調子が狂う
「おそらく、繁殖期のフェネットから発せられる香りに、催淫効果があるんだ」
窓という窓を開けて換気しつつ、さらなる用心のため、新しい布で鼻と口を覆う。
「より繁殖率を上げるために備わった性質なんだろうけれど、実によく出来てるよ。これでは、巣篭もりが必要なはずだ」
発情期の間は、フェリチェを隔離するより他あるまいとイードは結論する。
「……イードがおかしくなったのも、そのせいだと言うのか?」
フェリチェがじっとりと睨みつけると、イードは少しばかり首を傾げた。
「なんて答えるべきかな。そうだ……って言っても言い訳にしかならないし、君を魅力的だと思っているのは、なにも今日に限ったことじゃないからなあ」
「んっ!?」
「どうかした?」
「……お前、フェリチェのこと……」
好きなのか?
どう思ってる?
……と、直球で尋ねるのは照れ臭くて、言葉が続かない。
ならば、フェネットの香りに魅せられた、イードの世迷言から探りを入れてみようと、フェリチェはカマをかけてみた。
「あ、愛してるって言ったのは……何だったんだ?」
「ああ、あれは……」
イードの次の言葉を待つだけで、なぜ鼓動が速くなるのか……。その理由も彼の答え次第でわかるような気がして、フェリチェは不安と期待がごっちゃになった緊張感で、まともに息さえできない。
「昔に流行ったアンシア歌劇の一幕で、そんな台詞があったなあって思い出してさ。使い方と意味は間違ってなかったよね?」
「……歌劇の台詞」
「アンシア語の愛の言葉は、それくらいしか知らないからさあ」
「そう、か……」
ほっと撫で下ろした胸のどこかで、がっかりしている自分がいるのに気付いて、フェリチェは大きく頭を振った。やはり自分の匂いとやらは分からないが、少なからずおかしくなっているのだと、血迷った考えを締め出した。
イードは、換気が十分にされたことを確かめると、まだ日は高いが、閉ざした窓に帳を下ろしていく。
それからフェリチェに向き直り、誰が尋ねてきても居留守を使うことをよくよく言い聞かせてから、玄関に向かった。
「ちょっとギュンターに会ってくるから」
「待て。……帰って、くるか?」
「そのつもりだけど……ああ、ごめん。君は嫌か。襲われそうになった男と夜を過ごすなんて、不安だよな」
フェリチェは、小さく……だが確かに、否定したくて首を振る。
「違う。不安がないわけではないが、こんな時に一人はもっと不安だ……。フェリチェは、今も匂ってるんだろう?」
「そうだね」
「戸締まりしたって、怖いものは怖いぞ……。一人にしないでくれ」
「チェリ……。わかった、君が許してくれるなら、暗くなる前に帰ってくるって、約束するよ」
閉まる扉で見えなくなる背中に向かって、フェリチェは声を掛けた。
「そう言って、この髪がもとに戻るまで帰ってこないなんてのは、なしだぞ!」
「心配いらないよ。俺がチェリに嘘をついたことなんて、ないだろう?」
それは間違いなくそうだと、フェリチェも自信を持って頷けた。
やがて扉が閉まり切ると、表から鍵が掛かる音がして、イードが走り出す音も遠ざかっていった。
※ ※ ※
表通りの人混みに紛れ込んで、ギュンターの姿を探しながら、イードは道行く人々の言葉に耳を澄ました。
公用語の人族語が最も多く飛び交うが、多種多様な言語、地方特有の訛りが時折り聞こえてくる。
その中にはアンシア語もあって、気になって目をやれば、休憩中と見られる水夫の姿があった。酔っ払っているのか、上機嫌に歌なんか口ずさんでいる。一昔前に流行った舞台の歌だ。
「参ったなあ。嘘ついちゃったよ」
男が奏でる甘い愛の囁きに、イードは苦笑を否めない。
「一度しか観たことがない芝居の台詞なんて、覚えてるわけないんだよな」
いつかフェリチェに知られる日が来ないことを願いながら、イードはひといきれに身を潜める。ギュンターのところへ急がなくてはならないが、少しだけ無心になっていたい気もしたのだ。
何とも驚きに満ちた一日だったと、深い息をつく彼の口許には、言葉に反して、穏やかな笑みがたたえられていた。
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次回は
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