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ルタに告げる



「そうだ、お嬢様。出来れば今のうちに、今夜の宿を見つけておきたいんですが。どこかいいところ、ありますか? ユーバインの暮らしに慣れているでしょうお嬢様に、ぜひとも案内を頼みたいですねぇ」


 高揚しているのは、ルタも同じで、そんなことを言ってフェリチェをからかう。

 フェリチェは外套の裾を翻し、くるりと振り返って、ルタの隣に肩を並べた。


「それなんだけどね……。イードさんが、ぜひとも家に泊まって欲しいと仰っているの」

「イード? ああ、手紙で仰っていた学者のイェディェル殿、ですか?」

「ええ。……ルタは発音が上手いな。わたくしは、いまだにちゃんとお名前を呼んで差し上げられないのに」


 人混みに紛れるように、ぼそっと呟かれたフェリチェの嘆きに、ルタは首を傾げる。


「こっちのことよ。ええと、それでね? ルタが気を遣って休めないだろうから、別に宿を用意した方がいいとお伝えしたんだけど、どうしても……と聞いてくれなくて」


 出迎えにも来るはずだったのが、朝になって、「今のままでは、もてなしが宿より足りないかもしれない」と言って、まだ調理に励んでいるのだとフェリチェは語って聞かせた。


「それは……随分と気を遣わせてしまったようで。そこまでしていただきながら、お断りしては失礼というものですね。お言葉に甘えさせていただきます」

「いいえ、寧ろルタの方に気を遣わせてしまったわね。ごめんなさい。でも、イードさんの作るお食事は本当に絶品だから、楽しみにしていて!」


 すでに味見を終えたフェリチェは、思い出して頬を落とす。その幸せそうな顔に、ルタは胸が温かくなった。

 手紙からも、フェリチェが彼の料理に絶対的な信頼を置いているのはよくよく承知していたが、こんな顔で書いていたのだな、と感慨深く見つめた。


「イェディェル殿には、お嬢様がお世話になった御礼とご挨拶をと――、フェリクス様からも仰せつかってきたのです」


 嵐で足止めを食らい、隣国に寄港した際に、土産のいくつかは入国審査に引っかかって失ってしまったと、ルタは残念そうだ。


「植物学にも通じている御仁のようですので、いくつかアンシア産の花の種も持ってきていたんです。ヒルダガルデには持ち込めると調べておいただけに、尚更悔しさが増しますよ」


 残ったのは、フェネットの伝統刺繍を施した織物などの工芸品数点と、食品はアンシアレンゲの蜂蜜だけだという。


「蜂蜜……では、イードさんにパンケーキも焼いてもらいましょう! そうそう、前に食べた乾酪(チーズ)と絡めたものも美味だったわ。あれもまた作ってくれるかしら」

「……お嬢様はこの街で過ごす間に、随分と胃袋と舌が成長されたんですね」

「しっ、失礼な! まるで食い意地が張っているような言い方をして!」

「はいはい、反論は涎を拭いてからじゃないと、説得力がありませんよ」

「涎など出ていな……っくもないわね。失礼、わたくしとしたことが……」


 吹き出したら拗ねてしまいそうな頬をしているので、努めて笑うのを我慢して、ルタは話題を逸らした。


「それにしても、イェディェル殿とは随分、気安い関係にあるんですね。さすがにもう、お嬢様も一人で暮らされていることとは思いますが」

「……ん?」

「お話から察するに、今でも行き来があるということですよね」


 それでフェリチェは、肝心なことを伝え忘れていることに、ようやく気付いた。

 故郷に宛てた手紙にはイードのところに居候しているが、いつかは自立する意志がある旨も書き添えてはいたが……。


「……いえ、その……行き来というか、何と言うか……」


 フェネットの姫君が、いまだ異性とひとつ屋根の下で暮らしているなどあろうはずもない、とルタの眼差しはフェリチェへの信頼に満ちている。


「かの方の影響で書かれているという……なんでしたっけ? お嬢様の婿候補の図鑑――というのも、どのようになっているんですか? 手習いの成果も気になりますし、見てみたいところですね」

「……も、もう、その図鑑は書くのをやめた」


 フードの中に隠れるように、フェリチェが視線を合わせなくなったのを、ルタは敏感に感じ取る。


「……書く必要が、なくなったの」


 頬に赤みが差しているのは、化粧でも陽の光のせいでもなさそうだ。

 ルタも、飾り布を整える振りで、少しばかり視線を外した。

 変わったようで変わっていないフェリチェに、いくらか安心していた。しかしそうではないのだと――性懲りも無く胸がざわつく。

 だが、現実を受け止めるに、そんなに時間は要らなかった。ルタにとって何より大切なのは、フェリチェの幸せだ。


 きちんと居住まいを正して、ルタは恭しく頭を下げた。人混みでなかったら、跪いて祝福してやるつもりだ。


「おめでとうございます」

「……ありがとう」

「ぜひ、婿殿にもご挨拶を。滞在中に、紹介していただけますか?」

「あ、あー……その……えっと……。い、いま……向かってる」


 妙に歯切れ悪く、目も合わせないフェリチェに、ルタはいよいよ表情が曇り出す。

 今向かっているのはどこで、誰のお宅で、姫とはどんな関係で……と交錯する情報を繋ぎ合わせたら、ぞっとした。


「まさか……まだ一緒に暮らしてるんですか?」

「うぐっ……。いっ、一度はちゃんと部屋も借りた! 借りた……けど、その……、は、離れがたくて」


 ごにょごにょとしてはいるが、小っ恥ずかしい言葉をルタは聞き逃さなかった。それ以上は黙り込んでしまったフェリチェの顔は、茹で蛸のように真っ赤だ。


 ルタはため息だけはつくまいと、息を整える。だが渋面だけは、わかりやすく作っておいた。


「いいんですよ、それだけ信頼できる御方ということで……めでたいことに変わりありません。ですがね、お嬢様。無防備すぎやしませんか。花香(はながおり)の季節なんて来たら、どうするつもりで……」

「そうね……」

「ご様子からするに、お嬢様はまだのようですが」

「はあ、あの時は大変だった……」


 ますます熱を持つフェリチェの頬からは、湯気さえ立ち昇りそうだ。対してルタの顔色はどんどん青ざめ、渋面すら凍りつく。


「お母様は、花香について教えてくださる前に亡くなってしまったから、あんな風になるなんて知らなかったの」

「……そう、ですか。そうですよね。そうでしょうね」


 ルタは深呼吸して、早口になる。


「で、いつ頃お産まれになるんで? 大丈夫、心配は要りません。フェリクス様なら寛大な御心でお二人を……ああ三人か、いやもしかしたら四人、五人……? 順序はともかくとして、受け入れてくださるでしょうから」

「ん? ……ルタっ、何か思い違いをしているのでなくて!?」

「だって、そうですよね?」


 子孫を残すために、抗いようのない魅惑の香りで番を惹きつけるのが、成人したフェネットに訪れる花香の季節だ。

 意中の男と一緒に暮らしていて、何もなかったとは言えまい……とルタは遠い目をしている。


「あの時はまだ、そんな仲ではなくて! ちょっとおかしなことにはなったけれど」

「なったんですか」

「いや、いや、いや! だけど違くて! イードさんが原因に気付いてくれたので、花香が過ぎるまで気をつけて過ごせたの! だから、お父様に顔向けできないようなことは、致してないわ!」


 それでも尚、ルタの顔は渋い。本当に?、と念を押して確認する気配がある。


「ほ、本当に決まっている! わたくしは嘘が好きではない! したのはキスだけ! それ以上はしていない!」


 逃げるように走り出したフェリチェに、ルタは少し遅れを取りながらも、ついていく。

 やることやってるんじゃないか、とか、何でそれは族長に許されると思ってるんだ、とか……言いたいことは山程あったが、目下ルタが姫に伝えなければならないのは――。


「お嬢様。俺はやっぱり、どこか別に宿を……」


 愛の巣に邪魔するなど、己が身ながらいたたまれない。


「でも、もう着いてしまったわ。ここがイードさんの家よ」


 表通りから少し奥まった所に、小さな平屋があった。フェリチェはノックもなしに、ドアノブに手を掛ける。

 ルタにはそれが地獄の扉が開かれる瞬間に思えて、身が竦んだ。


 もうきっと目も当てられないような、甘ったるい光景を見せつけられるのだ、とルタは目を瞑る。ある程度の覚悟はしてきたものの、結局こんな思いをするのだから、命令に背いていればよかっただなんて思いも脳を掠めた。

 それでも姫に会いたかったのだから、恋情とはどうしようもない。


 ルタにとっての絶望の扉を開きざま、フェリチェは元気な声を上げた。


『おう、いま帰ったぞ! 飯の支度は終わったか?』


 悶々としていたルタだったが、フェリチェの口から飛び出した、出立の日から何の進歩も見られない、威勢だけは良い人族語にすべてが吹き飛んだ。





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