守銭奴シルバ
アリア視点
「ドラゴンは、私がなんとかするわ。皆一応、避難の準備をしておいて」
「なんとかするって…」
「大丈夫よ、みんなのことは私が守るわ」
シャンレイさんは、そう言って村の門へと向かいます。
その時のシャンレイさんの表情…。私は、あの表情を見たことがあります。
あれは…、命を捨てでも、何かを守ろうとする人の、覚悟の表情…。
シャンレイさんは、きっと死ぬつもりです。
ドラゴンはシャンレイさんを敵として追ってきている。敵を殺せば、ドラゴンは縄張りへと戻る。…つまり、シャンレイさんが、ドラゴンに殺されてしまえば、村にまでは来ない。
きっと、そう考えてシャンレイさんは…。
「キョウカさん、イアさん、サーシャさん、アリアさんも…。この村の人たちのことお願いね…。万が一、ドラゴンがここまで来るようなことがあったら避難させて、護衛してあげてほしい」
「それは構わないが…、シャンレイ殿、あなたはどうするつもりなんだ…?」
「…ホントに、ドラゴンのとこに行くつもりなの…?」
「…ドラゴン、…危険」
「シャンレイさん…」
キョウカさん達は、シャンレイさんのことを心配そうに見る。村の人達も同様に…。きっと、心のどこかで分かっているのでしょう。シャンレイさんの覚悟を…。
「シルバ・フレア」
「…ん?」
「…あなたにもお願いできるかしら?」
「…タダ働きはゴメンだね」
シャンレイさんは、シルバさんの返答を聞いて、少し笑う。
「…こんな時でも、あなたは変わらないわね」
「…本当に、行くのか…?」
「ええ…」
それを、最後にシャンレイさんは視線を切る。
「あなたなら…。…いえ、何でもないわ」
そして、シャンレイさんは、そのまま振り返ることなく森の方へと向かっていった。
村人たちはそれを皮切りに、一斉なざわざわと騒然となる。自分たちがどうするべきか、決めあぐねている。その姿は、まるで、どうしていいか分からず、あちこちに視線を彷徨わせる子供のよう…。
キョウカさん達は、そんな村人たちをどうにか落ち着かせようとするも、あまり効果はない。当の本人達も、本当にこれで良いのか、迷っているからでしょう。
どうしましょう…、このままではシャンレイさんが死んてしまいます。しかし、相手はドラゴン。私ではきっと及びもつきません。
だからといって、このまま何もしないなんて…。
あの日と同じ無力感が、私を飲み込む。
「おい」
「…!…な、なんだ…?」
「そのドラゴン、髭は生えていたのか?」
「髭…?いきなり何を…?」
「どうなんだ?」
「あ、いや…、そのようなものは無かったと思うが…」
「…そうか」
シルバさんは、キョウカさんにそんなことを聞いて、考え込んでいるようでした。ドラゴンの髭が、どうかしたのでしょうか。
いえ、今はそんなことより…!
「シルバさん、どうしましょう?!このままでは、シャンレイさんが…!」
「これが、奴の選んだ選択だ」
「何か他に方法は無いんですか…?!」
「無いな。ドラゴンの執念深さは筋金入りだ。ちょっとやそっとの誤魔化しじゃ、時間稼ぎは出来ても、根本的な解決にはならん。それこそ、ドラゴンを倒さん限りは、な」
「そんな…」
ドラゴンを倒すって、そんなこと…。
「それより、俺たちももう行くぞ」
「い、行くって…」
「リベリタリアに向かう。それが俺たちの目的地だろ。もう冒険者共の無事は分かったんだ、これ以上、ここにとどまる理由はない」
「そんな…、放っておくんですか…!」
「俺には関係ない」
シャンレイさんの言うとおりです。シルバさんはこんな時でも変わりません。自分のしたいように振る舞う。普通は出来ない生き方。
それを為せる根拠は、その圧倒的な強さ。私にも、その強さがあればと、何度思ったことか…。しかし、私にその強さは無い。
…強さ?…もしかして…。
「シルバさん…、あなたならドラゴンを倒せるのでは…?」
かすかな希望を込めて、そう尋ねる。
「………、…さあな」
その返答を聞いて、私はすべきことを見定めた。
「シルバさん!」
私は、シルバさんの顔を見据える。これから、私はずるいことをする。シルバさんと私の立場を逆手に取った、ずるいこと。
けれど、迷いはありません。シルバさんは言ってくれました。俺を使えと。
「すみません!」
「…は?」
先に謝っておく。あなたを利用させてもらうことを。あなたの、その素直じゃない、分かりにくい優しさを。
「私、先に行きます…!」
シルバさんの返答を待たず、私は駆け出す。行き先は、当然、シャンレイさんの元へ。
私に対して、シルバさんからの呼びかけは無かった。
その事実に、私の抱いた小さな希望が、大きくなるのを感じた。
キョウカ視点
自分はどうするべきだ。シャンレイ殿の遺言とも取れる指示を、遂行すべきか…。それとも、シャンレイ殿を止めるべきか…。
自分だけだったなら迷いはなかった。迷わず、シャンレイ殿を止めた。命の恩人をみすみす死なせることなどできない。
あるいは、共に命をかけたのだろう。それだけの恩義が彼女にはある。
しかし、ここにはシャンレイ殿の大切にしていた村人たちがいる。万が一の時の、彼らを守れる存在が必要だ。見捨てることは出来ない。
イアやサーシャに任せて、私だけでも追うことも考えた。
だが、正直なところ相手が強大すぎる。
見上げるほどの巨体。見るだけで伝わってくる頑強さ。強靭な爪や尾、そしてそれを振るう膂力。あたりを焼き尽くす業火。
その圧倒的な姿に、畏怖と恐怖を覚えるのは当然だろう。
そんなものが相手では、私は足手まといにしかならないのではないか…。そんな予感が、私の足をこの場にとどまらせた。
命の恩人を助けたい気持ちはあるが、自身のせいで足を引っ張るなど言語道断だ。
ふと見ると、アリア殿がいない…。一体どこへ…?まさか、シャンレイ殿を追ったのか…?!
アリア殿は戦えるのだろうか。イアを回復魔術で治してくれたことから、全くの無力ということはないのだろうが。
自分よりも年下の少女が、自分よりも先に修羅場へと向かったことに、遅れを取った気分になる。まるで、自らの命欲しさにこの場に残っているような気がして…。
否定したいが、事実そうなのかもしれない。適当な理由をつけて、結局は命が惜しいだけなのではないか…?
自身を信じきれなくなりそうな時、ある村人から声があがった。村の門番、モーン殿だ。
「シルバさん!…だったよな…?あんた、Aランク冒険者なんだろ!?なんとか、シャンレイちゃんを助けられないか…?!」
なんと…!シルバ殿はAランクだったのか…。只者ではないとは思っていたが。
冒険者ランクの上から二つ目。数多の修羅場をくぐり抜け、生き残らなければたどり着けない境地。そこへと至ったものが、こんな近くにいるとは…。
「…んー、まあ、なんとかしてやってもいい」
「おおっ!!」
村人たちから、歓喜の声が上がる。当然だろう、シャンレイ殿が死ぬつもりだというのは、言葉にはしなくともこの場の全員が分かっていたこと。それが覆るかもしれないのだ。
絶望の中に見出された希望。さながらそれは暗雲の中から、光が差し込めるような、そんな心地がした。
「報酬は、100万ゴールドな」
「…な」
だが、その言葉を聞いて、再び暗雲が立ち込める。シルバ殿は何でもないかのように、そんな対価を要求する。
「そ…、そんな額、払えるわけ無いだろう!」
「じゃ、諦めるんだな」
村人たちが要求を突っぱねると、あっさりと見捨てるシルバ殿。なんの未練もなく、さっさと視線を切る。
100万ゴールド、この村が他と比べて多少大きいとはいえ、そんな金額が払えるほど、豊かではないはず。そんなことはシルバ殿も分かっているのだろう。分かった上で、そんな要求を…。
そこで、私は思い出す。拠点としている、リベリタリアで注意するべき冒険者として名が上がっていたものを。その名を…。
「…守銭奴シルバ…?」
「…なんだ、俺を知ってるのか…。当然か、お前らもリベリタリアから来たんだもんな」
守銭奴シルバ。その名を聞いて、怒ることもなく、否定もしなかったことから、おそらく本人なのだろう。
冒険者は高ランクになり有名になると、ギルドへと受注される依頼とは別に、個人を指名しての依頼が入ることがある。
指名依頼と呼ばれるものだ。一応、ギルドの規定で指名依頼を受注していいとされるランクはCランクから。つまりは私達にも受注資格はあるわけだが、Cランク程度では指名依頼など、実際には殆ど無い。
もっぱら指名依頼とは、Sランク、Aランクの冒険者に対してのものがほとんどであり、Bランク冒険者に偶に来ることもある程度なのだ。
そして、指名依頼の特徴は、冒険者と依頼主が顔を合わせて、依頼内容と報酬を決めることになる。一応、ギルドも契約の際に立ち会うが、契約の内容に口を出すことは基本的にない。
契約決定の際、必要なのは依頼主と冒険者の双方の合意。極論、冒険者は無報酬でいいと言い、依頼主がそれを了承すれば、依頼として成り立ってしまうということだ。
逆もまた然り。冒険者が法外な報酬を要求し、依頼主がそれを了承すれば、これもまた依頼として成り立つ。
つまり、守銭奴シルバは上げた例の後者を、頻繁に行う冒険者なのだ。
指名依頼が入れば、その際の報酬は毎回高額。断られることも辞さない。
普通は指名依頼が入れば、よほどのことが無い限り受けておくものだ。例え報酬と依頼内容が多少釣り合わなくとも、依頼を成功させれば、手に入る実績と名声は、ギルドから受ける依頼とは比べ物にならない。
大きな商会に名を覚えてもらえば、貴重な商品を優先的に売ってくれたり、お抱えの冒険者となることもある。貴族に召し抱えて貰えたケースも、実際にあった。
だが、守銭奴シルバは指名依頼で自らの要求を退くことは決して無い。例えそれで相手の機嫌を損ね、依頼されることがなくなったとしても。
そんな態度から、守銭奴シルバと呼ばれるようになったとか。
噂では、今のAランク冒険者という地位も金で買ったとか、相手を脅して無理矢理指名依頼をさせたとか、色々ときな臭い話のある人物だと、リベリタリアに来た時に、冒険者に教わった。
実際にこの目で見るのは初めてだった。
「人の命がかかってるって時にまで、金の要求をするだなんて、本当に守銭奴なんだな!」
「金の亡者め…!」
「人でなし!」
この話を聞いた村人達から、罵詈雑言が飛び交う。ラーナ殿と妹のトリシャちゃんが、複雑そうな顔でシルバさんを見る。
二人にとっては恩人であるシルバ殿、かばいたいのだろうが、その反面、高額な報酬を要求してきたシルバ殿に思うことがあるのか、何も言い出せないでいた。
どれだけの罵声を浴びせられても、シルバ殿は全くの無反応。涼しい顔でそれを聞いていた。徐々に村人達がヒートアップしていく中でシルバ殿がようやく声を上げた。
「俺が守銭奴ってのは否定せんよ。事実だしな。俺にとっては金の方がよほど大事だ」
「…このっ!」
「だがな…、俺だけ悪く言われるのは納得行かねぇな…。人でなしってのはてめぇらもそうだろ、恩知らず」
シルバ殿の言葉に村人達が静まり返る。それを機に、シルバ殿が話し出す。
「お前らだって、シャンレイを止めなかったじゃねぇか」
誰も、声をあげれなかった。
「あいつが何をするつもりか、分かっていたはずだろう?シャンレイが死ぬつもりだと。それを分かっていてなお、お前たちは誰は1人としてあいつを呼び止めなかった」
この場で動いていたのはシルバ殿だけだった。私を含め、他の者たちはまるで時でも止まったかのように動かなかった。動けなかった。
「ドラゴンが村に来たら、この村の奴ら全員の命の危機だ。自分の命欲しさに、あいつに全てを押し付けた。別にここまではいいさ。ドラゴンのことは実際、あいつの自業自得。お前らは巻き込まれただけ」
見たくないものを見せられる、聞きたくないものを聞かされる。
「だが、お前ら全員あいつに恩があるよな?聞いてるぜ、ここの村の発展にはあいつが深く関わっていると。あいつの献身のお陰で、村はここまで豊かになり、害獣や魔獣なんかにも襲われることがほとんど無くなった。お前ら3人も命の危機を救われた」
自覚のない悪事を暴き立てられているような、そんな居心地の悪さ。
「そして、シャンレイはその全てに対し、対価を要求しなかった。お前たちもそれで良しとした。あいつの献身に甘えた。その結果がこれだ。誰もあいつの恩に対してほとんど報いず、それが当然かのように錯覚した。あまつさえ、その恩人を見捨てて、自分たちだけ助かろうとしている始末だ。お前たちも、自ら体を張って魔物やドラゴンから守ってくれたシャンレイに対して、何かしたのか?まだだろ?お前たちが恩を返すつもりだったのかどうかは知らないがな。それでも、お前たちはシャンレイを呼び止めなかったんだ」
ここは、処刑台。その上に立っているような気分だ。
「これを人でなしと言わずなんという。でもま、いいだろ
、別に。さっきも言ったが、対価を要求しなかったのはシャンレイの方だ。いくらお前たちがやってることが人でなしの所業でも、誰も咎めやしないさ。お互いの合意の上、なんだからな。シャンレイを犠牲にした命で、これからも生きていけばいい。次の都合のいい人間でも探してな」
そうして、シルバ殿は村の外へと向かう。
「どこへ行くんですか…?」
辛うじて、ラーナ殿だけが問いかけられた。
「決まってんだろ。リベリタリアに行くんだよ。それ以外に何があるってんだ」
それだけ答え、シルバ殿の足は再び動き出す。
自分達の、無自覚の所業に皆打ちひしがれ、動くことが出来ない。
恩人をみすみす死なせに行かせたこと。誰も止めなかったこと。誰も恩を返そうと思えなかったこと。
自分たちの愚かさに、醜さに、そのことに対する自覚のなさに、ただただ、立ち尽くすばかりだった。
「じゃあな、人でなしの恩知らず共」
何もできないまま、私達は全てを諦めーー
「まって!!」
誰も動けなかった中で、ただ1人動けたもの。
シルバ殿の前に躍り出たその人影は、この場にいるものの中で最も小さなものだった。