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温かな手


「フェリチェはな、この手がずっと恥ずかしかったんだ」


 もう片方の手もイードに揉みほぐされながら、フェリチェはずっと秘めてきた悩みを打ち明けた。


「父様と母様は、里でも一番のおしどり夫婦だったんだ。その子供のフェリチェは当然、強い子のはずなんだ。現に兄様も弟たちも、病気一つせず屈強なフェネットとして将来を期待されている。なのにフェリチェは、こんな爪で……。フェリチェのせいで、父様たちの愛まで疑われてしまうのではないかと思うと申し訳なくて、誰にも言えなかったんだ」

「そう。フェネットの伝承が希望であるとともに、君を悩ませてもいたんだね。それならさ、夫婦仲の悪いフェネットの子はどうなるの?」


 フェリチェは尻尾の先を見つめ、少し言い淀んだ。


「弱いと言われて、使用人以上の身分にはつけない」

「ああ、子の将来に関わるんじゃあ、番選びも大変だ」

「だがなっ、フェリチェはそれだけじゃないとも思うぞっ」


 慌てて弁明するのは、伝承がすべてでないことをフェリチェが身をもって知っているからだ。


「ル……フェリチェの知ってる使用人はな、母親が出ていってしまって、男手一つで育てられたんだ。だが、ちっとも弱くないぞ! ル……あいつ自身、努力を惜しまないやつだし、何よりおじさんがな、母親がいない分たくさんの愛情をかけて育てたんだ。フェリチェはそれが大きいと思ってる」

「うん、それは一理ある。親子の良好な関係は、互いの心身の安定と免疫力を高めるとも言われているからね」


 ふとイードはあらぬ方に視線をやって、ぽつりと呟いた。


「と、なると……俺はあらゆる観点から最弱の子供だ」

「どういう……」

「両親は家同士の取り決めで結ばれただけの、冷え切った仲。子育ては他人任せで、親子の触れ合いはほとんど記憶にない。つまり俺は最弱だね」


 フェリチェは身を乗り出して訴える。


「違うぞ、イード! フェリチェはそんなつもりで言ったんじゃ……」

「わかってるよ。だから、そんなに悲しい顔をしなくていいんだよ。俺も別に自分を卑下したり、フェネットの文化にケチをつけたいわけじゃないんだ。ほら、俺にはギュンターがいたしさ。――はい、終わり」


 お手入れを終えたフェリチェの爪は、オイルで艶が出ただけでなく、マッサージされたことでぽかぽかと温まり、血色も良くなっていた。


「チャルミ以外に合うものがあるかもしれないから、いろいろ試してみるといいよ」

「おう……、感謝するぞ、イード。……あのな、礼と言ってはなんだが」


 もじもじと体に尻尾を巻きつけていたフェリチェは、意を決して両腕を開く。その姿はさながら、オオワシが翼を開いたかのようだ。

 そして、きょとんとするイードを開いた胸に引き寄せると、翼をそっと閉じた。


「えええ、なになに、どうしたの?」


 抱きしめられる理由がわからず、イードは驚きを露わにする。それでも普通の者より、穏やかなものだ。


「フェリチェは、お前の母様にはなれないが、きょ、今日だけは子供に戻ったつもりで、いっぱい甘えるといい……」

「……ええー。フェリチェには、俺がどういう人間に見えているのかな」


 頼りなげな子供にでも見えているのか、寂しい夜に温もりを分け合う相手もいないような男と思われているのか――。

 いずれにしても、フェリチェにとって自分がオスではないことが可笑しく、イードは吹き出した。


「まあいいや。せっかくだから、フェネットの心音でも聴かせてもらおう」


 イードはくつくつ笑いながら、胸元に耳をぴたりと寄せた。


「おいっ! あまりくっつくな! お前の髪は、ふわふわでくすぐったいっ」

「いけないなあ、可愛い子供を突き放さないでよ」

「くっ……こ、このぉ……」

「……ふふ、君はあったかいね、チェリ」


 子供にしては邪な笑みが、フェリチェの胸元をくすぐる。

 心音に耳をそばだてて、穏やかに目を閉じるイードを見ていたら怒る気も失せた。フェリチェは撫でるように彼の癖のある黒髪に、熱を持った指で櫛を通す。


「……イードが、丁寧に揉み込んでくれたおかげだ。指の先から、体がぽかぽかしてる」

「早く爪が伸びるといいね。そうしたら、今度はカミュさんの望み通りに手を繋げるね」

「カミュと……。だが、もう別れを切り出されている」

「チェリの想いは、言葉一つで切れていいもののようには見えなかったけどね。もう一度、話してみたらいいんじゃない?」



 ※ ※ ※



 就寝前に、フェリチェは自分で指先にオイルを塗りこんで、手のマッサージをした。チャルミのふくよかで、すっきりと爽やかな香りが故郷の風を思い出させる。

 ゆったりした気持ちで寝台に腰を下ろして、艶々とした指先を火明かりにかざす。爪の長さは何も変わっていないが、何だか心がとても軽かった。


 イードの言ったように、カミュとはもう一度話をする必要があると、フェリチェは指先を見つめた。


「真実を話して、謝って、それで……」


 カミュとやり直したいのか、という自問自答にフェリチェは首を傾げた。傾けた視線の先にイードの日記帳がある。


「秘密、か……」


 カミュは本当にフェリチェを好いていたに違いない。恋人の秘密も含めたすべてを共有したがるのも、愛ゆえに生まれる欲望だ。

 だが、フェリチェにはそれがいささか性急すぎた。打ち明けられるようになるまで待っていてくれたなら、カミュとアンシア行きの船に乗ることもできたはずだ。


「明日会ったら、きちんと話して、謝って……。許されるのなら、カミュとはいい友人として、縁は切らずにいられたらいいな」


 デートよりも遥かに緊張して、フェリチェは翌朝珍しく寝坊した。それでも綺麗に髪を整えて、誠意を尽くした身なりで髪切り屋へ出かけた。もちろん、グローブは外していった。


 二人の恋は終わったが、それからは月に一回、フェリチェは髪切り屋に赴いて、カミュの修行に付き合っている──。










✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼


次回

フェリチェの体に大きな変化が訪れ

あれやこれや大変なことに!

大きく二人の関係が動きます♡


✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼

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