これだから人間のオスは――!
長いこと話し続け……、随分お喋りになってしまったなぁとフェリチェがはっとした時には、窓の外に朝陽が昇り始めていた。
まさか夜通し話していたわけもなく、知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。
少し大きめのソファに移され、ご丁寧に、ひなたの香りがする毛布にくるまれていた。
(不覚だわ! わたくしったら、殿方の部屋で一夜を過ごしてしまうだなんて!)
花も恥じらう乙女のフェリチェは、大慌てで手早く身繕いをし、その場を片した。部屋にイードの姿を探す。
失礼をきちんと詫び、一宿一飯の恩義にはフェネットの姫らしく礼を尽くすつもりだ。
彼は既に起き出して、台所の水桶で洗い物をしていた。
「おはよう。よく眠れた?」
まるでフェリチェがいるのが当たり前のように、語りかける。
「朝ご飯できてるよ。食べる?」
「お、おう、いや……しかし」
伝えたいことはいろいろとあるのだが、フェリチェの拙い人族語では、思っていることが正しく言葉にならない。
迷っている間に、テーブルには朝食が並べられ、口より素直な腹はくるる……と鳴いた。
「フェネットはネギ属のものや香辛料は、食べても平気なのかな?」
「大丈夫だ、問題ない」
「じゃあ、安心して同じものを食べられるね。どうぞ、召し上がれ」
「う、うむ。かたじけない……」
乳を発酵させたソースで和えた、三種の果物が盛られた硝子の器は涼しげだ。心躍る彩りが、食欲をそそる。
メインディッシュのパンは真ん中に穴が空いていて、フェリチェが見たことのない形をしていた。横一文字に半分に切ったそれに、脂ののった海魚と葉野菜、香味野菜のピクルスなどが挟んである。
興味を引かれてかぶりついたフェリチェは、目を大きく瞠った。
「何だこのパンは……っ。硬いが身がむっちりしていて、噛むほどに小麦の香りがして……美味い!」
「ベーグルだよ。街一番のパン屋でバゲットと並んで人気なんだ」
「ほう……アンシアにはこんなもの無かった。さすがは大国だな」
ベーグルの初めての食感に感激したが、挟まれた具材が織りなす味わいにもフェリチェは唸った。
野菜のシャッキリ感に、ふっくらした海魚の脂がとろけてまろやかだ。所々、潜むように滑らかな乾酪が混ざっていて、ちょっとしたお宝発掘気分だった。
ぺろりと平らげると、フェリチェは率先して皿の片付けに立ち上がる。そうして一段落つけ、改めてイードに向き直った。
「馳走になった。宿代に足りるか分からんが、納めてくれ」
懐を探るフェリチェだが、いくら身をまさぐってもお目当てのものに手が触れない。床に置いた荷を開いても、どこにも財布が見当たらなかった。
「ないっ、なぜだ……まさか、あの時っ?」
「どうしたの?」
「昨日の下衆どもに財布をスられたかもしれん! どうしよう……父様がフェリチェのために用意してくれたのに……」
気丈にこらえていたかったが、じわじわと目尻に熱いものが溜まってきて、フェリチェはへたり込んでしまう。
「うっ、うぅ……っ。ふぇえ……」
「もし……行くあてがないのなら、ここにいてもいいんだよ?」
イードはフェリチェの隣に身を屈めて、そう提案した。
「仕事なり住まいなり……、それこそ君が探すお婿さんでもいいよ。フェリチェが安定した生活を手にできるまで、ここにいたらいいんじゃないかな。その間、俺にフェネットについていろいろ教えてくれたら、嬉しいんだけど」
「だ、だが……それでは、お前にかかる負担と釣り合わないのではないか? 裁縫なら得意だが、飯の作り方はフェリチェにはわからんし……」
「気にすることじゃないよ」
「そうだ、毛! フェリチェの毛を金にしよう」
イードは微笑んで辞し、柔らかく首を振る。
「生憎、金にはそんなに困ってないんだ。何より、俺にとって価値があるものは知識だからね。でも、それじゃあ君の気が済まないんだろう?」
穏やかな笑みを振り仰ぎ、フェリチェはこくりと頷いた。肩口から、白雪をたたえた豊かな髪がこぼれる。
その一束を指に掬い、イードは口許に甘みの強い笑みを深める。
「それなら……。君のカラダを、俺の好きにさせてくれないかな?」
さも良いことを思いついた様子の、にこやかさだ。
フェリチェは頬に朱を昇らせて、彼の手を払い除けると、ふうーっと威嚇の声を上げた。
「お前も……、結局……オスどもはみんな一緒か! レナードも、昨日の男たちも、フェリチェを金を産む生き物のようにしか見ていない。そうでなければ、汚い目で見る……。少しでも信じようとしたフェリチェが、馬鹿だったのだな!」
怒りを通り越して悲しくなり、引っ込みかけた涙が再び滲んだ。
涙を拭おうと伸ばされたイードの指先も叩き返す。
「触るな!」
「待って、君は何か誤解しているよ」
「何がだ! お前が言ったんだろう! フェリチェをその……、あのっ……。い……、いいようにしたいだけなんだろう!?」
「いや。そうは言ってないよ」
「言ったぞ! そう聞こえた!」
言った言っていないの押し問答になる前に、イードは少し考えて、言葉を選ぶ。次に口を開いた彼から紡がれたのは、フェリチェの耳に馴染んだアンシアの響きだ。
『ごめん、もう少し言い方を考えればよかったね。大丈夫? 俺のアンシア語、おかしくないかな?』
アンシアは小さな国だ。さほど交易が盛んなわけではなく、言語も独自のものを選択しているため、彼の流暢な喋りにフェリチェは意表をつかれた。
戸惑いながらも、素直に頷いて返してしまう。
『それなら、よかった。じゃあ、改めて言わせてもらうよ? 俺は、君のカラダに興味があって、隅々まで調べたいと思っているんだけど……』
『最低ですわ!』
翻訳しても何も変わっていない。またしてもフェリチェの全身の毛が激しく逆立つ。