1.ぜんぶ夢のせいだ
――ある朝、ザンマ=グレゴリオが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上でスライムになっているのに気づいた。
……いや。気づきたくなかった。
違和感を覚えたのは、朝の目覚めにグイッと背伸びをしようとして……できなかったときだ。
右手、動かない。
左手、もちろん動かない。
右足も左足も、頭さえ動かせない。
……なにこれ。え?
どういうこと?
夢? 夢だよな?
そうだ、きっとこれは夢だ。頼むから夢であってくれ。
ほっぺでもつねって……、ダメだ。つねれない。だって指がないんだもの。
そうだ。もう一度眠ってみるのはどうだろう。
次に目が覚めたら、すっかりいつも通りってこともあるんじゃないだろうか。
名案だと思ったのだけど、全然うまくいかなかった。
というのも、どうやっても目を閉じることができないのだ。
どうやら、今の僕にはまぶたがないみたいだ。
僕は大きくため息を……つけなかった。
口がない。
なんということだ。僕はため息さえつかせてもらえないのか。
ため息どころか、呼吸もしていないことに気づいた瞬間、背筋が凍った。
ウソだ。背筋も何も、僕にはもう骨すらないっぽい。
とにかく身体を動かそうとあちこち力を入れてみたところ、なんとか胴体だけは動いてくれた。
手足を縛られた状態で、イモムシが這うように、ずるりずるりと身体を動かす。
身体が流れるように動く感覚。なんだかすごく、気持ち悪い。
目をぐるりと回して、辺りを確認する。
すきま風が入ってくる壁の穴。
染みだらけの天井。
粗末で硬いベッドに薄汚れたシーツ。
隣のベッドには二つ年下の男の子、マリウスが寝ている。
声が大きくて、いつも騒がしいマリウスも、寝ているときだけは静かだ。
マリウスはとても寝相が悪くて、今も頭と足が逆さになっている。
ベッドから落ちずにどうやって回転しているのか、いつも不思議でならない。
とにかく、ここは間違いなく僕たちの部屋だ。
…………いや、待って。
なんで全方位を余すことなく見えちゃってんの?
頭が動かせないのに目だけは動く。
それも上下左右にぐるんぐるんと、自由自在に動き回る。
視界がぐるりと揺れ、青く霞んで、光が滲む。
景色の輪郭が水に溶けるみたいに歪んで見えた。
そのうえ、全体が小刻みにゆらゆら揺れて……違うな、揺れているのは僕の方だ。
ああ、なんだかすごく嫌な予感がする。
心臓がドクドクと波打って……ないな。それどころか心音が全くしない。
なのに僕は生きている。動いているし、思考もしている。
これは夢か現実か。
その答えはわからないけれど、今の自分の姿はなんとなく見当がついてきた。
できれば予想が外れていて欲しいのだけど……。
いつまでも先延ばしにしているわけにもいかない。
答え合わせをしにいこう。
動くたびに、自分という存在がゼリーみたいに広がっていく、不思議な感覚。
ベッドの端から、ぴょんと跳ねてみる。
なぜか妙に弾力がある。
ゴム玉みたいに弾んで、軽く床に着地した。
そのまま床を跳ねながら移動する。
ズルズルと身体を引きずるよりも、圧倒的に動きやすい。
向かうは部屋の隅。
ここは孤児院で、鏡なんて高級品はもちろん置いてない。
じゃあ、どうやって自分の姿を確認するのかというと、この桶だ。
朝起きたらすぐに顔を洗えるように、桶には夜のうちから水を張ってある。
僕は身体を縦に伸ばして、ゆっくりと桶の中を覗き込もうとした。
したんだけど、姿が見える直前で動きを止めた。
怖い。
怖い。怖い。
怖い……怖い怖い怖い怖い怖いっ!
見てしまったら、もう二度と戻れない気がした。
桶の水に映った姿が、もしも僕の予想どおりだったなら。
それは“神の敵”に成り下がるということだから。
目を逸らせば、まだ昨日までの僕でいられる。
そんなはず、ない。……わかってる。
知らないままでいるのは、ただの現実逃避でしかない。
目を逸らしたら、終わりだ。
僕は確かめなくてはならない。今の自分自身を。
手も、足も、声も、心臓さえも失った僕が、それでも生きて動いている僕が、人間の姿をしているはずがないのだから。
僕は意を決して桶の中を覗き込む。
水面に揺れたのは、ありえないほど滑らかな、丸くて青い塊。
「わあああああっ! スライム! スライムがいるぞ!!」
マリウスの絶叫が部屋中に、いやきっと孤児院の端から端まで響き渡った。
彼の視線は、はっきりと僕を見つめていた。
目をぐるぐると動かして、マリウスと桶の中に映った自分の姿を見比べる。
ああ、やっぱり。
僕は、人間じゃなくなっていた。
――スライム。それが、今の僕だ。
うん。言葉は発せないけど、もう一度、言わせてもらおう。
……え? どういうこと? マジで。どうすんの、これ。
カクヨムにて先読み更新中
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