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花婿図鑑〜もふもふ姫が真実の愛を掴むまでの研究記録〜  作者: 歩ノ結千鶴
一章 研究者のオス/被毛と耳の研究
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食べ物に罪はない


「俺はこれからご飯にするけど……君は? お腹は空いてない?」

「施しは受けんと言った。フェリチェに構わず、好きに食え」

「そう。じゃあ、そうさせてもらうね」


 イードは茶を運び終えると、芋の皮剥きを始めた。


 フェリチェは何気なく、彼の手慣れたナイフ捌きを眺めていた。

 芋が自ら身を差し出すように、くるくると綺麗に剥けていく。だが、その手元から脱げ落ちていく皮の色に、フェリチェは目を疑った。


「おい、待て。お前が今剥いているのは、ドクイモではないか?」


 考えるより先に口を挟んでしまう。

 なぜならそれは、紫色の皮に赤い縞模様が入った、食べたら嘔吐と腹下しで三日三晩は苦しむ、阿鼻叫喚の芋だったからだ。


「人間より胃が強靭なフェネットだって食えない代物だぞ。何でそれを剥いている。まさか食う気か?」


 イードはさも当然のように頷いて、一口大の半月状に切った芋を、煮立った油に次々と放っていく。ぱちぱちと盛大な音を立て、芋は油の中でぐらぐらと踊った。


「最近の研究でね。南方の、年中常夏のような地でこの芋を育てたら、毒素が薄くなることが分かったんだ。もしかしたらこの毒素は熱に弱いんじゃないかって仮説を立てて……」

「だがそいつは、煮ても焼いても食えないやつだ」


 茹で汁や蒸気に溶けた毒素でも、吐き気を催すくらいだ。


「毒素を瞬間的に壊す熱が足りないからだよ。高温の油に一息にくぐらせてしまうんだ。そうすれば、ほら――こんなふうにね。美味しく調理できる」


 からりと揚がって皿に盛られた芋からは、熱々の湯気が立っている。ぱらぱらと振りかけられた塩の粒がきらきら光って、畑に降った恵みの雨のようだ。


 吐き気どころか生唾が込み上げて、フェリチェは堪まらず喉を鳴らした。

 さっきまで胃がムカムカしていたのに、美味そうな芋に目が釘付けだ。空きっ腹に焼けた油の匂いが食欲をそそらせた。


「し、しかし……ドクイモはドクイモだろう。当たったら悲惨だ」

「大丈夫だよ。何回も実験と試作を繰り返して、これなら確実に食べられるってわかったんだ。うん、美味い」


 揚げたてを頬張ってみせるイードだが、フェリチェはまだ疑いを捨てられない。なのに美味そうな匂いから、鼻も目も逸らせなかった。


「食べる?」

「要らん……」

「でも涎垂れてるよ」

「そ、そんなわけな……」


 口許を拭った袖が湿っぽい。


「あ、あったが違う! これは物欲しいわけではなく……」

「じゃあさ、食べるの手伝ってくれない? ちょっと揚げすぎたくらいなんだ。冷めると味は落ちるし、捨てるのも勿体無いだろう?」

「……し、仕方ないな! そこまで言うなら……食ってやらんでもないぞ!」


 ナリは美味そうだが、中身はドクイモ――。

 最初の一口は恐る恐る、前歯にちょっぴり触れる程度に小さく噛んだ。

 舌が痺れる感覚もなく、おかしな味もしないので、次の一口はもう少し大きくかじってみた。


「――っ!」


 塩気の効いたカリッとした表面の歯触りが心地よく、フェリチェの牙は咀嚼の悦びに目覚めた。止まらず、二つ、三つと手が伸びる。


「皮の下はホクホクで、芯はねっとりとして……なんだこれはっ! ものすごく美味い!」

「だろう? ドクイモなんて呼べなくなるよね」

「いいや、毒だ! こんな美味い物を食ったら、他の芋じゃ満足できなくなる!」

「へえ。面白いことを言うなあ」


 イードは手近な紙に、フェリチェの言葉を書きつけた。


「何してる?」

「気になったことや、役に立ちそうなことはメモしておくんだ。ドクイモに新しい名前を付けるべきか悩んでいたんだけど、案外君みたいな考えでもいいのかもしれないなって」


 書き付けの紙を目立つところにピンで留めて、イードは改めて食卓に腰を下ろした。


「俺はね、趣味で図鑑を作っているんだけど、こうやって既存の概念が壊れた時に、どう新事実を馴染ませるかが難しかったりするんだ」

「図鑑……?」

「読んだことがない? あの辺の棚が全部そうだ。よかったら見てごらん」


 フェリチェは促されるまま、分厚い書物の一冊を手にしてみた。ぱらぱらとページをめくると、花の絵に名前が添えられ、生育場所や開花期などの特徴がしかつめらしい人族語で記されていた。


「生きとし生けるものは、日々変化し進化していくもので、言葉だって時代が変われば意味も変わる。だから図鑑も時代時代で違って当然なのに、市場に出回っているのはちょっと古いものばかりなんだ。俺はそれが少し不満でね。いつだって新しい情報で図鑑を更新していたいんだ」


 彼自身の研究と、冒険者や船乗りたちと情報を共有することで、趣味の図鑑は日々塗り替えられているという。

 揚げ芋を頬張りながら、嬉々として語る深緑色の瞳が美しく見えて、フェリチェは嘆息した。


「イードには、立派な夢があるんだな」

「そんな大層なものじゃない、ただの趣味だよ。フェリチェは? 穏やかなアンシアを飛び出して、ヒルダガルデへ来たのには何か叶えたい夢でも?」

「フェリチェは運命の花婿を見つけるため、オスを狩りに来たんだ」

「あ……そうなの」


 ふふん、と胸を張るフェリチェに、イードの反応は実にあっさりとしている。図鑑と比べ物にならない薄さだ。


「なんだ、その気のない反応は。失礼な奴め。フェネットの(つがい)選びは重要なんだぞ。下手に離縁なんかしたら、生まれた子が弱いと言われることになるんだからな」

「へえ、それはフェネットの文化? 面白いね、もっと詳しく聞かせて」


 余程興味を惹かれたのか、イードはしっかりした帳面を用意し直した。

 そうして彼が聞き取り、フェリチェが語り聞かせる間に時はあっという間に過ぎていった。




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