決意を新たに
「ルタが常に目を光らせ、回収に奔走したおかげで、これらは衆目に晒されずに済んだのだ。フェリチェよ。成人したお前が番を選び、わたしのもとを巣立つ日は、もうそこまで来ているのだろう。お前なら、良い婿を選ぶであろうと信じている、だから口出しはせぬことにした。だがな、誰かを思慕し恋情を抱くとは、時として眼を曇らせてしまう。それを、少々痛い思いをしてでも学んでほしかったのだ」
「よくよくわかりましたわ!」
気色の悪い絵を投げ捨てて、フェリチェは腕を組んだ。
「もう人間の男など信じない! 恋なんて懲り懲りです」
「それは早計だぞ、フェリチェ」
フェリクスはむくれた娘を膝に抱き、噛んで含めるように穏やかに語りかけた。
「我らフェネットは、深く愛し合った番ほど生まれてくる子も強くなる。お前や、お前の兄弟が優秀なのも、わたしと妻が深い絆で結ばれていたからだ」
「知っています。だからわたくしは、お父様とお母様のような、真実の愛で結ばれた夫婦に憧れているんですもの」
「そうだろう? フェリチェよ、愛の前に種族の違いなど些末なこと。真実の愛を求めるお前が、ただ一度恋に敗れたからといって人間を毛嫌いし、自ら世界を狭めてどうする。それで最良の婿が見つかると思うか?」
フェリチェは目一杯、首を横に振った。
「わかったなら、それでよい。広き世界に生き、唯一無二の番を見つけるがいい」
「それならば、お父様。お願いがございます!」
どっしりとしたフェリクスの膝を飛び降りて、フェリチェは自分の尻尾を背に這わせた。敵意はありません、と示すフェネットの礼儀だ。そのまま深々と最上級の伏礼をとる。
「このアンシアには、人間とフェネットしかおりません。外の世界には、もっとたくさんの獣人族や、肌の色も様々な人族がいると聞いています。フェリチェはその者たちとも会ってみたい! その中から運命の婿を探すのです!」
「おお、我が姫はなんと勇敢で賢い娘か。よかろう」
フェリクスは鋭い爪で、髷をもう一房切り落とす。それをルタに手渡すと、あれこれと指示を出した。
「今すぐ金に換えて、フェリチェの旅支度を調えてくるのだ。それからユーバインへの船の手配を」
「はい」
「ユーバインは帝国ヒルダガルデの要衝にして、世界有数の港町。多くの出会いに恵まれることだろう。まずはそこで、運命とやらを探すとよいだろう」
※ ※ ※
旅立ちの日、里の者総出で盛大に送り出され、フェリチェとルタはアンシア南方の港を目指した。
「本当に、わたくし一人で行っていいの? ルタもついてこないの?」
「ええ。俺がいたんでは、つい手を出し口を挟みたくなりますからね。それに、ユーバインは獣人に対する差別もなく、治安もいいそうですから。護衛も要らないほどなのでしょう。不安ですか?」
「いいえ、楽しみよ。……だけど、ちょっと寂しい」
ルタとは幼い時からずっと一緒で、姿が見えずともそばに気配があるのが常だった。
ルタの夕焼け色の瞳に、しばらく会えないのだと思うと、フェリチェの胸に迫るものがあった。
ごしごしと目の端を擦って、フェリチェは毅然と胸を張る。
「絶対に、素敵な殿方を連れて帰ってくるから」
するとルタはどこか寂しそうに、くしゃりと笑った。
「元気な姿で帰ってきてくれれば、十分ですってば」
やがて出航準備を告げる汽笛が上がり、港はにわかに騒がしくなった。
フェリチェもそわそわと荷を背負い直す。
「ああ、そうだ、お嬢様。アンシア語は、海を越えたらあまり通用しないと思ってください。あちらでは、広く人族語が用いられていますが、言葉は大丈夫ですよね?」
「心配いらないわ。わたくしのお母様が、あちらからいらした方なのは知っているでしょう? 御本を読んでもらって、聞き慣れていたもの。話すのは……人族語の発音がちょっと難しくて苦手だけど、何とかなると思う」
「じゃあ、試しに何か喋ってみてくださいよ」
「いいわ、そうね……」
ルタに改めて別れを告げ、旅の意気込みなどを伝えようと、フェリチェは一生懸命に人族語を舌で転がした。
『フェリチェが海の向こうっかわでオスを狩っている間、父様のことをよろしく頼んだぞ。ルタも達者でな。……どうだ! 完璧だろう!』
(アンシア語訳:わたくしが旅先で運命を探している間、くれぐれもお父様のことをよろしくお願いしますわね。ルタも怪我などしないよう気をつけて、どうか元気でいてね。……どう! うまく喋れているのではないかしら!)
独学だが、人族語も完璧に身につけているルタとしては、フェリチェの得意げな顔に頭を抱えるしかない。
果たしてこれで、まともに他人と関わりが持てるのか……いささか不安を抱きながら、姫の旅立ちを見送った。