邂逅
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「我が一族の姫が、たいへん不躾な振る舞いをいたしまして、まことに申し訳ございません……」
招き入れられたルタは自己紹介もそこそこに、深く頭を下げた。当のフェリチェはルタの流暢な人族語に驚かされるとともに、そこまで自分の喋りはおかしいのかと困惑気味だ。
磨き上げられた床に身を伏せたのは、謝罪の意を示したかったからか、立ち上がる気力も失ってしまったからか、ルタの顔はどちらともつかない。
「まあまあ、顔を上げて。ギュンター、立たせてあげて」
若々しいが、ゆったりと落ち着いた声がした。
「彼女のその溌剌とした喋り方は寧ろ、元気をもらえるって街でも評判だよ」
若い男の声は少し離れたところから聞こえるが、ルタの背中には大きな手が触れる気配がある。
赤みの強い焦茶の髭を生やした、隻眼の大男が、厳つい姿に反して柔和な笑みで、ルタを支え起こした。
立たされた視線の先に小さな台所があり、かまどと睨めっこしていた黒髪の男が振り返る。
深い緑の瞳はどこか懐っこそうで、学者と聞いてルタが想像していたより、ずっと若く、神経質そうな雰囲気もない。
「遠路はるばる、ようこそルタさん。先の嵐は大変だったね」
肩肘張らない語り口からも、手紙に書かれていた通り、穏やかで、親しみやすい人柄が察せられた。
「俺はイェディェル。後ろにいるのは、ギュンター」
振り返るルタに、大男はゆったりと品のあるお辞儀をした。
「ギュンターは、俺が一番信頼を置いている男だよ」
「あのな、あのな。グンタとイードはな、特別な絆で結ばれてるんだ。ルタとフェリチェと、おんなじだろう?」
フェリチェがにこにこと付け加える。そんな風に言われたら、ルタだっていじらしくなってしまう。直感的に選ばれた言葉に、世辞や嘘の匂いは感じられず、周りが言葉に目を瞑るのも理解できる気がした。
「勝手ながら、あなたがたフェネットの大切なお姫様を、預からせてもらっていたよ」
「いいえ。お嬢様が今日まで、心穏やかに過ごしてこられたのも、ひとえにイェディェル殿のご助力あってこそ。また、その節は窮地に手を差し伸べていただいたとのことで、そばにおれなかった身として、尽くしきれないほど深く感謝しております」
お納めくださいと、ルタはここぞとばかりにアンシア土産を手渡す。
快く受け取ったイードは、珍しい品々に、お世辞ではなく素直に喜びを示した。
「ありがとう。蜂蜜は早速使わせてもらおうかな」
「パンケーキか? パンケーキだな? パンケーキだろう?」
「もうちょっといいものかな。デザートを楽しみに待ってね」
「うむ! ではまずは飯だな! フェリチェがみんなの分を取り分けてもいいか?」
瞳を輝かせて迫るフェリチェを鬱陶しがることもなく、イードはただひたすら温かな微笑みを返す。
そんな光景を、ルタは案外落ち着いて眺めていられることに、己で驚いていた。
* * *
外套を脱いだフェリチェは、パタパタと働き始めた。
「じゃあグンタは、大きいのを運ぶのを手伝ってくれ」
「はい、ただいま」
「ルタは座って待っていろ」
ひとが動いている時に、じっとしていられない性分のルタに、フェリチェは先手を打っておく。
こっちだよ、と家主に勧められた席を辞すのも無粋だ。ルタは弁えて、椅子に腰を下ろした。
数種類のハーブが入った水差しから注いだ、香り豊かな水を差し出して、イードは斜向かいに座る。
「あのね、ルタさん。一つ断っておきたいんだけど」
彼の改まった様子に、ルタは身構える。
「経緯は追々話すとして、俺は普段、彼女をチェリと愛称で呼んでる。フェリチェ? フェリチェさん? フェリチェ姫? どう呼んだものか迷ったんだけどさ。気を付けても不意に出そうだし、取り繕っても仕方ないから、いつも通り呼んでもいいかな?」
「お嬢様が許されているのでしたら、俺から咎めることは何も……」
「そう、それなら気にせず呼ばせてもらうよ。あの子は、あなたがたの宝物だから、ほんの少し一緒にいただけの男に、軽々しく呼ばれるのは気持ちがいいことではないと思ってね。一応の確認はさせてもらったよ」
そう思うなら取り繕えばいいものを、先にできないと告げられていては、ルタもそれ以上何も言いようがない。馬鹿正直さに呆れるような、驚かされるような思いがした。
変わった男だなと思いながら、ルタはイードの顔を改めて確かめようとした。
さりげなく表情を盗み見たつもりだったが、どういうわけか視線がぶつかってしまい、ルタはいつになく焦りを覚える。
慌てて目を逸らすも、イードの深緑の瞳は真っ直ぐルタに向けられたままだ。イードにしたら、いつも通りの観察だが、会ったばかりのルタは戸惑いを隠せない。
「……なにか?」
「本当に同じだ。チェリがルタさんを、どれほどよく見ていたかがわかるね」
何の話かと訝しむルタのそばを、香ばしい香りを漂わせて、フェリチェが行き過ぎた。狭い外套から解放された、優美な尻尾はご機嫌に上向いている。
その尻尾の先にイードの視線が流れたのを、ルタは見逃さなかった。つられて視線を追い、ルタが目にしたのは、蝶のようにひらりと翻るリボンだ。
ルタにとって身近な色――今朝も鏡越しに覗き込んできた夕焼け色が、フェリチェの背中を追いかけるように揺れている。
「お気に入りで、大切なんだって」
ユーバインに来て、ひと月ほどのうちに手にした菓子についていたリボンを、今も大事に巻いているのは、その色が特別だからだと、イードの微笑みは優しい。
「綺麗な色だよね」
思いがけず胸を熱くさせられて、ルタは表情を隠すように、グラスを呷る。頬は瞳より鮮やかな夕映えに染まっていた。




