最初の独占欲。─リアン視点─
自分の顔が嫌いだった。
誰もがもてはやす、この顔が。
整っていることも、恵まれていることも分かってる。
──だからこそ、なおさら嫌だった。
鏡に映る自分の顔を忌々しく思いながら、髪を整える。
(キラキラと光る絹糸のような髪に、朝露を纏うなんとか……あと何て言ってたっけ)
この間、俺を女と勘違いして口説いてきた男の、身の毛もよだつ口説き文句を思い出しながら支度を終える。
「……ほんと、気持ち悪」
外見だけで近寄ってくる奴らが、心底嫌いだ。
自分から言い寄ってきたくせに、俺が男だと分かった瞬間、騙されたとか、勝手に怒って逃げていく。
それでもいいって奴が一番タチ悪いけど。
(お前が良くても俺が良くないんだよ、馬鹿が)
舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、目を閉じ深呼吸一つ。
(──よし)
次に目を開ければ、鏡の中には仏頂面じゃなく、柔和な笑みを浮かべた“理想の坊ちゃん”が出来上がってる。
これがローベルト家の“ご子息”の作り方ってやつ。
「リアン様、ご当主様がお呼びです」
「うん、今行くよ」
呼びに来た執事に礼を言うのも忘れない。
そういうのは、積み重ねが大事って知ってるから。
父と母は玄関ホールにいた。
様子を見るにどうやら出かけることろだったようだ。
「お呼びだと聞きましたが、お出かけですか?」
声をかけると母が俺そっくりの顔でニコリと微笑み、答える。
「ええ、贈り物を選びに行くの。たまには一緒にどう?」
「そうですね……」
俺は少し悩んだ。
街に出たところでいい思いをした覚えなんて何一つ無い。
男に囲まれるか女に囲まれるか、たったそれだけの違い。
だったら無駄な労力を割かないで家にいた方がいい気もした。
(でも──何かがおかしい。どうしても……行かなくちゃいけない気がする)
起きたことのない胸のざわめきに誘われるまま、俺は滅多に出ない街へ足を運ぶことにした。
*****
(これだ、きっと──これが俺が街に行った理由)
俺の目の前には一人の少女が眠っている。
明らかに栄養が足りていなさそうなガリガリな体。腕なんて枯れ枝の方がマシなくらい細い。
髪だって痛んでいてボサボサだし、お世辞にも可愛いなんて言えない。
(……なのに、不思議と目が離せなかった。まるで、そこにだけ世界が集まっていたみたいに)
歩いている道に落ちていたコイツを見つけた時、どうしても拾って帰らなきゃ、と思った。
心拍が上がって自分が興奮状態になるのが分かった。
理由は分からないけど、確かに俺はコイツに人生で初めての気持ちを抱いたんだ。
(あんな気持ちを持った理由は未だに分かんないけど、コイツとしばらく一緒にいたら分かるかも)
父と母にはコレを飼いたい……じゃなくて、助けたいって伝えたらあっさりいいよって言ってくれたし、これから調べていけばいい。
(壊れてるなら、直してみたい。直らなかったら──元の場所に戻せばいい)
そんなことを考えていると、小さな唸り声を上げて少女が目を覚ました。
「……?」
「おはよう、よく眠れたかな?」
状況を呑み込めていない様子の彼女へ声をかける。出来るだけ、優しくを意識して。
そして水底をのぞき込むような深いエメラルドグリーンの視線が俺を捉えて──
「……!」
「……っ」
息を吞んだ。
彼女も俺も。
彼女は単純に驚いたからだろうけど、俺は違う。
はっきりとコレだ、と分かった。
一体何が何だか分からない。
けど、俺の中の何かがコレを離すなと叫ぶ。
(こんな気持ち初めてだ……)
でもけして不快感ではない。むしろ心地良い感情。
「……こ…」
「ん? 何かな」
驚いたまま固まっていた彼女が口を開く。
「こんな綺麗なお姉さん初めて見た……」
「……」
ほんともう──(聞くに堪えない罵詈雑言)──してやろうかと思った。
「…そう? ありがとう」
あまりにもイラついたので、しばらくお望み通りお姉さんとして付き合ってやろうと思った。
*****
その内、アリアは、俺の“妹”になった──もちろん、俺がそう決めた。
アリアって名前をあげたのも俺。コレは俺が拾ったんだもの、当然俺が名付けるべきでしょ?
俺が男だってことは周りに軽く口止めしておいた。
早くバレたんじゃつまらないからね。
だけど……。
「リアン? お姉さんが、リアン・ローベルト、なの?」
俺の名前を初めて知った時だった。
アリアが何故か顔を真っ青にして俺を見ていた。
「うん、そうだけど、私の名前がどうかした?」
「……ヒロイン…」
そんな言葉を呟き、ふらふらと立ち去ってしまった。
それからだった。
アリアが俺を避け始めたのは。
「アリア」
「お、お姉さん、大丈夫です! 邪魔しません!」
「一体何の邪魔なの?」
俺の疑問に答える前にあっという間に逃げてしまうアリア。
俺からは逃げるのに、弟のルクルからは逃げない。
俺に向けたことのない、眩しいくらいの笑顔を浮かべて──まるで、最初から俺なんかいなかったみたいに。
(なんか……面白くないな)
とても気分が悪い。
俺の中で、今までとは違う色の感情が芽を出しそうだった。
言葉にするなら──“拾ったのは俺だ”という所有欲。あるいは、それよりもっと厄介な何か。
*****
「は? 意味が分かりません。もしかしてこの国の王子って頭悪い?」
「あらあら、リアン。イイコの仮面取れてるわよ」
「母様たちの前だからいいんです。多少取れたって構わないでしょう? そもそも下らないことを言ってくる方が悪いのでは?」
送り付けられてきた勝手な婚姻状を破り捨て、その上で踏みつける。
送り主は王子シリウス・ラインハルト。そしてあて名は──アリア・ローベルト宛。
「確かにねぇ。アレでも王子様だからって、ちょっとくらいはマトモかと思ったんだけどね」
「だからもう直接お前が現実を知らせた方が早いと判断した」
両親は苦笑いだが、俺は苦笑いどころじゃない。
「それこそイイコの仮面剥げますけど、それでもいいのであればお相手しますよ」
今回の経緯はこうだ。
まるで地上に生れ落ちてしまった女神のように美しいといわれているローベルト家の令嬢に目を付けた王子が勢いかなんか知らないけど突然婚姻状を送り付けてきたと。
恐らく目的は十中八九、俺。けれど、ローベルト家にいる令嬢はただ一人、アリアだけ。
外見の情報は持っていても名前までは知らなかったのだろう──いや、案外別に名前なんてどうでも良かったのかも知れない。興味があるのは外見だけなんだろうから。
で、そんな勘違いからアリアを俺だと勘違いした馬鹿な王子から婚姻状が届いたという話。
(しかも求婚じゃなくて婚姻ねぇ……)
じわじわとどす黒い感情が沸き上がる。
勘違いとはいえ、少し痛い目を見せた方が良さそうだ。
*****
少し潤んだ目元にほんのり染まった頬。ふんわりとしたシミ一つない純白のドレス。
鏡の中には完璧に儚げな美少女がいた。
今ならどんな男だろうが、女だろうが落とせる自信があった。
(俺がちょっと本気を出せばまぁこんなもんだよね)
お望み通り、ローベルト家の令嬢が王子のお相手に向かいますよ、と。
*****
愛想笑いをしながら適当に王子の相手をして、第三王妃にしてやるだのなんだの下らない話を聞いて、いつネタ晴らしをしようかと考えていた時だった。
「だ、ダメ!」
「……アリア?」
俺の前に小さな体で両腕を広げるアリアがいた。
プルプル震えている姿は小動物のように愛らしいのに、必死に俺を守ろうとしてくれているのが伝わってきた。
「なんだコイツは」
シリウスが自分と俺の間に立つアリアに対して酷く不快そうな声を上げる。
「退け、今誰の前に立っているのか分かってるのか?」
腐っても王子なようで、アリアに告げる言葉には王族としての気迫が込められていた。
しかしそれでもアリアは引かず、むしろ涙目でシリウスを睨みつけていた。
「ちゃ、ちゃんと……ちゃんとした王子様だったら…あの本みたいなカッコイイ王子様だったらお姉さんを任せられたのに! 今の王子様じゃお姉さんは幸せになれないから渡せない!!」
「何を言ってるかよく分らん」
(うん、俺も分からない。けど)
俺の幸せを守ろうとしてくれてるんだ、とは理解出来た。
(危ない。顔がにやけそうになる)
この暖かい感情に浸るのはまず、目の前のことを片付けてから。
「よく分からないが、馬鹿にされていることは分かったぞ。子供だろうが、王族を侮辱するなど許せん。罰を──」
「ちょっと失礼しますね、シリウス様」
お付きの騎士に指示を出そうと振り上げられたシリウスの手を掴む。
「お、おい! 何をする!!」
「いいから黙って来て下さい。余計な手間を取らせないで」
そのままずるずると木陰へ連れていく。
そして数分もしないうちに、茫然自失状態のシリウスはローベルト家を後にした。
「……お姉さん、一体何をしたんですか?」
「んー、秘密にしておこうかな」
男性だけがもってるものをちょっと見せただけだけどね。
アリアにはまだ刺激が強いから内緒。
*****
一緒にいるうちにどんどん欲しくなっていく。
ちょっとずつ。
その内、全部。
*****
「──寝過ぎちゃったか」
どうやら仕事をつめこみすぎたみたいだ。
こんなに寝てしまうなんて。
もうすっかり日が高い。
使用人たちも気を利かせて起こさないでいてくれたようだった。
「なんだか懐かしい夢を見たな」
あの時から俺はアリアを特別な存在だと認識するようになったんだった。
(まぁあの頃と、気持ちもだいぶ変化してしまったけど)
愛おしい。一緒にいたい。
そんな可愛らしい気持ちから、俺だけのものにしたいというどろどろとした独占欲に。
「……お出かけかな、アリア」
まだはっきりとしない頭、けれどアリアの声だけはどんな状態でも分かる。
窓へ近寄ってサッシに寄りかかりながら下を見る。
玄関に続く小道にはルクルとアリアが見えた。
ミルクティー色のふんわりとしたウェーブの長髪を揺らしているところを見ると機嫌が良いようだ。
光に溶けてしまいそうな笑顔が眩しすぎて、俺は軽く片手で目を覆う。
楽しそうに並んで歩いている姿にじわりと嫉妬が滲んでいく。
(……あの笑顔が俺にだけ向けばいいのに)
気持ちはどんどん強くなっていく。
いつの間にか目覚めた手に入れなればならないと独占欲は、ローベルト家なら受け入れなければならないものだと教えられた。
この渇きを抑えられるのは自らが血の導きによって選んだ者だけなのだとも。
(うるさいな、いい加減黙ってくれよ)
頭の中の声は止まない。
むしろ日に日に強くなっていく。
手に入れろ。縛りつけてでも自分のものにしなければ。
(うるさいうるさいうるさい)
こんなのただの呪いだ。
心の奥底からあふれ出る醜い汚泥のような想いを必死に押し込める。
「怖がらせたく、ない。嫌われたくもないのに」
兄離れ。
その言葉を聞いた時、もうこの想いに身を任せてしまってもいいのかもしれないと、思ってしまった。
(あの笑顔を、誰にも渡したくない)
(手に入れることが罪なら、せめて閉じ込めてしまいたい)
──先程夢に見た幼いアリアの姿が脳裏に浮かぶ。
小さくてガリガリだった野良猫のようなアリア。名付けて妹にして可愛がっていって──彼女はどんどん魅力的になっていった。
あの日、アリアに会ってから俺の中で何かが決定的に狂った。
いや、狂ったのではないか。目覚めたのだ。
“血が騒いだ”──それは父がよく使う言葉だった。
ローベルト家の血は、誰かを選び、焦がれるように欲する。
神の子孫として、この血は正しいものを見つけたのだ、と。
リアンの内面掘り下げ回。