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花婿図鑑〜もふもふ姫が真実の愛を掴むまでの研究記録〜  作者: 歩ノ結千鶴
一章 研究者のオス/被毛と耳の研究
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イード

 彼はゴロツキどもを無造作に引っ張って、表通りに放り投げると、フェリチェの元に戻ってきた。


「君は……フェネット?」


 品定めするように見つめられ、フェリチェは我に返る。どんなに顔が良い王子様だったとしても、相手は人間のオス……警戒しなければならないと学んだのだ。

 

 ふいと顔を背けるも、眼前に手を差し伸べられた。


「大丈夫? 立てる?」

「寄るな、人間! どうせお前もフェリチェの毛が欲しいだけだろう! 人間の助けなどなくても、自分で立つくらい造作もない……っ」


 威勢よく立ち上がってみたものの、ふらついてすぐに転んでしまった。


「ねぇ、本当に大丈夫?」

「うるさい! 大丈夫ったら大丈夫だ!」

「そう、それならいいけど」


 青年は手を引っ込め、懐を探る。警戒するフェリチェに、青銅の鍵を揺らして見せた。


「まぁ、動けるようでよかったよ。何しろ君が寄りかかっていたところ、俺ん家の玄関だったからさ。中に入れなくて困ってたんだよね。だから別に、君を助けたってわけじゃないんだ」

「お、おう……?」

「何か困ったことがあったら、そこらへんを見回っている自警団を頼るといいよ。――それじゃ」

「えっ、ちょ……」


 鍵を回すや、青年はさっさと木戸の内側へと消えた。

 あまりに呆気なく閉ざされた扉に、フェリチェは拍子抜けするとともに、何か釈然としない思いで立ち上がる。


「ちょっと待てええええ!!」


 勢いよく扉を開け、青年を呼び止める。


「わっ、びっくりした……何?」

「こういう時は普通、ほとぼりが冷めるまでどうとか言って、傷付いたフェリチェを匿ってくれるものじゃないのか!」

「えええ、そうでもないと思うけど」


 青年は迷惑そうでこそないが、困惑している様子だ。


「それに君、人間が苦手そうなこと言ってなかった? いいの、ここ人間()の家だよ?」

「はっ。そうだった! ……ちょっと待て。フェリチェは何だかおかしいぞ……? 体もふわふわしてるし、頭もぼーっとする」

「もしかして、さっきの奴らに酒でも飲まされた? なるほど。その様子じゃあ、表を歩くのは危ないね。なら正気に戻るまで、ここでゆっくりしていきなよ。もちろん、君がいいならだけど……ね?」


 彼には、フェリチェを無理に引き留める気はないらしい。あくまで自分の意志で決めるよう、回答を待っている。


「くっ……見知らぬ街をこのままうろつくのは、フェリチェも賢明とは思えん。背に腹はかえられぬ……。しばし世話になるぞ……」

「どうぞ、ごゆっくり」


 戸を開けた時と打って変わり、フェリチェはおずおずと敷居を跨いだ。


 青年の住まいは居間の壁のほとんどが棚で埋められており、小難しい書物が整然と並んでいる。

 作業台には家庭では見慣れない器具の他、薬草や薬品の類が置かれているのを、鼻のいいフェリチェは離れていても判別できた。


「空いてる椅子にてきとうに座って。寒ければ毛布も出そうか。安心して。物は多いけど、掃除と洗濯はまめにしているから、清潔は保証するよ」

「……お前、学者か? こういうの、人間の学校で見たことあるぞ」


 一口の覗き穴の下に、数種類のレンズが取り付けられた器具を指差しフェリチェは問う。


「顕微鏡。ものをより精密に視るためのものだよ」


 今は芋のデンプン質を調べていると器具を覗かせてくれたが、フェリチェには何のことかさっぱりだ。


「人間の学校っていうのは、アンシアのかな?」

「そうだ。フェリチェはアンシアから来た。アンシアのフェネットで、その(おさ)フェリクスの長女だ」

「そう」


 希少種の姫と告げても、彼の態度に変化は見られない。


「俺はイェディェル。ご覧の通り、学者あるいは研究者で通ってる」

「イ……エ……」

「発音が難しい? イードでいいよ。みんなそう呼ぶ」

「イード」

「そう、上手上手」


 褒められて心なしか気を良くしたフェリチェは、大きな耳が勝手にぴこぴこと動いた。


「あのな、フェリチェはな、仲のいい娘たちからはチェリと呼ばれているぞ」

「チェリ? 人族語の桜桃(チェリー)に似た響きで、可愛いね」


 不意に微笑みかけられ、フードの奥に覗く瞳と視線が絡んだ途端、フェリチェは急に頬が熱くなるのを感じた。


「か、可愛いだとっ……? ふ、ふんっ。そんなことを軽々しく言うオスは信用しない!」


 飛び退るようにその場を離れるも、まだ酔いの醒めない頭はふらふらして、つまずいた拍子にその辺のソファにお邪魔してしまった。


「せっかくだから、お茶でも淹れようか」

「い、要らん! 今は仕方ないから休ませてもらっているが、長居をするつもりはない! 施しは受けんぞ!」

「まぁ、そう言わずに。実はフェネットに会ったのは初めてでさ。こんな機会なかなかないだろうし、もう少し話を聞かせてほしいな」


 穏やかな声と微笑みに、フェリチェは根負けした。

 お行儀よく座り直し、湯を沸かすため台所に立ったイードをちらと観察する。

 外套を脱いで露わになった黒髪は少し癖が強く、ふわふわといかにも柔らかそうだ。歳の頃は二十代前半といったところで、ぱっと目を引くわけではないが、端正な顔立ちをしている。

 穏やかな目元を印象づける深緑色の瞳は、アンシアの山々を思い起こさせた。



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