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愛の輪を結ぶ


 木立の根元に厚い敷物を敷き、フェネットの娘たちは針を()る。彼女らが、ひと針ひと針……想いを込めて色糸を刺すのは、来春に姫が纏うための婚礼衣装だ。


「ちょっと欲張りすぎかしら」


 夫婦円満、子孫繁栄に無病息災――縁起物の柄をこれでもかと集めた図案を見直し、フェリチェは少し恥じ入る。


「いいえ、チェリ。一生に一度の晴れ着だもの。これでも足りないくらいだわ」

「そうよ。うんと華やかにしましょうね」


 白く艶やかな髪を好き好きに結い上げて、談笑しながら針仕事に打ち込む娘たちの姿は、森の生気に劣らず瑞々しい。

 チャルミの青く茂った枝葉が、初夏のさんざめく陽射しを柔らかに遮り、娘たちの肩に天然の透かし編みを着せかける。すると若々しい肌は、いっそう艶を増した。


 フェリチェはふと、斜向かいの娘の首筋に目を留めた。後れ髪が揺れて、顔を覗かせたうなじを指差す。


「あら? あなた、虫に刺されているわよ」

「えぇ、やだ。いつの間に……」


 差し出された手鏡を覗くと、娘は首筋を一撫でして頬を染めた。紅い痕を掌に匿い、下草刈りに精を出す若衆のほうをちらりと見遣る。


「やだ、もうっ……わざわざ見えるところに」


 彼女は首筋が隠れるように髪を結び直した。その様子に、隣り合った娘たちが、にわかに色めき立つ。


「まぁ、熱い熱い」

「悪い虫がいたものね」

花香(はながおり)には気をつけなさいよ」


 訳知り顔の娘たちの中、フェリチェだけは翠の瞳をくりくりと瞬かせた。そのきょとんとした姿を、気心知れた友らは微笑ましく見つめながら、肩を寄せ合う。


「ごめんなさい、見苦しいものを見せてしまったわね。フェリクス様にお叱りを受けてしまうわ」

「本当に大丈夫ですの? どんな虫に刺されたのか、必要ならイードさんにご相談を」

「やぁね。本当にわからないの、チェリ? この子のは、虫刺されじゃなくて……」


 乙女の秘め事を耳打ちされて、フェリチェの頬にぼっと火がついた。


「くっ、口づけの痕!? それはその、あの、あの若衆のうちのどなたかと恋仲ということ?」

「そうそう、そういうこと」

「で、ででででも、何でそんなところに? それに口づけだけなら、そんな風にはならないはずだわ。どういうことですの」

「あらっ? あらあら、まぁ! チェリったら。そう言うってことは、お婿様とは口づけしたことがあるのね?」

「はっ……! いやっ、そのっ」


 娘たちは声を潜めるも、興奮は冷めやらず、囁く声さえかしましい。


「あちらでは一緒に暮らしていたんでしょう?」

「もうすっかり深い仲なのよね?」

「ちょ、ちょっと皆さんっ、こんな日の高いうちに……はしたないですわ! ……わたくし、まだ本当に……口づけ以上のことはなにも……」


 婚礼衣装の陰に隠れて、ごにょごにょする。

 姫君の恋の進展具合に興味津々の娘らは、それですら黄色い声で大喜びだ。


「彼、真面目そうだものね」

「とてもいいわ、素敵よ。大事にされているんじゃない」

「チェリは可愛い姫様だもの。奥手すぎるくらいの人であるべきよ」


(イードさんが奥手……?)


 果たしてそれはどうだろうかと、これまでのことを思い返して、フェリチェは内心で首を傾げる。今のところは自然と戯れることに夢中で大人しくしているが、フェリチェにしてきた研究の数々を里の皆にも試す機会を彼が窺っているのはお見通しなのだ。

 大切な友人たちに手を出されたら、と思うとフェリチェは気が気でない。それと同時に、自分以外の女にあんなことやこんなことを試そうとするなんて面白くもなかった。


 イードの純粋な好奇心に水を差すつもりはないが、フェリチェの花婿である以上、他の娘には触れてほしくも、触れさせたくもない。

 姫のお相手と知ってちょっかいをかける者などいはしないとわかっていても、フェリチェは落ち着かない。

 自分だけが特別なのだという、目に見える証を掲げて、番であることを強く主張していたかった。


(ああ、わたくしったらなんて酷い女なの。それではイードさんを縛って、戒めておきたいと言っているのと同じじゃない)


 悶々としていると、心配した友人らに顔を覗き込まれた。そのうちの一人、紅斑を首に付けた先程の娘と目が合って、フェリチェははっとする。


「それですわ!」


 口づけは番だけに許された神聖な行為であるべしーーそう信じていたい姫にはまさしく、()()()()()()()()()()()()()()()のように思えた。


「わたくし、用事を思い出したので、今日はここまでにいたします! 皆さん、お疲れ様でした! また明日!」

「ちょっと、チェリっ?」

「わたしたち、なにか焚き付けちゃったかしら」

「まあ、どうしましょう」


 慌ただしく駆け去る姫の白い尾を見送り、娘たちは顔を見合わせる。しかし口許には微かに笑みが……。明日が楽しみね――そんなことを誰かが呟き、きゃっきゃっと恋の話に花が咲いた。



 * * *



「ーーというわけで、キスでできるという痕がフェリチェも欲しいんだが」


 散策から帰ってくるなりイードは、庭先で待ち構えていたフェリチェにそう告げられた。


 日に当たりすぎただけ……というわけでもなさそうな赤い頬をしているくせに、疎さゆえにとんでもないことを面と向かって言ってくる。

 困ったものだが面白いーーと冷静なイードに対し、少し離れたところで水を汲んでいたギュンターとルタはそうもいかない。動揺のあまり水甕(みずがめ)をひっくり返してしまう始末だ。


 どうかやってくれるなよ、と訴えかけてくる橙色の視線を背中に受け止めながら、イードは姫にどう応えたものかと空を見上げる。


「こう、首のこのへんにな、紅く痕があったんだ。何をどうしたらそうなる? イードは知っているか?」


 豊かな髪を掻き上げて露わにした首筋は、陶器のように滑らかだ。それでいて張りがあり、齧り付いたら美味そうなほど瑞々しい。イードは思わず手を伸ばした。


「知ってるけど……」


 首筋に手を這わせた途端、緊張で強張ったフェリチェの肌が熱を帯びるのが感じられた。しっとり潤んだ肌の奥で激しく波打つ脈動が、指先を叩く。


「ど、どうやるんだ?」

「うーん。説明するより、実際に見せたほうがわかりやすいかな」


 空いた手でフェリチェを抱き寄せ、イードはにっこりと笑う。


「ん? お、おい、なにをする気だ……離せ」

「大丈夫。チェリには何もしないから、そのままじっとして……」

「待てっ、ルタとグンタが見っ……ひいぃっーー!?」


 人前で口づけされるのだと動転し、目を固く瞑ったフェリチェの耳に、水甕が割れる音が響く。まるで従者たちの声にならない悲鳴のようだ。


 確かにこの瞬間、ギュンターとルタは心で大声を上げていた。うわあああああ、やってしまったああああーーと。




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