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大人のメスだぞ


 起床とともに、フェリチェは己の身に起きた異変にすぐさま気付き、嬉しいような恥ずかしいようなむず痒さを覚えた。

 そっと扉を開いて居間を覗くと、イードはいつものように台所に立って、朝食の準備に勤しんでいる。


「おはよう、イード……」


 おずおずと、体半分を部屋に残してフェリチェは声をかけた。


「おはよう、チェ……リ?」


 いつもと変わらない挨拶。いつもと変わらない朝のつもりで顔を上げたイードは、呆然とフェリチェを見つめた。


 冴え冴えと輝く白銀の被毛が、ふわりと柔らかな桜色に染まっている。耳の先から尻尾の先まで、すっかり色が変わって、印象を異にしていた。

 さすがのイードもあまりに驚いてしまったため、フライパンに敷かれたベーコンから燻った煙が立ち始めた。


「おっと、いけない……」


 皿に移しながら、イードはもう一度フェリチェの様変わりを、矯めつ眇めつして確かめる。


「どうしたの、それ」

「あのな、えっとだな……」


 毛並みを整えるように髪と尻尾を撫でて、フェリチェはもじもじした。


「フェリチェもようやく、本当に大人の仲間入りだ。発情期が来たらしい」

「え、なにそれ詳しく」


 手帳片手に瞳を輝かせるイードに、何かしらの危険を察知したフェリチェは、扉の陰に引っ込み直した。


「寄るな! こうなったらメスは、ほぼ確実に子を孕む。発情期が終わるまで、フェリチェはしばらく外出しない。不用意にオスと接触しないためだ、まだ番も決まっていないからな。お前ともだぞ、イード。極力接触は控えてくれ」

「ええ、何だか釈然としないけど……。ごはんはどうするの?」


 きい……と遠慮がちな音を立てて、扉が再度開く。

 薄桃色の耳を覗かせて、フェリチェは少し早口だ。


「め、飯は出来立てが美味いからな。部屋に都度運ばせるのも申し訳ないし、その時だけは一緒にいてやってもいいぞ。いいか? フェリチェは決して飯に釣られたわけじゃなく、食材と料理人に敬意を払ってだな」

「じゃあ早速だけど……朝ごはんだよー」


 燻したベーコンと、蒸した根菜の香りに誘われて、フェリチェの体は巣から躍り出た。

 心はいざ知らず、胃袋だけはすっかりイードのものだ。



 * * *



 食後の果物まで剥いてもらって、フェリチェの頬は艶々と満足げに輝く。

 イードは本棚の前で、獣人に関する研究書をめくってはしまってを繰り返していた。


「……フェネットの被毛が変色するなんて記述は、どこにもないなぁ」

「そうだろうな。発情期のフェネットは巣に籠もり、番以外に姿を晒さないものだ」


 年に数回のその期間にしか繁殖できないため、子を望む夫婦にはたいへん大切な数日間となる。逆に番のいない、フェリチェのように独り身のフェネットの女は、望まぬ妊娠を避けるために巣篭もりの必要があった。


「フェネットの生殖機能は、猫に近い……と。被毛以外に、体に変化は?」

「特にないな。……ああ、いや。ちょっと、おかしな感じはする。むず痒いというか、うずうずして落ち着かない……ううぅむ、だめだ!」


 意識した途端に、そのむずむずは顕著になって、フェリチェはぶるりと身を震わせた。居ても立っても居られなくなり、片付けもそこそこに部屋へと駆け込む。


「大丈夫?」

「ああ、心配いらない。一人でどうとでもできる。ちょっと変な声が洩れたり騒がしくするかもしれないが、気にしないでくれ」

「気にしないで……って」


 閉ざされた扉を見やり、イードは何とも言えずそわそわとした気持ちを誤魔化すように、頬をかいた。


 発情期の獣……と聞いて、ごく一般的に人族が思い浮かべる印象は――。

 己の魅力を最大限に見せつけるために毛艶を良くしたり、種特有の求愛行動を取ったりなどが挙げられる。中には艶めかしい声で鳴いたり、肢体をくねらせ、見るからに「辛抱たまりません。好きにしてください」状態の個体もいたりするくらいだ。

 イードが扉の向こうに想像するフェリチェの姿がそうであっても、無理はない。


「俺がいたらチェリこそ気になるんじゃないのかな……。冒険者ギルドに頼まれていた毒草手引きも納めにいかなくちゃいけないし……ちょっと出かけてくるか」


 朝食を片し終えると、イードはそっと家を出た。



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