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 中学に入学してからも、そんな『創作活動』は続いていた。

 周囲のみんなは昨日見たドラマやアニメの話で盛り上がっていたけれど、私は他人の手垢がべったりと付いた物語を享受する気にはなれなかった。だから適当に話を合わせて誤魔化しながら、頭の中ではいつも自分だけが持っている秘密の物語に思いを馳せていた。

 学校ではこの歪な『創作活動』を控えるようにしていたが、時折どうしても我慢できなくなってしまうことがあった。そんなときは誰にも見つからないように、一生懸命授業を聞いているふりをしてこっそりとノートを黒くする作業に没頭した。

 本当は太いペンを使ってめちゃくちゃに塗り潰すのが気持ちいいのだが、流石に学校ではそんな目立つ行動を取るわけにもいかず、細いペンで少しずつ文字を消していくようにしていた。ペンが細い分丁寧な仕事が求められるため、一文字ずつ着実に消していく感覚があって、豪快に消していくのとは少し違う心地よさがあるので案外悪くはなかった。

「石川さん、何してるの?」

「ううん、何でもないよ」

 当然、こんなことをしているなんて誰にも言えなかった。

 自分が開いているノートを友達に見られそうになると、あえて何でもない風を装ってそれを隠す。

 しかし、そのせいで私はずっと友達に嘘を吐いているような気分だった。楽しく会話をしていても、本当の私を知ったら幻滅してしまうのだろうと、相手の笑顔に母の化け物を見るような顔が重なる。そうして何となく態度がぎこちなくなってしまい、上辺だけの友人関係をそれ以上深めることはできなかった。 

 もうやめようと思ったことは何度もある。絵を描いたり、運動をしてみたり、音楽を聴いてみたり、他のことで何とか代替できないかと色々試してみた。友達に薦められたドラマを見て、人気だというアイドルを追いかけて、学校帰りにはみんなでカラオケに行き、周りの真似をしてそんなこともやってみた。

 でも結局は何をやっても満たされない。その瞬間は楽しくても、後から急激な虚しさが襲ってくる。私が本当に求めているのはこれじゃない。自分の心がそう訴えかけてくるように、息苦しさでいっぱいになった。

 ――私って、普通じゃないんだな。

 次第に自分の中でも諦めがつくようになって、普通なふりをしてクラスに溶け込むことだけは上手くなっていった。

 そうやって平穏無事にひっそりと生きていこうと決めた矢先、まるでそれを許さないと言わんばかりの出来事が起こる。

 ちょうど中学二年生に上がった頃。クラス替えでがらりと顔ぶれが変わり、私は一年間かけて形成した仲良しグループの面々と離れ離れになってしまった。

 また一から人間関係を構築しなければならないのかと不安に思っていたが、意外にもすぐに私はクラスの三軍グループに腰を据えることができた。というのも、新しいクラスはある人物を中心にわかりやすいヒエラルキーが出来上がっていたからだ。

 佐倉さんは容姿端麗で成績優秀。学年一の人気者で、吹奏楽部では次期部長候補として先輩後輩からも慕われており、教師陣からの信頼も厚い。実家はこの辺りでは有名な地主で、とんでもない豪邸に住む箱入り娘のお嬢様らしい。

 そんな彼女がクラスの中心になるのは当然の流れだった。

 どうやら彼女を巡ってカースト上位の人々は複雑な人間関係を構築していたようだが、私たちのような末端の人間にはまるで関係がない。華やかな彼女たちの姿を遠巻きから他人事のように眺めながら、私は次の物語をこっそりと頭の中で考えていた。

私は上手くやっていたと思う。目立たず、孤立せず、『創作活動』も隠して普通に過ごしていた。

 だから、私が彼女の標的になったのは、単なる偶然だったのだと思う。

「なんかあの子気持ち悪くない?」

 ある日を境に、突然佐倉さんの私への当たりが強くなった。

 何かきっかけとなる出来事があったわけではない。それどころか、彼女と私の接点なんて、せいぜい事務的な会話を数言交わしたことがあるくらいだった。

 彼女はその時々によって、ある特定の人物に対して明確な敵意を向け、残忍な行動に出るという癖があった。すれ違う度に罵倒されることから始まり、持ち物を奪われ、汚され、壊され、挙句身体的な暴力を与えることさえあった。

 しかし、あくまでも彼女は人望の厚い人気者で、周囲の人間はその『悪い癖』を見て見ぬふりしていた。

 逆に言えばその一人に選ばれなければ安全で、彼女の近くにいれば様々な恩恵を受けることができる。だから彼女の周りには人が集まり、彼女を恐れ、みんな媚を売ることに必死になった。

 最初にターゲットになったのは、一年生のときに同じクラスだった西原さんだった。

 彼女は自分の意見を持った気が強いタイプで、前のクラスではみんなをまとめるリーダー的存在だった。少し自分の意見を曲げたがらない気質があったものの、彼女に立ち向かえるような人間がいなかったから、表向きにはまとまったクラスになっていたと思う。(陰で悪口を言われていることはあったようだが)

 ところが、絶対君主たる佐倉さんにとって、西原さんの存在は明らかに邪魔だった。

 クラスの空気を掌握する佐倉さんに対し、西原さんは物怖じせず対等な目線で接していた。

 佐倉さんが得意げに持ってきたブランドものの化粧ポーチを「おばさん臭い」と断じたり、彼女が好きだと言うアイドルを「女たらしそう」と笑ったり、みんなが彼女に気を遣って同意ばかりする中で、西原さんだけは自分の意見を真っ向からぶつけていた。

 おそらく西原さんにとってしてみれば、ちょっとした友達同士のじゃれ合いみたいなもので、決して佐倉さんを怒らせるつもりもなかったのだと思う。

 ただ、佐倉さんはそう受け取らなかった。笑顔で西原さんの言葉を受け流しながら、内心で自分が馬鹿にされたと憤慨していた。裏では彼女の陰口をあることないこと言いふらし、それが日陰者の私にまで届いていたのだから、ほとんどクラス総出で西原さんを否定する空気が出来上がっていた。

 そして、ついに佐倉さんは我慢の限界を迎えたのか、西原さんに対し直接的な制裁を加えるようになった。

「西原さんって、ウザいよね。可哀想だから言ってなかったけど、ぶっちゃけみんなそう思ってるよ」

 ひとたび佐倉さんからの攻撃が始まってしまえば、もう西原さんを助けようとする人はいなかった。むしろ自分に弾が飛び火しないように息をひそめ、彼女に嫌われないようにとその攻撃に加担する人もいた。

 私も関わらないように距離を取っていたから、具体的にどんなことが行われていたのかはわからない。見るに堪えない罵詈雑言が黒板に大きく書かれていたり、水浸しになった西原さんが俯いて教室に入ってくるのを見かけたくらいだ。とは言え、日に日にボロボロな姿で憔悴していく彼女を見ていれば、いかにひどいことが行われていたかは想像に容易かった。

 三か月ほど経って、喧しいセミの鳴き声と入れ替わるようにして、西原さんは学校に来なくなった。それ以降は教師を含めて誰も彼女の話題に触れなくなり、しばらくして遠くの学校に転校したという話を風の噂で耳にした。

 一方で、絶好の相手を失った佐倉さんは、常に次の標的を探しているようだった。

 たぶん誰でもよかったんじゃないかと思う。

「石川さんって目つき怖いよね」

「何考えてるかわからない感じ……」

「なんか人類全員を下に見てそうだよね」

「ちゃんと笑ってるとこ見たことなくない?」

「幽霊みたい。存在感ないっていうか」

「ああいう人がヤバイことやらかすんだよ、きっと」

 事あるごとに、佐倉さんが私の陰口を言っているのが聞こえた。あくまでも私に直接言うのではなく、周囲の人間にこっそり言うふりをして、でもきちんと私に聞こえるギリギリの声量は保っていた。

 幼稚な悪口をいくら言われようと、特に何も感じなかった。所詮は住む世界の違う相手だし、気が済めばそのうち収まるだろうと思っていた。

 しかし、まるで彼女の言うことこそが真実であるというように、クラスメイトたちが私を見る目もどんどんと変わっていった。それによって、私は急激にクラスの中で居場所を失った。

「あんたさあ、私たちのこと馬鹿にしてるでしょ」

 私が完全に孤立するのを待って、彼女からの直接的な攻撃が始まった。

 正直言って、何をされたのかはあまり覚えていない。西原さんのときよりはマシだったような気がするし、覚えていないだけでもっとひどいことをされていたかもしれない。

 とにかく私はただ黙って、無心で嵐が過ぎ去るのを待った。

 そんな私の反応がつまらなかったのだろう。佐倉さんは必死に私が嫌がるようなことを探し、様々な攻撃を試して、ついに有効な手段を見つけた。

「うわ、なにこれ」

 その瞬間、私はなんて迂闊だったのだろうと後悔した。

 トイレに行こうとわずかに席を離れている間に、佐倉さんは私の鞄を物色していた。そしてその中に入っていた一冊のノートを手に取り、ぱらぱらと捲りながら、まるで汚物を見るような顔で眺める。

「全部黒く塗りつぶしてあるんだけど。気持ち悪……」

 本当なら佐倉さんに付け入る隙を与えないためにも、学校での『創作活動』は我慢するべきだった。こんなものが見つかれば、格好の餌食になることは見え透いていた。

 だからその日私がノートを持ってきていたのは偶然だった。彼女の標的となってからは、家以外でノートを開くことはなかったし、そもそも学校へは持ってきていなかった。ところが、昨日家で宿題をやったあとに、社会のノートと取り違えて鞄に入れてしまっていたのだ。

「ほら、見てよ」

「ほんとだ。マジで真っ黒じゃん」

「なんか怖いんだけど……。もしかしてサイコパスってやつ?」

 佐倉さんは取り巻き数人とノートを覗き込みながら、嘲るような声で囁き合っている。

「あれ、最後の方はなんか書いてあるじゃん」

 罵倒されようが、馬鹿にされようが、そんなことはどうでもよかった。

 しかし、彼女がそのページを見つけた瞬間、激しい感情が全身を電撃のように駆け巡る。

 私は許せなかった。私の大切な物語が彼女たちによって汚されてしまうことは、どうしても許せなかった。

「返して」

 ノートを取り返そうと慌てて彼女に詰め寄ると、そんな私の姿を見ておかしくなったのか、ニヤニヤとした下品な笑みを浮かべながらノートを私から遠ざける。

「まあまあ。ちょっと見るくらいいいじゃん」

 そしてまるで門番のように、取り巻きの子たちが私と彼女の間を遮った。それを無理矢理押し入ろうとするけれど、私の手は彼女まで届かない。そうやって焦る様子を見せるほどに、取り巻きの子たちは嬉しそうに私を妨害する。

「はーい、朗読しまーす!」

 どうやら彼女はまだ塗り潰す前のページを見つけたようだった。羽交い絞めにされて身動きが取れなくなりながら、茫然と彼女がノートに目を落とす姿を眺めていることしかできなかった。

「『ささくれを千切って膿んだ痕。痛みに安堵しながら、腫れた指を少しずつ押し潰す。』って何これ、ポエム?」

 ずっと大切に保ってきた場所が佐倉さんの手によって汚される。辛うじて縋っていた流木を奪われたことで、私は浮力を失って、深くて暗い海の底へと沈んでいく。息ができず、苦しさにもがく気力もなくなって、ただ圧倒的な絶望感が全身を包み込んでいた。

 どうして私はこんなにも苦しまなくてはいけないのだろう。生きづらさを感じてなければならないのだろう。

 他のみんなと同じように、『普通』に生きたいだけなのに、『普通』のふりをすることすら許されない。

 誰も私を許してくれないのなら、もう……。

 すべてがどうでもよくなって、静かに目を瞑りかけたその瞬間だった。


 ドスッ。


「痛ッ!」

 鈍い衝突音とともに、叫ぶような声が聞こえて、私は反射的に目を開く。

 すると、目の前にノートがパタリと落ちてくるのが見えた。

 咄嗟に私を押さえていた子たちを振り払うと、急いでそのノートを拾った。

「ちょっと、何!? 痛かったんだけど!」

「ご、ごめん……」

 私はノートを抱きかかえるように持って、しゃがんだまま声のする方を見上げると、ヒステリックな声を上げる佐倉さんに巨大な影が覆い被さっていた。まるで突然夜が訪れたかのように、彼女の周囲が暗く閉ざされている。

「ぼ、ぼーっとしてて……。怪我はしてないですか?」

 ぼそぼそと頼りなげな声を聞いて、私はようやくその影がクラスメイトのクマくんであることに気付いた。そのあまりに巨大な体躯のせいで電灯の光が遮られ、目の前にいる佐倉さんを黒く染めていた。

「だ、大丈夫よ……」

 佐倉さんは明らかにクマくんを前に萎縮しているようだった。首をほとんど直角に曲げて彼の顔を見上げながら、怯えたような目を彼に向けている。

「もういいわ。行きましょう」

 そして精一杯の虚勢を張った言葉を吐き捨てると、彼女はバツが悪そうな顔でそそくさとどこかへ去っていってしまった。

 クマくんはそれを横目で見送ったあと、何事もなかったかのように自分の席へと戻っていく。

 私は表紙が折れてしまうほどぎゅっとノートを握りしめながら、しばらくその場所から動けなかった。

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