ」
「わかりました」
「礼拝室と講義室は教会にあるから、このあと見に行こうね」
「はい」
礼拝室は文字通り日々の礼拝を行うための部屋。
講義室は聖職者に必要な“神学”を学ぶための教室。
いずれも立派な修道女になるために、必要不可欠な施設です。
「よしっ。孤児院の中はだいたいこんなものかな」
えっ!? ウソでしょう? 本当にこれで終わりですか?
まだ重要な施設の場所を聞けていません。
ザンマが案内をし忘れたのかもしれません。
これは私の尊厳に関わる重大な問題です。
教会へ向かおうと、くるりと背を向けたザンマの袖を、私は慌てて掴みました。
「あっ、あの! ……お風呂はどこにあるのでしょうか?」
「え? お風呂? ないよ」
「………………」
絶句してしまいました。
まさか。まさかまさかまさか。お風呂がないだなんて。
街の修道院にいた頃は、週3回の沐浴日には必ず湯に浸かることができました。
それが……お風呂がないですって!?
もし「桶で水浴びをしなさい」なんて言われたら、私はきっと耐えられません。
目の前がグラグラと揺れて、気持ちが悪くなってきました。
「村に共同浴場があるから、そこに行くんだ」
「…………あっ。そうなんですね」
セーーーーッフ!
あっぶない。修道女見習いをやめて街に帰ろうかと本気で悩みましたよ。
この地に来て一番の衝撃でした。
心臓に悪いので大変困ります。
……いいえ。
実のところ、この地に来て一番の衝撃は、別にありました。
昨日の、あの出来事に勝る衝撃は、この先もそう巡り合うものではないでしょう。
このことは誰にも話しておりません。
私と、馬車に同乗していた案内人の二人しか、この事実を知る者はいないのです。
だって、こんなことを他人に話したら、良くて嘘つき扱い。下手をすれば、異端者認定されて火あぶりにされてしまうかもしれませんもの。
この村を目指す途中、神の敵から襲われた私を救ってくれたのが、別の神の敵だったなんて。
あれ以来、一瞬だけ目が合った――スライムの核を目と呼ぶのが正しいのか分かりませんけど――紫色のスライムのことが、いつまでも頭から離れないのです。
どうしてこんなに気になってしまうのか、自分でもよくわかりません。
私たちを助けてくれたあのスライムは、一体、なんだったのでしょうか。
カクヨムにて先読み更新中
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