第三話「下山(難易度:鬼)」(1)
黒龍に襲われた日から、三日が経った。
正直、限界だ。
何に困っているのかと聞かれれば、もう何もかも困っていると答えたい感じだ。
まず夜が寒い。
リリィと身を寄せ合ってもなお寒い。
竜神山は国境で、更に北へ進むと寒さの厳しい土地が広がっている。
年中雪の降る土地だ。
そんな土地の境目にある竜神山も、雪は降らないなりに寒い。
夜はもう凍えそうな程で、僕もリリィも碌に眠れていない。
次に食料がない。
水はあっても食料がない。
ひもじい。
エルダートレントにまた近づく気はないし、かと言ってそこらに生えてる森の幸を食べるのも賢明じゃない。
毒だったからね。
美味しそうに見えたんだけど。
残念ながら毒だった。
リリィに解毒魔法を掛けて貰えなければ、今頃喉が焼け爛れて死んでいただろう。
ホント死ぬかと思った。
なので、植物はダメだ。おっかなくて食えない。
では獣か魚を食べればどうか。
黒龍が死んだのを察したのか、最近は虫や魚、小さい動物もぼちぼち見る。
ただ、奴等強いのだ。
首を狙ってくる赤毛の兎とか、やたら上半身ムキムキな狼とかいる。
しかも群れで。
丸腰の十二歳が勝てる相手じゃない。
リリィになら、魔物じみた獣共にも勝てるのではと、身振り手振りでお願いしてみた。
首を必死に振って、お断りされた。
戦闘能力は、僕と同じで全くない様子だ。
それなら、黒龍は誰が倒したのか……。
ともかく、お陰でここ最近、水しか口にしていない。
そして道具がない。
地図も、水筒も、毛布もない。
なければ作れば良いわけだけど。
そもそも、一張羅があるだけで、流用できそうな素材もない。
だから、夜の寒さを凌ぐ毛布も作れないし、荷物を運ぶ鞄も作れないし、獲物を|陥《おとしい》れる罠も作れない。
やれることがない。
僕には無理でも、リリィには何かしらサバイバル技術があるやもと、色々渡してみた。
リリィは頷いて、渡した枝に魔法で火をつけてくれた。
焚き火の完成だ。
おかげで火が使える。
うん、結果オーライ。
リリィは割と友好的だ。
意思疎通はうまくできないけど、通じない言葉で良く話しかけてくれるし、よく笑顔を見せる。
君が僕を助けてくれたの? と聞いてみたら、ニッと無邪気な笑顔を返してくれた。
多分意味は通じてない。
リリィは聡い。
五、六歳の女の子というと、もうちょっとあどけなさというか、頼りなさがあると思うのだけど、リリィはしっかりしている。
理性がある感じだ。
眠れない、ご飯も食べられない、そんなストレスのかかる状況で、癇癪ひとつ起こさない。
僕の目の届く範囲から離れないし、なにかとよく助けてくれる。
僕を世話している位のつもりなのかも。
お姉さんぶりたい年頃ってやつだろうか。
もう六歳だもん!みたいな。
もしくは、実年齢が見た目よりずっと高いパターンもある。
実年齢と見た目にギャップのある種族は、割といる。
森人族とか、鉱人族とかがそうだ。
リリィがそういう種族の可能性もある。
見たところ、リリィは旧人族ーーノーマルな人類にしか見えないけどね。
それでも、精神年齢云十歳説は捨てきれない。
成長しない魔法とか、世界のどこかにはありそうなものだ。
でも逆に、年相応な幼い反応を見せることもある。
夜は怖いのか、僕にぴったりくっついて離れようとしなかったり。
美味しいものを食べて目を輝かせたり。
虫が飛び出してきてびっくりしたり。
楽しそうに僕から逃げ回ったり。
魔物が襲ってきて、二人して命からがら逃げ出したり。
最後のは違うか。
ともかく、小さな子供なのだ。リリィは。
見かけも、そして恐らく中身も。
得体の知れない部分はある。
僕の知らない言語に、黒龍を仕留めた疑惑。
魔法。
ふとしたときに感じる異質な雰囲気。
でも、笑った顔は可愛いし、邪気がない。
悪い奴ではないと思う。
僕を利用しようって輩の目は、薄汚く生温いものだ。
だから、リリィは信用できる。
助けたい、この少女を。
やっと僕にも、人のために頑張れるときが来たんだ。
真昼。
太陽が真上にきたのを見て、僕は歩みを止めた。
隣のリリィに話しかける。
「そろそろ休もっか 」
「ん 」
リリィは小さく顎を引いた。
それから、力なく地面に横になって、空を眺めだす。
目が殆ど空いてない。眠そうだ。
僕も木に寄りかかって座る。
喉が渇いた。
川はすぐそこだけど、また立ち上がるのは億劫だった。
「結構歩いたな……」
そう呟きながら、遥か遠くに見える竜神山の山頂を眺める。
僕とリリィは今、竜神山を降りるため、川に沿って下っている。
その場でじっとしていても、飢えて野垂れ死ぬか、獣や魔物に見つかって、食われるだけ。そう考えたからだ。
山を降りれば、魔物もそうそう出ないし、食べ物だって見つかる筈。
今思えば、その考えは甘かった。
空腹も寝不足も、人のパフォーマンスを著しく下げる。
せめて、食料を確保してから動くべきだった。
このままでは、山を降りきる前に、体力が尽き果ててお終いだ。
体が重い。
頭の重さが特につらい。
足枷も重い。
歩いているときなんか、鉄球でもついてるんじゃないかと思うときがある。
日差しも痛い。
僕は肌に色がないせいで、特別太陽に弱い。
普通のひとが麗かな日差し、と思う温かさでも、簡単に火傷してしまう。
肌が突っ張って、表面がひりつく。
どうしてこうも弱いんだ、僕は。
……待て待て、そうネガティブになるな。
ストレス要因が多くて、精神的に参ってるんだよ、ファウスト君よ。
大丈夫だ、大丈夫大丈夫。
どうにかなるし、どうにかする。
よしよし。
視線を地面に落とす。
すると、いつの間に立ったのか、リリィがふらっと歩いてきて、僕の隣に座った。
そして、じっと僕の顔を見つめる。
太陽の宝石みたいな、大きな瞳。
「€# 」
一言。
それだけ喋って、リリィは立ち上がった。
座っている僕より、ほんの少し目線が高い。
僕はリリィの顔を見上げて、ふっと笑った。
「何言ってるか分かんないよ 」
重い体を持ち上げて、立ち上がる。
「喉、渇いたね 」
言いながら、僕は川の方へ歩き出した。
僕の後ろを、リリィがついて来る。
休憩したおかげで、幾分か足が軽かった。