第十話「空を飛ぶ方法」(2)
「行こう、リリィの元へ!!」
「ピキュェーッ!!」
ハヤブサが呼応するように一声鳴いた。
大きな翼が宙を一打ちすると、ビュンと体が射出され、景色が後方へどんどん流れていく。
加速に次ぐ加速。
僕はハヤブサの首元にしがみついて、超速飛行になんとか耐える。
向かう先は、リリィのもと。
受ける強風に、髪が暴れ乱れる。
目を開けるのもやっとの風圧の中、僕はじっと前方を睨み続けた。
目前に迫る竜の檻。
ハヤブサがグンとスピードを上げる。
忙しなく、翼が三度も宙を打つ頃、僕らは純竜たちの間をすり抜けて、竜の檻の中へと侵入した。
「おい!誰か入ってきたぞ!」
そう叫ぶ竜人の声を置き去りに、僕らは純竜が入り乱れる檻の中央へと飛翔する。
降り注ぐ矢の雨。
すぐ脇を掠めていく無数の矢を、ハヤブサは器用に避けて飛んでいく。
僕はハヤブサを信じて、前方だけに注視する。
リリィが見えた。
体のあちこちから、何本も矢が生えている。
今にも事切れてしまいそうな、フラフラとした飛行。
「リリィーーッ!!」
想いを込めて叫ぶ。
僕はハヤブサの端から、目一杯体を引き伸ばし、リリィへ向けて手を伸ばした。
目を凝らす。
視界がクリアになって、空気の流れが克明に映し出される。
まだ遠い。
体勢を崩し、落下していくリリィの体。
宙を掻くように、天に伸ばされる小さな手。
迫る、迫る……。
己の腕を伸ばしーーここ!
振るった左手が、リリィの手首をがっしり掴んだ。
途端、腕にのしかかる少女の重み。
捕まえた。
ハヤブサは、速度を逃がさないよう旋回しながら、僕がリリィの重みに負けないよう、注意深く体を傾けてくれる。
それでも、かかる負荷に腕が引きちぎれそうになりながら、僕はリリィをハヤブサの上に引き上げた。
酷い出血だった。
無数に刺さった矢。
肩から脇腹への深い裂傷。
顔色は白く、表情には生気がない。
リリィの容体を眺めて、僕は歯噛みする。
「止まってくれ、ハヤブサ。竜人たちと話がしたい 」
僕の言葉を聞いて、ハヤブサは飛翔を止め、滞空してくれる。
僕は勢いよく立ち上がった。
「全員!!攻撃を止めてくれ!!話がしたい!!」
僕は精一杯声を張り上げる。
如何にも威厳ありげに、命令に従うのが当然であるかのように。
少しの沈黙。
矢は飛んでこなかった。
「……どういうつもりだ、【神聖】」
一番近くにいた白竜、その頭上に立つイェルガさんが、僕に尋ねてきた。
声は底冷えするほど低く冷たい。
恐ろしい。
息が詰まる。
「ぼっ……っ……!」
落ち着け……慌てるな……大丈夫だ……。
努めて、深呼吸をする。
引き攣った肺に、上手く空気が入ってこない。
今、リリィの味方をしてやれるのは、自分だけだ。
頑張れ……!
しゃっくりみたいな呼吸を終えて、僕は再び口を開く。
「リリィが、竜神殿の命を奪ってしまったこと、まずは謝罪致します……」
「ぁあ……?」
唸るイェルガさん。
「謝って済むかよ。舐めてんのか……?」
「いえ、謝って済むとは思っていません。ですから、贖罪のチャンスをーー」
「贖罪なんざァ!!できやしねェんだよッ!!」
イェルガさんが宙を殴りつける。
怒号とともに、空気が震えた。
凄まじい怒気。
その波動だけで、吹き飛ばされそうになる。
虚しい静寂が響く……。
「……僕がーーッ!」
顎が震える。
凍える喉で息を吸う。
「僕が、竜神を復活させます……!」
僕の発言に、ざわざわと竜騎士たちがどよめく。
イェルガさんはハッキリと眉間に皺を寄せた。
「そんなことが……可能なのか?」
尋ねたのは、アゥスファさん。
僕を挟み打ちするように、白竜が並んだ。
「可能です。僕は……神ですから 」
虚栄を張る。
踏み締め、胸を張り、目に力を込める。
僕の胸元で、星の記憶が揺れている。
「僕なら……【神聖】ならば、竜神でさえも復活させられます。僕以外には、不可能です……そうですよね?」
嘘だ。
確証なんて何もない。
神様を復活させるなんて、果たして可能なのか……。
だけど、それしかない。
それしか、今は許される方法が思いつかない。
……いや、許される方法なんて……。
「僕とリリィは、本当に許されないことをしました……」
風が凪いで、辺りが一瞬無音になる。
「だからこそ、僕らは贖罪をしなくてはなりません。必ず成し遂げます。ですから、どうか、今は矛を収めてください……」
僕は深く頭を下げた。
僕の体に、無数の強い視線が突き刺さる。
大丈夫だろうか、こんな粗末な口八丁で。
みんな納得するんだろうか。
沈黙が場を支配する。
あるのは、羽ばたく翼がブォン……ブォン……と空気を押し出す音だけ。
沈黙を破ったのは、
「……巫山戯るな 」
イェルガさんの気配が変わる。
「要求を言えば通ると思うのか……?この、甘ったれたガキめ……!!」
ドン!とあまりに巨大な殺意が全身に押しつけられる。
肺が潰れていくようだ。
たまらず一歩後ずさる。
イェルガさんの目には、ギラギラとした血色の光が宿っていた。
「全員!弓を構えろ!!」
イェルガさんの号令。
号令に従って、周囲を取り囲む竜騎士たちが、いっせいに弓を引き絞った。
「おい!やめろ!」
アゥスファさんが制止する。
竜騎士たちの中にも、弓を構えずにいたり、隣の者を咎めている人がいる。
しかし、止まらない。
「ーーやれッ!!」
イェルガさんの斉射命令が飛ぶ。
同時、僕は宙を掻くように腕を回して、蒼炎を全方位に噴出させた。
視界が青色に染まる。
「ハヤブサ!」
蒼炎を目眩しに、逃亡のための一瞬を稼ぐ。
ハヤブサは僕に応えて、翼を一打ち。
垂直下へ、己を射出。
瞬間、ハヤブサは竜の檻から飛び出した。
あっという間に空が過ぎ去っていく。
「〜〜〜!!!」
イェルガさんの怒声も遥か後方へ流れていく。
どうにか逃げきれそうだ。
僕は上空を見上げ、バクバクと爆発しそうな心臓を抑える。
「なんで……」
覆い被さった胸の内側で、リリィが呟いた。
「なんで……助けてくれるの……?」
か細い声。
「リリィを……助けたかったから 」
僕は一瞬躊躇って、囁くように返答した。
リリィは、僕の胸を爪でカリ……と少し引っ掻いた。
「私……っ!」
溢れてしまったような、涙声。
反転。
ーー上空に、影。
「ーー逃がすかァァァァッ!!!」
超速でこちらに迫るイェルガさん。
僕は、驚愕に目を見開く。
頭が真っ白になって、切り替えがうまく効かない。
逆光に暗く灯された憎々しげな顔。
全身から殺意を滾らせる白竜騎士。
イェルガさんは両腕を、体の背後へと引き絞って……。
ーー膨れ上がる存在感。
空が丸ごと落ちてくるような、異常な圧迫。
黄金の爪が、太陽光を反射して、僕の目を一瞬眩ました。
引き伸ばされる世界。
爪の初動を目で追う。
避けろ。
避けろ……!!
疾ーーッ。
目の前から、イェルガさんは消えていた。
ーービチャッ!
自分の頬に、何か生温かい液体が付着する。
肩越しに、背後を振り向く。
肩から先、己の左腕が、綺麗に消えていた。
勢いよく迸る、赤い鮮血。
遅れて、赤熱した鉄を押し付けられたような灼熱感が、左肩を襲う。
空中へ撒き散らされる血の雨。
その向こう側に、イェルガさんはいた。
イェルガさんは白目を剥いたまま、重力に引かれて落下していく。
体の表面で踊る、黄金の雷。
ごぽり……と、リリィの口から赤黒い血の塊が溢れた。
「ピェー……」
ハヤブサは体が半分蒸発して、傷口から光の粒子を溢れさせている。
勇猛な一対の翼は、一翼が吹き飛び、飛べる状態ではない。
視界がきりもみ回転する。
遥か上空。
僕たちは、宙に投げ出された。




