アンシアへ
「嘘とわかった時には、お詫びとしてルタさんにも、フェネット研究に協力してもらえれば、それでいいかな」
その言葉を聞くまでフェリチェは、どうか嘘であってほしいと願っていたが、そうであった場合のルタを思うと気の毒で、願うのも残酷なような複雑な心持ちになってしまった。
「嘘、ではないと証明されたなら?」
ルタは、体が自由にならないままでも強気な姿勢を崩さない。
「その時は、身を引くよ。俺は、フェネットの里を知らないけど、チェリを育んだ一族の絆を壊したくない。チェリには、みんなに祝福される未来があってほしいからね。ああ、でも未練がましく恋文を送り続けることくらいは、許してくれるといいんだけど」
「イード……」
「お嬢様は、どうするんです?」
いつになく厳しい眼差しのルタに、戸惑いながらもフェリチェは怯みはしなかった。しゃんと胸を張り、ユーバインで見つけた愛がいかに大切か、切々と説く。
「フェリチェは、真実がどちらであろうと……イードと離れるつもりはない。里がフェリチェを守ると言うなら、グンタと二人で奪いに来てほしい」
少数部族とは言えど、里相手に二名で対抗とは、多勢に無勢もいいところだ。だがギュンターは心意気だけは買って、頼もしい笑みを返してくれた。
「その間にフェリチェは皆に、イードのいいところを教えてやるんだ!」
「へえ、ちなみに俺のいいところって?」
少しにやけた顔で、イードは首を傾げる。
墓穴を掘った気がするフェリチェが、視線を泳がせた先はルタだ。だが彼も……。
「俺も、聞かせてほしいですね」
助け舟を出してはくれない。
「い、今ここで言わないといけないのかっ?」
「ええ、ぜひ」
「聞きたいな」
「わたしも聞きたいですぞ!」
まさかギュンターまで、食いついてくるとは思っていなかった。だがここで引くのを、気高い血は許そうとしない。フェリチェは深呼吸ひとつして、口を開いた。
「イードは、頭がいい。いろいろなことを知っている。一つの知識が木の枝のように、あっちこっちに広がっていくのが面白い。ひとにものを教えるのも上手いから、弟たちの先生に向いているぞ!」
「そうですか。しかしそれは、優れた教師を雇えば済む話。イェディェル殿を里に招く必要性は感じませんね」
辛辣なルタの返しにも、負けじとフェリチェは声を大にする。
「手先も器用だ! 果物を花のように切れるのを、見ただろう。道具の修理や改良を任せられる!」
「そんなの、俺だってできますよ」
まだまだ、と互いに引かない。
「目もいいぞ! 市場で鮮度のいいものをぴたりと当てられる! おまけに耳もいい。フリッターの揚がり具合を音で聴き分けて、いい頃合いで引き上げられるんだ」
「……お嬢様?」
「性格も……ちょっと変なところはあるが、柔軟性があるのがいいところだ。急に予定が変わっても、あり合いのもので美味い飯を作れるぞ!」
束の間、フェリチェ以外の三人が立場も忘れて顔を見合わせた。ひそひそと話し合い、代表してイードが問いかける。
「チェリ。もうお腹が空いた?」
「何でだっ。ひとが真面目に話しているのにっ」
ルタは勝気に笑った。
「これでは愛ではなく……餌付けですね」
「いえ、しかしっ。食は、ひとが生きる上で切り離せないもの。つまりフェリチェ殿は、坊ちゃんがいなくては生きていけないと言っているのですよ!」
すかさずギュンターが助け舟を出してくれた。
それでも、ルタはまだ納得していない様子だ。イードが優れていると聞かせて、それでもフェネットたちが許さなかったらどうするのだと、フェリチェを問い詰める。
「わかってもらえないのなら……フェリチェは、里を……捨ててもいい」
「それでは、イェディェル殿のご結論と逆じゃないですか」
「……そうだ。フェネットとして、後ろ指をさされることになったとしても、フェリチェはイードと生きる道を選ぶ」
だが……と、イードの知らないフェネットの姫の顔で、フェリチェは告げる。
「子は成さない。フェリチェの我が儘で、同族に祝福されない道を選ぶんだ。生まれてくるのが、たとえどんなに強い子であろうと、茨の道を歩かせるつもりはない」
片親っ子、と陰で囁かれてきたルタには、他人事でなく感じるものがある。それで認めるというわけではないが、ルタは小さく息を吐くと、頑なになっていた態度を幾分か改めた。
「ギュンター殿。手を貸していただけますか?」
ふらつく体を支えてもらい床に下りたルタは、イードの前にゆっくりと身を伏せ、白く長い尾を背筋にぴたりと這わせた。
敵意はない、と示すフェネットの敬礼にフェリチェは目を潤ませる。
「たいへん失礼をいたしました。オーウェン王国とフェネットの因縁は、お二人を試すために吐いた、すべて口から出まかせです」
「ほ、本当か、ルタ。今度こそ、嘘ではないな?」
「はい。もし、お二人が何の考えもなく、愛さえあれば何とでもなるなどと答えるようなら、否応なしに引き剥がすつもりでした」
足並みは揃っていなくても、それぞれの貫く愛情の形を見せてもらったと、ルタはどこか安堵した顔で微笑んだ。
盲目的に、恋に恋をしていた姫が、人並みに円満な未来をも手放す覚悟で、本気で愛に向かい合っているというのに、護衛がいつまでもひっついているわけにいかなかった。
「無礼をお許しくださいとは言いません。これより俺は、イェディェル殿にも誠心をもって尽くさせていただきます。――どうぞ、お嬢様をよろしくお願いいたします」
深々と頭を垂れるルタの肩を叩き、イードは小さな丸薬を差し出す。
「はい、気つけ薬」
「これは……どうも」
「認めてくれて、ありがとう。ルタさんに今日の日を後悔させないよう、一生かけて愛していくよ」
深い緑の瞳が、アンシアに穏やかで明るい春の訪れを告げた。
フェリチェの瞳から溢れ出した大粒の涙は止まらない。安堵するあまり、号泣しながらルタをぽかぽかと叩きつけた。
「ルタの阿呆! どうしようかと思ったぞ。イードともギュンターとも、ルタとも仲良くいたいのに、もうみんな離れ離れになるのかと……。うわぁーーんっ、よかっ……よかったぁぁあ! ふええええっ」
「すみません、お嬢様。すみませんっ、この通り! ごめんなさい」
「うっうう……フェリチェは嘘が嫌いだと言ったのに。ルタなんて大っ嫌いだ!」
噛み付くように牙を剥くフェリチェを、イードは宥めるより先に、やんわりとたしなめる。
「嘘が嫌いなら、君も嘘をついたらだめだよ」
「うっ……ううぅ……謝る……っ。フェリチェも嘘ついてごめん、だ。本当はルタが好きだ、大好きだ。だからもう、こんな真似はしないと誓えっ……うえぇえーんっ」
「俺も……っ……大事です。お嬢様が大事だから、嘘をつきました。もう、泣かせたりしません」
フェネットの幼馴染は涙をかわし合う。
だがなんと、一番後々まで泣き止まなかったのは、本人たちを差し置いてギュンターだった。髭が濡れそぼるまで泣きに泣いて、顔を洗いに表に出る頃には街に夜が訪れていた。
※ ※ ※
「さて……」
ようやく落ち着いたところで、イードが待ちかねたように腰を上げた。
「ルタさん。もう体に違和感はないかな?」
「ええ、おかげさまで」
「じゃあ、そろそろいいよね?」
「……はい?」
フェリチェは敏感にその気配を感じ取る。
「おい、イード……お前、まさか」
案の定、緑の瞳は爛々と輝き、ちゃっかり帳面とペンを手にしていた。
「嘘のお詫びに、研究に協力……してくれるんだよね」
「俺にできることなら、何なりと」
「待て、ルタ! 早まるなっ! ちゃんと話を聞いてからにし……」
「じゃあまずは、耳から行ってみようか」
「あああ、ルタあああ……!」
フェリチェの前で、ルタの耳があんなことやこんなことになって、さらにはそんなことまでされて……。こうなったら、イードは止められない。
耳が終われば瞳に、口に……と観察、実験対象が移り行くであろうことを、フェリチェは容易に察せてしまう――。
自分がされたのと同じように、イードに蹂躙されるルタを見ていられず、フェリチェはそっと表へ出た。
守ってやることができないのならせめて、ルタの誇りのために、目を閉じ耳を塞ぐに徹した。
しばらくの後、ギュンターとともに中へ戻ると、薬の効果は切れたはずなのに、ぐったり倒れ込んだルタと、対照的に気力漲るイードの姿があった。
枯れた声で、ルタはフェリチェに進言する。
今からでも、考え直した方が身のためだ……と――。




