これはけして泣くような事じゃないから。
壁を背に、私はリアンの真っ直ぐな視線を受け止めていた。
その瞳には微塵の迷いもなかった。
まるで、この状況こそが当然であるかのように。
私が驚くことも、恐れることも、拒絶することさえも。
最初から全て織り込み済みのような、そんな瞳。
「アリア。“兄離れ”を選んだその瞬間から、俺の中に──君を“手に入れない”という選択肢は消えた」
リアンに体を引き寄せられ、強く抱き締められる。
今まで何度もリアンに抱き締められたことはあったけれど、今までの抱擁とは明らかに意味合いが違っていた。
「君が俺のことを好きじゃなくてもいい。嫌うならそれでもいい。怒るなら怒ればいいよ。罵っても、叩いてもいい。爪を立てても、噛みついても構わない」
その言葉のすべてが、私への重すぎるほどの愛からきているのだと分かっていた。
分かってしまったからこそ、胸の奥がギュッと酷く締めつけられる。
(これは、愛? それとも執着?)
でも、その境界なんて──どこにあるの?
「どれだけ嫌われても、俺は君を手放さない」
それはもう“兄”の言葉ではなかった。
兄としてのリアン・ローベルトはもうここにはいない。
目の前にいるのは私という存在に深く、強く狂おしいほどの想いを寄せる一人の男だった。
「俺は一番アリアを愛してるし、一番幸せに出来るって断言出来るよ」
そう言ったリアンの声は、やっぱりどこまでも優しくてどこまでも狂気じみていた。
私は何も言えず、ただその腕の中で立ち尽くすしかなかった。
「いつまでだって待てる。俺は気長だからね。……でも、出来るだけ早く俺のことを好きになって欲しいな」
混乱する頭でぼんやりと、でもしっかりと私は理解していた。
そこはきっと、恋でも愛でもない。
もっと根源的で、どうしようもない執着──私という“存在”そのものを、欲しているようなそんな危うい想いなのだ、と。
「……何も言わないの?」
静かな声が頭上から落ちてくる。
リアンの腕はまだ私をしっかりと抱き締めたままで、ほんのりとした体温が身体越しに伝わってくる。
「……今、考えているところです」
そう返す私の声は少しだけ掠れていたけれど、今度ははっきりとした意思を込めた。
感情に任せて泣くのは、きっと違う。
リアンがここまで本気で想いをぶつけてくれたのなら、私も答えを自分の意志で返したい。
「アリアはてっきり泣くかと思った」
くすり、と笑うような声音。
けれどその中に、どこか安堵のようなあるいは微かな兄だった者としての寂しさのようなものが滲んでいた。
「泣きません。だって……泣くようなことじゃないもの」
それは強がりではない。
本当にそう思ったのだ。
泣いたら、大事な何かを完全に終わらせてしまいそうな気がして。
受けたショックは計り知れないほど、大きい。
兄が兄じゃなくなるなんてことを言われて、苦しかったし悲しかった。
(でも──)
でも、多分……今まで私はたくさん気付けたのだと思う。
この無償の愛の裏側の気持ちに気付けたタイミングはいくらでもあったはず。
(それを見逃して蔑ろにしてしまったのは、私の罪)
私は今までどのくらいリアンを傷付けてきたんだろうか。
それを考えるだけで、泣き出してしまいたい気持ちに溢れ出しそうだった。
「アリアは、強い子だね」
リアンがふわりと笑ったのが分かった。
胸元に響く微かな震え。だけどその顔は、まだ見えない。
リアンの言った言葉はおそらく誉め言葉であって、同時に祈るような言葉でもあったのだろう。
兄を辞めると言っておきながらどこまでも“兄様“らしい言葉に、胸が掻き乱される。
(私は、ちゃんと答えを出さなければならない……)
思いを告げてくれた兄様のためにも。
そして何より、自分自身のためにも──。
次は12時更新。




