胸を打つ
「ギュンターは心配性だからああ言うけど、素性を知られたところで、証明する手立てもないしさ。だから最初に言った通り、見られたって何も問題はないんだ。ね? チェリが気に病むことはないんだよ、顔を上げて」
日記帳から視線を上げたフェリチェの瞳から、ぽろりと涙が零れた。大粒の涙がとめどなく溢れる大きな瞳は、澄み切った翠玉のようだ。
突然の涙を前に、イードの顔には珍しく困惑の色が浮かぶ。
「何で、チェリが泣くの」
「だっ……だって、お前……。身内に命を狙われて……、死んだことになってるって……。そんなこと、許せるのか」
「許すも何も、それが俺の生まれついたところだったんだから、仕方ないよね。寧ろ、今はこうして気楽に生きていられるしさ。案外悪くないと思わない? 毒を盛られたおかげで、研究って趣味もできて、不自由なく暮らしていけるくらいには、実益も伴ってるし」
「そういう話をしているんじゃないっ」
フェリチェが豊かな髪を振り乱すと、不思議と甘酸っぱい香りが辺りに漂った。
「……いくつだったんだ? ル……ェ……お前は、いくつで死んだんだ」
「十だったかなあ」
その小さな数字を舌の上で転がして、フェリチェは愕然とした。
「十は……まだ子供だ」
「そうだねえ」
「フェリチェが母様を亡くしたのも、十の時だった。世界が終わったかと思った。それくらい悲しかったんだ……。家族がいなくなるというのは、とても悲しいことなんだ」
「そうだよねえ」
相も変わらず、のほほんと相槌を打つだけのイードの胸ぐらを掴み、フェリチェは泣きながら捲し立てた。
「子供なら尚更だ! 子供は宝だ、生きているだけで偉いんだぞ。それなのに、何でお前は身内の争いに巻き込まれて、あまつさえ毒殺などされているんだ!」
「そんなこと言われてもなあ」
「何でだ。何で怒らない。何で受け入れられるんだ。何で、なんで……」
涙で頬を濡らして、フェリチェはイードの胸に拳を叩きつけた。
「どうして、誰もお前の死を悲しまない。なぜ亡骸を一人にできる。お前はまだ子供で……王の子だったんだぞ」
「チェリ、落ち着いて」
「馬鹿者! お前はもっと取り乱せ、何を淡々としている! イードがそんなだから、フェリチェはこうして怒っているんだぞ!」
「……チェリは温かで、素晴らしいひとたちに囲まれてきたんだね」
指に掬った涙の熱さに、イードは遠いアンシアの地を思った。フェリチェを怒らせると分かっていても、自然と笑みが零れてしまう。
「いいんだよ。何度も言うようだけど、俺にはギュンターがいてくれたんだ。それに……今はチェリが、俺の分も怒って泣いてくれてる。ほらね、俺は幸せ者だろう?」
「どこがだっ……。イードの……大馬鹿者っ……ぅっ……えぐっ……ふえぇぇえっ……」
「大丈夫? どこか痛い? それともお腹が空いた?」
「子供扱いするなっ……! グンタはお前にどんな教育をしたんだっ。うっ、うっ……うえええんっ……」
「……よしよし」
イードが本当に不幸な子供だったなら、泣く子のあやし方など知らない。だから心配いらないのだと伝えるように、淡く色づいた髪を撫でる手は、ゆったりと優しかった。




