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使い捨てにされる原作小説たちへの鎮魂歌

作者: 月読二兎

 私の人生には、聖書があった。それは神の言葉ではなく、佐伯徹という無名の作家が書いた『夜明けのコンパス』という一冊の小説だった。人生に迷い、都会の喧騒に疲れた主人公が、祖父の残した古い天文台で星を見上げながら、自分だけの北極星を見つけるまでの、静かで哲学的な物語。私はこの本を、ぼろぼろになるまで読み返し、その言葉の一つ一つを心のお守りにして生きてきた。


 だから、あのニュースを見た時、私は天にも昇る気持ちだった。

『「夜明けのコンパス」奇跡の映画化決定!主演は国民的アイドルグループの彼!』

 信じられなかった。私の聖書が、世界に知られる。佐伯先生の素晴らしい才能が、ようやく正当に評価される。最初は、純粋な喜びだけだった。


 しかし、公開された予告編は、私のささやかな希望を木っ端微塵に打ち砕いた。

 原作の主人公は、内向的で思索に耽る青年だったはずだ。なのに、スクリーンの中のアイドルは、サーフボードを小脇に抱え、屈託なく笑っていた。舞台は山奥の天文台から、海辺のお洒落なカフェに。原作には影も形もなかったヒロインが登場し、二人はバイクで海岸線を疾走する。これは、私の知っている『夜明けのコンパス』ではない。名前だけを奪われた、全く別の何かだった。


 公開後、世間の評価は私の絶望を裏書きした。映画は大ヒット。SNSは「感動した!」「恋がしたくなる!」という賞賛で溢れかえった。そして、時々こんな言葉が混じるのだ。

『原作も読んでみたけど、暗くて退屈。映画にしてくれてありがとう!』

 その一言が、私の心の最後の糸を断ち切った。


 私は、戦うことを決めた。

 SNSに「原作原理主義者の栞」というアカウントを作り、映画がいかに原作を冒涜しているかを、鋭い言葉で告発し始めた。「#夜明けのコンパス原作改悪」というハッシュタグは、私と同じように傷ついた原作ファンたちの結集軸となった。私のフォロワーは日に日に増え、私の投稿は熱狂的に拡散されていった。

「監督は原作を読んだのか?」「脚本家は日本語が不自由」「主演アイドルの笑顔が、この物語の静謐(せいひつ)さを破壊している」

 私の言葉は、日に日に過激になった。それは正義の執行であり、愛する作品を守るための聖戦だと信じていた。私の言葉が、使い捨てにされようとしている原作への、唯一の鎮魂歌なのだと。


 だが、私の「聖戦」は、巨大な商業的成功の前では、あまりに無力だった。映画の興行収入は記録を更新し続け、原作本は映画のポスターが描かれた派手な帯を巻かれ、ベストセラーの棚に並んだ。その光景は、まるで私の聖書が、けばけばしい衣装を無理やり着せられているようで、見るたびに胸が痛んだ。私の怒りと悲しみは、行き場を失っていった。


 そんな時、私は小さな講演会の告知を見つけた。地元の図書館で、作家・佐伯徹氏を招いてのトークイベント。信じられなかった。メディアにほとんど顔を出さない彼が、こんな片田舎のイベントに登壇するなんて。

 私は、行かなければ、と思った。この惨状を、作者本人に直接訴えなければ。映画会社に騙されたのだと、共に戦うべきだと、先生の目を覚まさせなければ。私は、佐伯先生にぶつけるべき辛辣な言葉をいくつも頭の中で反芻しながら、会場へと向かった。


 講演会は、驚くほど慎ましいものだった。集まったのは三十人ほど。佐伯先生は、写真で見たよりもずっと小柄で、穏やかな目をしていた。彼は、自身の創作について、訥々(とつとつ)と、しかし確かな熱量をもって語った。その言葉の端々から、彼が今も物語を愛していることが伝わってきて、私は少しだけ混乱した。こんな人が、なぜあの改悪を許したのだろう。


 講演が終わり、サイン会の列ができた。私は、震える足で列の最後に並んだ。何を言うべきか。どう切り出すべきか。心臓が早鐘のように鳴る。ついに私の番が来た。私は、テーブルの上に『夜明けのコンパス』の初版本を差し出した。使い込まれて、角が丸くなった私の聖書を。

「……先生、映画のことですが」

 私が口火を切ろうとした、その瞬間だった。佐伯先生は、私の顔をじっと見つめると、ふわりと、花が綻ぶように微笑んだ。

「ああ、君だったんだね」

「え……?」

「いつも、ありがとう」

 先生の言葉の意味が分からず、私は立ち尽くした。

「『原作原理主義者の栞』さん、だよね。君のSNS、時々読ませてもらっているよ」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。まさか、本人に見られているなんて。血の気が引いていくのが分かった。軽蔑されるだろうか。それとも、怒っているだろうか。

 しかし、先生の口から紡がれたのは、予想とは全く違う言葉だった。


「あんなに熱心に、僕の言葉を読み解いてくれて、本当に嬉しいんだ。君の投稿を読むたびにね、ああ、僕が書いた物語は、ちゃんと届くべき場所に届いていたんだなって、救われる気持ちになるんだ」

「で、でも、私は映画を……」

「うん、分かっているよ」先生は頷き、サインペンを走らせながら続けた。「映画はね、僕の手から離れて、旅に出た子どもみたいなものなんだ。知らない服を着せられて、知らない言葉を話して、知らない人たちに愛されている。親としては、少し寂しいし、戸惑うこともある。でもね、そのおかげで、君のような昔からの読者が、僕の本をもう一度手に取ってくれる。そして、映画をきっかけに、全く新しい読者が、僕の書いた元の物語に辿り着いてくれることもある。物語というのは、そうやっていろんな姿に形を変えながら、旅をしていくものなのかもしれないね」


 彼はペンを置き、サインの入った本を私に差し出した。

「君の言葉は、時々少しだけ、鋭すぎるけどね」と、いたずらっぽく笑ってから、真顔に戻った。「でも、その棘の奥に、誰よりも深い愛情があることは、僕には分かる。君は、僕の物語の『墓守』をしてくれているんだ。忘れ去られないように、その価値を叫び続けてくれている。だから、ありがとう。君がいてくれて、よかった」


 帰り道、私は何を考えていたか、よく覚えていない。ただ、佐伯先生の最後の言葉が、壊れたレコードのように、頭の中で繰り返されていた。「君がいてくれて、よかった」

 私の聖戦は、何だったのだろう。愛するがゆえの行動は、いつしか作者本人すら傷つけかねない、独りよがりな憎悪に変わっていなかったか。私は、原作を守るという大義名分を掲げ、ただ自分の怒りをぶちまけていただけではないのか。

 先生は、私の攻撃を「愛情」として受け止めてくれた。その優しさが、刃となって私の胸に突き刺さった。


 アパートに帰り着き、私はパソコンを開いた。「原作原理主義者の栞」のアカウントページには、今日もたくさんの「いいね」と共感のコメントが寄せられていた。しかし、その一つ一つが、今はひどく空虚に見えた。

 私は、これまでの攻撃的な投稿を、一つ、また一つと削除していった。何百というツイートが、私の指先で消えていく。それは、過去の自分自身を葬る儀式のようだった。


 すべての投稿を消し去り、真っ白になったタイムラインを前に、私は深呼吸をした。そして、新しい投稿画面を開く。

 そこに打ち込んだのは、映画への批判でも、制作陣への罵詈雑言でもない。『夜明けのコンパス』の中から、私が一番好きで、何度も私を救ってくれた一節だった。


『迷ったら、空を見上げるといい。星々は、答えを教えてはくれない。だが、君が一人ではないことだけは、静かに示してくれる』


 そして、ただ一言、こう付け加えた。

「この一文が、私の人生のコンパスです」


 投稿ボタンを押す。誰かを攻撃するためではない、誰かを打ち負かすためでもない。ただ純粋な、私の愛の告白。

 やがて、ぽつり、ぽつりと、静かな「いいね」が灯り始めた。それは、嵐のような共感ではなく、夜空に瞬く星のような、穏やかで、確かな光だった。

 もう、声高に叫ぶ必要はない。私は私の場所で、愛する物語への鎮魂歌を、静かに奏でていけばいい。それは、使い捨てにされるすべての原作小説たちと、そして、憎しみに囚われていた過去の私自身へ捧げる、祈りの歌だった。


読んでくれてありがとう。

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