フェリチェの答え
痛みに喘ぐように、震える言葉が滑り出す。
「フェリチェは……イードがわからない……」
イードの声と潮騒と、轟音の奥。一番遠いところから自分の声が聞こえる気がした。
「お前は……、フェリチェのことを……好いているように言っておきながら、そういうことを言う。いったいどういうつもりなんだ……」
「どういう、って? 単純なことだと思うけど……。俺がチェリを想うことと、君を縛ることとは別だろう?」
大らかさはイードの良いところのはずが、今のフェリチェには、豪雨のように胸を打ち据える矢に変わる。
渇ききった彼の執着心の無さが、悲しい。そして少し腹も立った。
「フェリチェは……いやだ」
「何が?」
「お前に、そんな風に言ってほしくない」
自分の声なのに、もう一人の自分が遠くから語りかけてくるようにフェリチェには聞こえた。
「フェリチェなら……言わない」
勝手に口を突いて出る言葉が、心の在処を教えてくれる。
「フェリチェは……、イードが……、フェリチェ以外のメスと番になる姿など、見たくない……。聞かされたくない。花なんて、贈れない……」
運命の恋も、真実の愛もわからない。だが――。
「フェリチェが、他のオスと一緒になっても……、平気でいられるイードなんて見たくないっ」
――まさに今、フェリチェの心を占める感情は、これがそうであってほしいと言っている。
「フェリチェはいつから、こんなに身勝手で、嫌なメスになったんだ……。こんなのっ……お前だって呆れただろう」
嵐にすくんでいた涙が、何か別の熱を持って頬を流れ出した。向かい合ったイードの顔が、少し笑っているように見えるのは、滲んだ視界のせいだろうか。
すべてを吐露した後で、フェリチェは後悔した。
恋情に執着を見せず、相手を縛ろうとしないイードにとって、その逆は煩わしい以外にないはずだ。
イードの心が離れたら、もうこの先は望めない。せっかく繋いだ縁を、自ら瑕にした愚かしさに涙が止まらず、情けない嗚咽が絶え間なく洩れてしまう。
「チェリは、よく泣くなあ」
「うっ……ひっく、き、聞かないでくれ。こんな弱虫、本当のフェリチェじゃないっ。耳を、塞げ……」
「どうやって?」
イードは小さく吹き出した。
「手が足りないのに」
フェリチェの手は尻尾を抱いて、イードの手はそのフェリチェの耳を塞いでいる。では、彼の耳は誰が塞げばいいのだろう。
フェリチェは頑張っているが、すぐには泣き止めそうもない。
「……なら、泣き虫を捕まえてしまおうか」
耳に被さった手に、優しく力が込められるのを、フェリチェは感じた。
明滅する雷に揺れる二つの影が、大きな雷鳴とともに一つに重なる。嗚咽と泣き言が零れていた唇は、息さえ逃がさぬよう、しっかと塞がれた。
手ではない、その柔らかな温もりは――このひと月、忘れようもなくそばにあった記憶と寸分違わない。
一度目の口づけは、驚きと恥ずかしさしかなかった。
二度目の今も同じ感情を抱きながらも、フェリチェがイードを蹴り飛ばすことはない。音もなく閉じられたフェリチェの瞳から、光る涙が一粒、頬を伝った。
知らず知らず、尾を放した手は、引き寄せるようにイードの袖を掴む。
すると耳を塞いだ潮騒が引き、フェリチェは再び嵐の中に放り出された。しかし、惑うことはない。
吹き荒ぶ風から守るように、そっと回された腕に身を委ねれば、互いの鼓動と息づかいだけが耳に心地よく、あれほどの恐れはどこかに消えてしまった。
重ねた唇が離れてなお、鼻先の触れる距離に引き留めるが如く、フェリチェもイードの背に手を沿わせた。
「いま……イードを見ているフェリチェの目は、キラキラ……か?」
「綺麗だよ、今までで一番。翠玉の中に、星が瞬いているみたいだ」
お調子者の男なら、いいように信じ込ませるために、その言葉を使っただろう。だがイードにその手の心配は要らない。
「……本当に、いいのか……フェリチェで。フェリチェは、イードには重たいぞ……」
「待ってね。大切なことだから、君に正しく伝わるように……」
舌の上で言葉と音を確かめてから、イードはアンシアの響きを奏でた。
『チェリだから、惹かれるんだ。俺はチェリがいい』
甘い言葉を交わせる喜びに、新しい涙を流して、今度はフェリチェの方から唇で応える。
「……フェリチェは、明日もここにいるっ……。イードと、ずっと一緒にいたい」
「そう。じゃあ俺も、前言を撤回するよ」
抱きしめられた体が、ふわりと柔らかな毛布に沈む。折り重なるように寝台に横たわり、イードは真摯な眼差しでフェリチェの瞳を覗き込んでいる。
薄闇に溶ける輪郭を、確かめるように撫でれば、絡め取られた指先に口づけを落とされた。
「これからも、君を研究させて。フェネットの……ではなく、俺だけのフェリチェの図鑑を作るために」
髪も、耳も、瞳も、唇も……心も、まだ未知の何もかもを目に焼き付け、記憶に記す――。ともにいて起きる化学反応を、一生かけて見つめていきたいと、ささやかで壮大な夢をイードは語った。
フェリチェは恥じらいながら、泣き笑いで頷いた。




