この記憶はどんな記憶
それなら、フェリチェに色魔呼ばわりされた男の軽率な振る舞いのノリも、わからないでもないイードだ。
おまけに、フェリチェが想定の数段上を行く純情な娘ということも再確認できたので、額くらいで……とは言わない。
「でも、今日の君の口ぶりじゃあ、どう考えたって口にされたものだと思うけど」
「あ、あんな恥知らずなオスと、口と口でキスだと? そんなことになっていたなら、フェリチェは舌を噛んで去ぬ!」
「そう。じゃあ俺は?」
「う……む?」
ずいと身を寄せて、イードは小首を傾げる。
「俺となら、いいの?」
「い……、い……いいわけあるか! どうしてくれるっ……。返せ、フェリチェの初めて!」
「返せって言われてもなあ。とりあえず、もう一度したら、返したことになるかな?」
「なるか、馬鹿者!」
フェリチェは一分の隙も見せぬよう毛布をすっぽり被り、さながら甲羅に籠る亀のようだ。
「最低だ! フェリチェの記憶は、上書きどころか、新たに唇を奪われた記憶にすり替わってしまったではないか!」
「じゃあ、どうする? 一応おでこにもしておく?」
「何でそうなる!」
亀は甲羅から、不信の目だけ覗かせてぼそぼそと語る。
「イードがフェリチェを、どう思っていようと……。お前のようなオス……、大切な図鑑に載せてなどやるものか。お前は――変だ。一緒にいると、フェリチェも変になる……。きっと、フェリチェには毒なんだ」
ああ、そう――と。
いつもの素っ気ない相槌を打つイードだが、言葉のわりに声音は穏やかで、どこか嬉しそうでもあった。
「でもドクイモって、美味いよね。チェリも好きになっただろう? 研究してみないと分からないことって、たくさんあるよね」
イードは己の存在を知らしめるように、毛布をちらりとめくる。
「だっ、黙れっ。覗くなっ。あっち行けぇ!」
「ここ、俺の部屋なんだけど」
「……うっ。そ、そうだった。すまない……、フェリチェが出て行くっ。出て行くから、ついてくるなよ!」
律儀なことに寝台の上をきちんと調えて、フェリチェは扉に向かった。その背に、ひたすらのんびりとした声が掛かる。
「眠れそう?」
「眠れると思うかっ? 明日の仕事に影響が出たら、貴様のせいだからな!」
入ってきた時と同様にけたたましく扉を鳴かせ、フェリチェは自室へ駆け戻った。
* * *
布団に潜り込んで、ぎゅっと目を瞑るが、案の定眠気などやってこようはずもない。
ほんのちょっと触れただけの唇の感触が蘇っては悶絶する……を、幾度となく繰り返すのは昼間と同じなのに、どういうわけか今度は背筋ではなく胸がざわついた。
(……違う、違う。イードさんなんて……ちっとも、なんとも……)
真実の愛は、もっと甘美で情緒的であるべきなのだ。なのに、イードときたら……情緒も順序もあったものではなくて、フェリチェはいつも、うっとりするどころかびっくりさせられてばかりだ。
(そ、そうよ。この胸の昂りは戸惑い……。恋慕などではありませんのよ!)
厚みの増した花婿図鑑を抱いて、フェリチェは自分に言い聞かせる。
結局、一睡もできぬまま朝を迎えたのだが、夜中にフェリチェの頭突きの音が響くことは一度もなかった。




