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花婿図鑑〜もふもふ姫が真実の愛を掴むまでの研究記録〜  作者: 歩ノ結千鶴
序章 失恋したけどめげるものか! 花婿を狩りにいくぞ!
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初恋


『拝啓。お星様の彼方にお住まいのお母様。

 フェリチェは今日、大人フェネットの仲間入りを果たしました。

 わたくしはこれから、愛しのレナード様を、花婿として迎えに街へ降ります。どうぞお見守りください!』



 木の葉にチャルミの根っこで書いた手紙を、墓前に供えてきたのは今朝のこと。

 期待に胸を膨らませたフェリチェは、フェネット族特有の大きなオオカミ(よう)の耳と、優美な曲線を描く尻尾をピンと立てて山を降りてきた。

 すべては愛しい婚約者に会うために。


(レナード様は爽やかな果実の香りがするの)


 一昨年のオーグの月。山の麓でキャンバスと向き合うレナードに初めて会った時、フェリチェは彼が纏うコロンを、とてもいい匂いだと心に刻んだ。

 彼の甘く蕩けるような笑顔も、鏡以上に鮮やかに描いてくれるフェリチェの似姿も、思い出そうとすれば自然と、その香りがフェネットの敏感な鼻をくすぐった。


 風が運命を運んでくる。フェリチェは匂いを頼りに、街まで来た。

 二ヶ月ぶりに彼に会ったら、迷わずその胸に飛び込むと決めている。

 成人したことを告げたら、彼は喜んでフェリチェを抱き上げてくれるのだ。そして人々に祝福され、二人はフェネットの里へ送り出される……そんな未来を思い描き、頬は野花に負けじと春めいた。



 それなのに――。それなのに、だ。

 現状はどうだ。



 二人を取り囲む人々の顔に、祝福の色はない。おろおろと戸惑いを露わに見守る者、野次馬根性丸出しで楽しそうに爪先立つ者。


 その中心にて、フェリチェは天を仰ぐ。

 白雪のように柔らかな被毛に包まれた耳は力無く垂れ下がり、柳の尾は股の間で寂しげに揺れた。


「レナード様……」


 大きく息を吸って、吐き……フェリチェは努めて平静を取り繕う。すると、里を出た時とはまるで真逆の言葉が、するすると滑り出た。


「わたくしとの結婚のお約束は、本日をもってなかったことに!」


 それが、フェリチェの成人の日に起きた最悪の出来事で、すべての始まりであった。





 ※ ※ ※





「今なんと言ったんだい、フェリチェ? 僕の聞き間違いでなければ、別れてほしい――と?」

「ええ。そうです」

「悲しいよ。愛しい君に突然別れを告げられるなんて……僕の何がいけなかったんだい?」

「何がいけないか、ですって? ご自身の胸にお聞きになって!」


 フェリチェが指差した先、飛び込むはずだった愛しい胸には、すでに先客がいた。

 レナードの胸には、往来を歩くには少しばかり人目を憚る薄着をした、美しい御婦人が両脇にべったりとくっついている。

 彼女らの腰をしっかり抱き寄せているのは、レナードの手に他ならない。


「フェリチェと結婚の約束をしていながら、これはどういうおつもりですの!」

「いいじゃないか、ちょっと息を抜くくらい」

「いいえ、ちっともよくない! 破廉恥! 浮気者! そんな方とは思わなかった。ですので……約束はなかったことに! 当然ですわよね」


 フェリチェが花婿に求める絶対の条件は、浮気をしないこと。これでは温め続けた恋も醒めるというものだ。それで自ら婚約破棄を申し出たのだが――。


「嗚呼っ……なんということだ。僕は本当にフェリチェを愛しく思って、君との結婚生活を楽しみにしていたのに……」


 レナードが大袈裟によろめいて地に伏せるのを、住民はどこか冷めた目で見つめた。

 それもそのはず。この男――街の領主の四男坊にして、女癖の悪さと放蕩自堕落ぶりで悪評高い不良債権なのだ。

 まさかフェネット族の姫君が引っかかってしまうとは……と、フェリチェを見る目にはどこか憐れみが込められている。


「……どうせ僕は領地も貰えない四男坊だし、君のところに婿入りできるなら悠々自適に、のんべんだらりと暮らせると思ったのになぁ」


 耳がいいせいで聞こえてしまった彼の本音(呟き)に、胸の痛みを覚えながらも、フェリチェは萎れた尻尾の毛を逆立てた。

 怒りに身を任せれば、用意していた愛の言葉はたちまち呪いの罵倒に置き換わる。

 フェリチェの口からそれらが滑り出ようとしたその時、レナードが一足先に達者で軽薄な口を開いた。


「はあぁ、恋に敗れた胸の痛みだけでも僕は立ち直れない。その上、このような公衆の面前で婚約破棄とは……なんと不名誉なことか!」


 情婦たちに支え起こされながら、レナードはフェリチェに指を突きつける。


「ああ、胸が痛い、苦しい、張り裂けそうだ。……そ、こ、で、だ! 僕は君に、相応の謝罪と誠意の提示を求める!」

「誠意?」

「フェネットの髪は、市場では一級品。姫の髪の一房でもいただければ、数ヶ月は遊んで暮らせる……ああいや! 傷ついた心の治療を受けられる! どうだい、フェリチェ。心の広い僕が、君の無礼を髪の一房で許してやろうと言うんだ。安いものだろう?」


 レナードは腰に穿いた剣を抜いて、フェリチェの足元に放った。

 刀身が春の陽射しを弾く。使い手の腐った性根に似つかわしくない、丹念に鍛えられた鋼は眩かった。



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