表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花婿図鑑〜もふもふ姫が真実の愛を掴むまでの研究記録〜  作者: もちもちしっぽ
六章 ブラックリストのオス/記憶の研究
32/53

嫌な記憶


 フェリチェが今すぐ忘れてしまいたいと思うのも、単に色魔によるキスの記憶だけではなく、レナードとの思い出も同等に絡んでいるようだった。そこに共通するのは、爽やかに漂うコロンの香りだ。


「香りは記憶に留まりやすいからなあ。この二つは、頭の同じ場所で処理されているんじゃないかと思えるくらいには、密接な関係だ」

「どうしたらいい……。これまでは、あの匂いを嗅ぐ度にレナードを思い出して、尻尾がしゅんとしたりしたものだが。これからはそこに、悔しいキスまで加わるのか……フェリチェは立ち直れそうにないぞ」


 絶望に打ちひしがれるフェリチェを安心させるように、イードは別の問いかけをした。


「その香りがした時に、なにか楽しいことはなかった?」


 フェリチェは、すっかり苦手になってしまったコロンの香りを思い起こしながら、記憶を呼び覚ましていく。

 レナードを想っていた時には楽しかったはずの思い出も、今ではすっかり黒く塗りつぶされているので、なかなかの苦行だ。

 だがふと、匂いの中にアンシアの風を感じて、フェリチェは、ふふふと小さく笑みを零した。


「思えば……、いつもルタがそばにいてくれた」


 萎れた尻尾が顔を上げると、夕焼け色のリボンが上機嫌で翻る。


「ルタはきっとあの時も、困った姫だと思いながら見ていたんだろうな」


 フェリチェは、はにかんだ。自嘲しているようでも、その顔に悲嘆に暮れる色はない。

 それで蓋が開いたか、幸福感が堰を切ったように溢れ出した。アンシアでの思い出から、今日の披露宴で食べたロロ特製ウェディングケーキ、花嫁お手製ブーケの色、香り――。それらが、しょっぱい記憶をフェリチェの頭から締め出していく。


「よし、いいね。いまチェリを笑顔にしている光景を、香りと想起できるように練習するんだよ」

「わかった。やってみる」


 肩に残った微かな香りに神経を研ぎ澄ませ、フェリチェは目を閉じた。

 どうしたって最初に思い出されるのはレナードだ。それから……おぞましい感触が蘇って、肌がざわつき背筋が震える。

 そこでフェリチェは尻尾を握った。手の中にリボンの感触を確かめ、ルタを思い出す。すると少しずつ、鳥肌がおさまって気持ちが穏やかになってきた。


 これなら案外すぐに忘れられるかもしれない、と得意になっていると、傍らで何やらごそごそやっていたイードが手巾(ハンカチ)を振った。

 柔らかで清潔感のある石鹸の香りが、フェリチェの鼻先に漂う。途端に、フェリチェは早朝の陽射しを浴びたような爽快感を覚えた。

 洗い立ての洗濯物を干した時の、すっきりとした気分を思い出して、表情も晴れやかだ。


「いい調子だね」


 イードが無作為に選んで煽る香りと、肩の残り香を交互に嗅いで、フェリチェの訓練は順調に進んだ。

 ところが、何番目かにイードが差し出した試香紙(ムエット)を前に、フェリチェは突然ソファから崩れ落ち、床に頭を叩きつけた。


「無理だ……。想像や残り香ではなんとか誤魔化せても、そんなに直接的に嗅いだら、冷静でいられない……」

「ああ、これが()()なんだ」


 イードは試香紙に含ませるのに手にした、小ぶりな香水瓶を見やる。

 若い男性の間で流行っているということで、イードも試しに買ってはみたものの、常用することはなく棚に眠らせていたものだ。


 滞留する香りから逃げるように、フェリチェの頭突きは止まらない。

 このままだと、フェリチェがコブダイになってしまいそうだと危ぶんだイードは、窓から身を乗り出すと、表の不用品入れに香水瓶を放った。

 そのまま窓も開け放して、空気を入れ換える。試香紙は厚紙で厳重に包んで、屑入れの奥底に押し込んだ。匂いが移っていそうな手も、念入りに洗った。

 そこまでしてようやく、イードはフェリチェを助け起こしに向かえた。

 真っ赤な額をさすりながら、フェリチェは半べそだ。


「もう嫌だ、練習すら苦痛だ……。どうしたらいい」

「あとは……、そうだなあ。同じ体験を改めてしてみるとか」

「どういうことだ?」

「起きたことは、どうしようもないからさ。失敗してしまったチェリの理想の口づけ? ……っていうのを、次こそは実現させて、成功体験で記憶を書き換えるんだ」

「……おい、馬鹿を言うな。誰としろと?」


 このところは花婿候補の男について、フェリチェは図鑑に記すのみで、特定の誰かに熱を上げている様子はない。

 イードは当然それを承知で提案している。


「カミュさんに頼んだらいいじゃない」

「愚か者っ。カミュとは、男女の垣根を超えた友だぞ。そんなことできるか。あっ、このぉ……いま笑っただろう! からかったな!」


 はてと首を傾げて手拭いをもう一度交換すると、イードはキッチンに戻った。


「まあ要は、早くお婿さんを見つけることだね。そうしたら、つまらない男のことなんて忘れられるからさ」


 中途半端にしていた甘藷の裏漉しを再開しながら、むくれたフェリチェにありがたい助言をくれてやる。


「……他人事だと思って、簡単に言いおって。まったく、憎たらしい奴め!」


 腹が立ったフェリチェは、もやもやした感情をどこかにぶつけないとやっていられなかった。しかし、さすがにもう額は耐久力の限界だ。

 そこでイードからふかした芋を奪うと、力任せに……そして大量に、裏漉しを作った。

 イードの想定した倍の裏漉しが出来上がる頃、フェリチェの赤く腫れた額には、うっすらと汗が滲んでいた。


「気は済んだ?」

「……うむ、そこそこだ」


 そんな気のない返事をしてはいるが、それなりに気は紛れた。

 そのうえ、夕食後にはスイートポテトとほくほくした変わり種のプリンが出てきたので、フェリチェは目に見えて上機嫌になった。


 その晩、とても素直なフェリチェは、嫌なことなんてけろっと忘れて、にこにこ顔で布団に入った。


「ふう、今夜はいい夢が見られそうだ!」


 フェリチェはそっと目を閉じる。

 一日の終わり……眠りにつくための、まじない的な習慣として、その日の出来事を振り返る者は一定数存在する――とイードの研究でも明らかになっているのだが。フェリチェもそのうちの一人であった。


 つまり、フェリチェの目蓋の裏にはいま、今日の出来事が鮮明に思い起こされている……ということだ。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ