第四話「浄罪の炎」(2)
暗転していく景色。
四方八方から、緩慢に飛びかかって来る黒蛇たち。
……誰かが叫んでいる。
「ーーァァアアアッ!!!」
"力"の波動。
それは、筋力でもなく、知力でもなく、魔力でもない、"力"。
"力"は世界の理通り、次なる"力"へと変換される。
誰かが叫んでいる。
叫んでいるのは……僕だ。
「ーーガァァアアアッ!!!」
獣のような咆哮。
音速で辺りに響いた音の波動は、コンマ一秒の時間も要さず、世界の姿を塗り替えた。
蒼炎。
周囲三メートル程、黒蛇の群れ一匹一匹が一様に、青白い炎に包まれる。
黒蛇は瞬時に灰と化し、灰もただちに崩れて消える。
その光景を前に、一瞬、呆気に取られた様子で固まる黒蛇たち。
一呼吸おいて、黒蛇たちは猛スピードで散り散りに逃げ始めた。
「ーーガァァアアアァァッ!!!!」
僕はもう一度、全身全霊の"力"を込めて、叫んだ。
音は逃げる黒蛇たちを容易く追い抜き、無数にいた黒蛇全てに、蒼炎が一気に広がる。
断末魔を上げる暇もなく、滅せられる黒蛇たち。
跡には蒼炎だけが残り、ゆらゆらと、夜闇を青く照らしていた。
僕は重力に引かれて、力なく倒れる。
痙攣する体。
不規則に暴れ乱れる呼吸。
激痛、目眩、倦怠感に耐えながら、僕は浮かぶ疑問を意識した。
今のは……なんだったんだろう?
無意識だった。
何も考えなかった。
気付けば、黒蛇が燃えていた。
不思議な感覚だった。
今まで意識してこなかった肉体の外側、或いは内側の部分を、完璧に動作させたような。
本能か、或いは、"魂"の囁きか。
分からない。
ただ、蒼い炎というのは……かの聖典に出てくる。
【神聖】の、『浄罪の炎』だ。
ドクン!と一回、大きく心臓が脈打った。
同時、体の末端が痺れていく。
また、呼吸が一段と忙しなく、苦しくなっていく。
黒蛇の牙に、神経毒でもあったのかもしれない。
僕は少しでも空気を取り込もうと仰向けになって、それから、リリィの方へ首を傾ける。
リリィも僕も、容体は似たようなもので、このままなら長くは持たないだろうと、素人目にも分かった。
「リリィ……ごめん 」
荒い呼吸で、僕はリリィに謝った。
僕、君を助けられなかった。
せめて、と思って、僕はリリィに魔力を纏った手を伸ばす。
回復魔法の代わりにはならないだろうけど、特別らしい僕の魔力だ。なにか、良いことがあるかもしれない。
僕は片手で、リリィのおでこを撫でた。
脂汗で、少しベタベタしていた。
リリィの容体は、特段良くなったりはしない。
けれど、眉間を険しくしたまま、リリィは小さく笑ってくれた。
僕は、半ば満ち足りた気持ちになって。
ヒュッ!と風切り音。
音のした方向へ目を向けると、上空から黒い燕のような鳥が二匹、高速で飛来してきていた。
黒燕は、それぞれ僕とリリィを狙っている。
回避は、できない。
「燃え、ろッ!」
咄嗟に叫ぶ。
そのおかげか、黒燕は二匹とも、蒼炎に包まれ、体が崩れて消滅した。
僕は燕が飛んできた上空ーー黒龍の絶壁の上を睨む。
月下。
黒龍の遺骸を踏み付け、遥か上方からこちらを見下ろす異形の影。
ソレは、一見虎の姿をしていた。
しかし、虎と言うには、あまりにも歪なその獣。
鎧のような外殻を身に纏い、その鎧の隙間からは、不定形の闇が溢れ出している。
額には、雷のような二本角。
背中には、黒煙がたなびく二本一対の翼。
全身隈なく黒いなか、眼球だけが真紅に染まって妖しく輝く。
どことなく黒龍と似た、闇の巨獣。
ソイツを一目見て、僕はその獣の通り名を察した。
「"魔神獣"……!」
伝説上の怪物。
かつて聖典を読んでイメージした姿と同じ、いや、それ以上に巨大で、強大な姿。
肌の表面がひりつく。
見ているだけで、自分の体が潰れてしまいそうな程のプレッシャーを感じる。
僕は彼の双眸を注視した。
その目には、先の黒蛇たちと同じ、確かな殺意が宿っている。
「グォォォオッ!!!」
"魔神獣"ーー闇虎は、背を反らし月を仰ぐと、一声大きく咆哮した。
鼓膜がビリビリと痺れる。
すると、闇虎が軽やかに、宙へ飛んだ。
そして、黒龍の遺骸を蹴りーー加速。
闇虎は、ほぼ垂直な黒龍の壁を、下へ下へと超速で駆け奔る。
瞬き一回。
闇虎の姿は、壁を三分のニ程も降りたところにあった。
迫り来る"死"。
不味い。
「燃え、ろぉッ!」
叫ぶ。
闇虎が蒼炎に包まれる。
次の瞬間、闇虎の体は、蒼炎をぶち抜いた。
若干の燃えカスが、残像のように闇虎が奔った跡に舞う。
闇虎はもう、すぐ頭上にまで迫ってきている。
回避する時間は、もう……。
咄嗟の判断で、僕はリリィに覆い被さった。
奥歯を強く噛み締め、ギュッと目を瞑る。
僕は自分の体が寸断されるのを覚悟した。
そのとき、僕の胸に、小さな手がそっと触れる。
『law・……fwho、ray!』
甲高くも落ち着いた声がして、僕は目を開く。
僕の体は、不可視の力に吹っ飛ばされていた。
肺を殴られる衝撃に、僕は目を白黒させる。
こちらへ向けられた短い手。
爪を振るう闇虎。
引き裂かれる、小さな体。
僕は背中から地面に着地した。
その衝撃が傷に響いて痛かったが、そんなのはどうでも良かった。
僕の視線は、宙をなぞる。
木っ端のようにぽーんと吹き飛ぶ少女。
広がる蒼炎を飛び越え、一回、二回と地面をバウンドし、何回も地面を転がって、ようやく止まった。
血がーー見たくないーー血が、小さな肉体から流れ出ていく。
「ぁ……」
リリィの顔。
眉を顰め、目をぎゅっと瞑っていた。