この旦那、溺愛につき殺意高め。前編【1万PV記念】
1万PVありがとうございました!
感謝SSを投下。
「最近、リアン様を街で見かけましたよ」
そんな話題が出たのは、友人ララベルとのお茶会の最中だった。お気に入りの紅茶を口に運びかけていた私は、急に出た自分の夫の名前に思わず手を止めてしまう。
「街くらい誰だって行くでしょう? 別におかしな事じゃないわ」
一拍置いて、ララベルが意味深に笑う。
「歓楽街ですよ?」
「か……っ歓楽街の近くに、何か用事でもあったのかもしれないじゃないですか」
「残念、完全に歓楽街へ入っていきました」
「……」
横に控えるメイドが一瞬だけこちらを見やってから、平然と口を開いた。
「浮気ですか?」
──ああもう、この子は本当に言いづらいことを平気な顔で言う。
軽く睨むもメイドはすまし顔。
私はララベルに視線を戻し、首を左右に振ってみせる。
「リアンよ? それはないわ」
そう、あのリアンだ。
誰よりも私を愛してくれて、私だけを見てくれる人。浮気なんて、あり得ない。
(──でも、どうして歓楽街?)
普段は王宮か、この屋敷からほとんど外に出ないリアンがそんな場所に?
あの外見で歓楽街なんて行ったら、ひと騒動が起こること間違いない。
そんな分かり切っているところに彼が行くだろうか?
疑念が浮かんだその時、テーブルの向かいからララベルが身を乗り出してきた。
「アリア。愛されているからと言って、のん気に構えていてはいけません」
「ララベル?」
「愛は有限なのです。無限ではないので、何もしなければいつか枯渇します」
いつになく真剣な目が私を見据えていた。
「別に私だって、何もしていないわけでは……」
「最近、愛を伝えたのはいつなんです?」
「好きだとは伝えてるわ」
「好き? 愛してるじゃなくて?」
「……」
「子供のおままごとじゃないんですよ!」
──なんでそんなに熱くなってるの、この子。
「もう結婚もしてるというのに、なんなんです、その体たらくは!」
友人として恥ずかしいとまで言われてしまう。散々な言われようだったけれど、それを否定できるだけの自信もなかった。
「男性は繋ぎとめておかねば! 愛なり体なりで!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてララベル! なんて事を言い出すの!?」
「完全に愛が無くなってしまったら、もう取り返しがつかないんですよ」
ララベルのその一言が引っ掛かった。
「……愛が、無くなる……」
想像もつかない。
(けれど、もしそうなったら──リアンはもう、私に笑いかけてくれなくなるのかしら)
今、私が受け取っている愛情全てが、もし別の誰かに向いたら。
そう考えてみただけで、途端に恐ろしくなる。
今さら彼の愛無しで過ごすなんてとてもじゃないけど、出来そうにない。
「分かりましたか? アリア。あなた、リアン様の愛に甘えすぎですわ」
考え込む私の姿を見てララベルが言葉を畳みかけてくる。
「恥ずかしがり屋なのもいい加減にしなさい。愛を受け取ったら、同じくらい愛を返さねば。想っていても、相手に伝わっていなければ、それは伝わっていないのと同義です」
「……そうね、確かにララベルの言う通りかもしれないわ」
本当にそうだ。
リアンはいつも愛を伝えてくれているのに、私はあまり返せていない。
もしかしたら私の中のどこかに、まだ妹気分が残っているのかもしれない。
今はれっきとした夫婦なのにこれは良くないと思う。
「でしょう? じゃあ──まずは調査ですね!」
「……なんて?」
愛の在り方を熱弁していたララベルから、飛び出した調査の単語に私は思わず聞き返す。
「調査ですよ、調査。浮気調査はしなきゃダメです」
「ララベル……あなた、今“愛がどうの”って言ってたのに……」
「それはそれ、これはこれです。裏切りは一族郎党根絶やしです」
「そうなると私も根絶やしになるわ」
「アリアは例外です」
「えぇ……?」
──こうして、リアンの浮気調査が始まったのだった。
*****
「──ねぇ何あれ」
剣術の稽古をリアンに付き合ってもらっていたルクルがどうにも集中できないようで、五十メートルくらい後の木陰を指差す。
そこにはオペラグラスを構えてこちらを凝視する二人組と、それを見守るかのように堂々と立つメイドの姿。
「あぁ、気にしないで大丈夫」
リアンは涼しい顔で剣を下ろし、汗ですっかり湿った髪を鬱陶しげにかき上げた。
「俺はどうやら浮気調査をされているようでね」
「は!? ……いや、笑ってる場合じゃないでしょそれ!」
思わず声を張り上げるルクルに、リアンは肩を竦めてみせた。
「いいんだよ、アリアが向けてくれる感情は、なんだって愛おしいからね」
「相変わらずオカシイね。兄様がそれでいいならいいけど、絶対! 夫婦喧嘩に巻き込むなよ」
「喧嘩なんかしないよ」
*****
「……ララベル、これはもうバレてるのでは?」
茂みに隠れる形で様子を伺っていた私は、不安しかなく隣にいるララベルの袖を何度も引いた。
というのも、明らかにルクルがこちらを指差しており、しかもリアンと話しながら笑っている。
(絶対バレてるって──!)
そんな私の心境とは裏腹に何故か自信満々なララベル。
「大丈夫です、いけます」
「だって、ルクルがこっちを指さしてるわ」
「問題ありません。例えバレてたとしても、相手に圧を与えるのです」
「圧?」
「お前の浮気を知ってるぞ、と」
一体どこからそんな自信が来るのか、頼もしげな表情で頷くララベルは少しも帰る気は無さそうだった。
「一旦、出直しましょうララベル」
「いえ、浮気相手を確認するまで調査は続けないと──」
次の瞬間、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「姉様に余計なことを吹き込むのは止めろ。絶対ろくなことにならないんだから」
いつの間にか背後まで来ていたルクルと、その隣にはリアンの姿もあった。
「やぁアリア」
優雅に微笑むリアンの笑顔が怖い。
私は逃げ出したい気持ちを抑えつつ、冷静を装って同じように笑顔を返す。
「え、えぇ……奇遇ね、リアン」
「そうだね。どう? 俺の浮気調査は捗ってる? もし手間取ってるなら手伝おうか?」
「くッ……やっぱりバレてるじゃないのララベル!」
「せめて変装するべきでしたね」
「すぐ後ろからメイドの声が聞こえた。いつも通り淡々としていて、まるで他人事のように響く。いえ、本当に他人ではあるのだけど。
「そういう問題じゃないと思うわ!」
「あれでバレないと思ってた方に驚きだよ、俺は」
「仕方ありません! 計画変更です!」
ララベルが勢いよく振り返り、私へ指を突きつけてくる。
「こうなったらもう直接聞いてしまうのです!」
「俺に浮気してるのかどうかを?」
熱く語るララベルの隣にはクスクスと面白いものでも見ているかのように微笑んでいるリアン。
聞くまでもなく、本人が目の前にいるのよ、ララベル……。
「そうです! 浮気をしていたら処さねば! アリアを泣かせるのは許せません!」
「ちょっとお前黙れって。ややこしくなるから!」
ルクルが慌ててララベルの肩を引っ掴み、その場から連れ去っていく。風のような早さだった。
ララベルは友達想いだが、想い過ぎてああいう風にたまに暴走することがある。
メイドも二人に付いていったようで、残されたのは気まずい私と相変わらず楽しげなリアンだけ。
「アリア想いの友人だね?」
「そ、そうですね……」
私が視線を逸らしつつ答えると、リアンはわざわざ私の視界の前に立つ。
肩を小さく揺らしていてとにかくこの状況が面白くて仕方がないようだった。
(私は少しも面白くない……)
面白くないが、ここまで来たのは自分なので諦める。
「うーん……でも身に覚えがないことで処されるのは困るなぁ」
「しょ、処しませんってば」
「で? 浮気してると思ったんだ?」
「リアン……これには深いわけが……」
「へぇー、深いわけねぇ」
一歩。また一歩と歩を進めてくるリアンに私は冷や汗だらだらで後退る。
ジリジリと追い詰めてくるような視線に、たじろぎそうになりながらも言い訳のように言葉を紡いだ。
「本当に浮気してると思ってたわけでは無いですよ……ただ……」
「ただ?」
「は、繁華街にいたというのを聞いて……」
「繁華街? ――あぁ、そっか。俺が女遊びでもしてたと思ったんだ?」
図星を突かれてしまい、言葉に詰まってしまう。
「心外だなぁ。ずっと俺はアリア一筋なのに」
そう答えるリアンの声は少し寂し気に聞こえた。
(やってしまった……)
誰だって自分の気持ちを疑われたら気分を害すだろう。
私だってリアンのことを好きな気持ちを疑われたらショックだ。
ララベルに言われた際、私はちゃんとリアンを信じて調査なんて断るべきだったのだ。
「ごめんなさい……!」
リアンの顔が見れず、より深く俯いた。一体今リアンがどんな顔をしているのか確認するのが怖い。
「俺としては『ごめんなさい』より、浮気してるかもって思ったアリアがどんな気持ちになったかを教えてもらいたいかな」
穏やかながらもプレッシャーを感じさせるその言葉に、私は観念して小さく息を吸ってからぽつりと呟く。
「──勿論、嫌な気持ちになりました」
一拍の沈黙。リアンの視線が、逃げ場を与えてくれない。
「嫌な気持ちって?」
リアンの追及は止まない。
「──ッ! リアンを取られるんじゃないかって! 思ったんです!!」
私は仕方なしに一気に声を張り上げ、正直に身の内を明かした。
明かしているうちに、自然と涙が溢れてきた。
思ったより私はリアンがいなくなることへの不安を感じていたんだと自分でも初めて気付いた。
「ララベルが、“愛は枯渇する”って言うんです! 私、ちゃんとリアンに愛を返せてるのかなって、考えたら……考えたら……っ」」
正直に告げた言葉は止まらなくて、次から次へと口から勝手に出てしまう。
言葉と同じく零れた涙も止まってくれる様子はなくて、どちらも止めるすべを私は知らなかった。
「リアンが他の人のところに行くのはどうしても、嫌なの……」
どんどん涙声になっていく私の手を、一回り大きいリアンの手が包み込んだ。
「アリア、泣かないで。アリアに泣かれると俺も悲しいよ」
そう言ってくれるリアンのセリフ自体は優しいが──
「……その割にはなんか嬉しそうですけど」
「あはは、バレた?」
嬉しそうなのがイントネーションでバレバレだった。
「アリアは普段そういう気持ちを表に出してくれないからね、一回言わせてみたかったんだ」
「……歪んでます」
「仕方ないね、それが俺だもの」
そっぽを向くと、リアンは私の目元を優しく人差し指で拭ってくれた。
「……今度からはもうちょっと愛情表現出来るようにする……」
「アリアは言葉に出すのが苦手なだけで、愛はちゃんと伝わってるけどな」
リアンはそのまま引き寄せて私をすっぽりとその腕の中に納めてしまう。
その腕の中はほんのり熱を帯びていてどこか剣の匂いがしたけれど、少しも不快ではなくて私の居場所はここしかないと再確認させてくれた。
「例えばさ……」
「?」
「アリア、寝てる俺の顔を凄い幸せそうな表情で眺めてるもんね?」
「なんっ……!?」
抱きしめられた真上から聞こえた聞き捨てならない言葉に私はバッと反射的に顔を上げた。
見上げれば満面の笑みのリアンが見える。
「眺めてから頬や額にキスしてくれるの、あの時間が好きだよ」
「おきっ、起きてたの!?」
「仕事中の俺のこと、よく目で追ってるよね。……眼鏡かけてる姿、好きなんでしょ?」
「ぐ……!!?」
「他にもまだまだあるけど、どうする? 聞いとく?」
絶句。全部知られていたなんて恥ずかしすぎる。
もう何も返せず、恥ずかしさで私はリアンの胸に顔を深く深くうずめた。
「もうやめてくださいお願いします……」
「ほらね、これだけアリアから愛を貰っていて、俺の愛が枯渇するわけないでしょ」
「うぅ……」
「そんなことより──そんな顔、俺以外に見せちゃダメだよ。破壊力が凄いから」
「見せれるわけないでしょ」
本当、この人には敵わない。
つくづくそう思いながら、私たちは涙味のキスを交わしたのだった。それは言葉よりも確かな愛で、ちょっとささくれてしまった心が癒されていくようだった。




