第七話「おいでよ!竜神の里!」(2)
階段を登り、道を歩き、階段を登り……と繰り返して、ニ〇分程経った頃、僕たちは"広場"に到着した。
巨大な円形の広場は、三分の一ほどが山肌にめり込んでおり、薄暗い。
しかし、半球状に抉り取られた山肌には、薄水色に光り輝く水晶が埋められていて、広場を淡い光線で照らしている。
広場には、同心円状、かつ、すり鉢状に道が並んでいて、光沢のある石の箱が、道に沿って円形に並んでいる。
間口が広く、表に赤や青、黄色といった革の看板をかけている家が多い。
店屋かなにかだろうか。
家と家の間にある小さな階段を降りて、広場の中心へと向かっていく。
途中、何人かの竜人とすれ違って、アゥスファさんたちと挨拶を交わした。
通りすぎざま、旧人族の僕を見て怪訝な顔をする人が多かったけど、アゥスファさんたちと一緒にいたおかげか、何かを言ってくる人はいなかった。
階段を三つほど降りて。
広場の中心。
そこには、空色に輝く泉があった。
少しの波も立っていない、鏡のような凪いだ水面。
ほんの小さい泉から、巨大な神聖さが溢れ出ている。
見ているだけで、心が洗われそうだ。
僕は広場の中心で、辺りをぐるっと見渡す。
銀白色の箱が並ぶ、円錐形の広場。
空の半分は青く、もう半分は月夜のように薄暗く、星のように水晶が淡く輝いている。
綺麗だ。
「……ここで待ち合わせなのですが 」
辺りを見渡しながら、アゥスファさんはぽつりと呟いた。
それに対し、イェルガさんは小さく舌打ちする。
「峠は越したんだろ? 何やってんだか……」
「あの、どなたか待ってらっしゃるんですか?」
僕はすぐ隣にいたイェルガさんに尋ねる。
眉根を寄せるイェルガさん。
「申し訳ありません、【神聖】殿。少し、馬鹿を待っております 」
馬鹿?
僕が言葉の意味を咀嚼しようとすると。
「おーーい!!」
広場に大きな影が差す。
空を見上げると、上空に白竜が飛んできていた。
白竜の背中から、人影が飛び降りる。
その人物は、30フィートは落下したにも関わらず、スタッと、静かに地面に降り立った。
「ごめん、遅くなった!」
人好きのする笑顔を浮かべる、その竜人族の男性。
両腕には、赤ん坊を抱えた女性が収まっている。
お姫様抱っこだ。
「ウラナゥル……テメェ……!!」
隣のイェルガさんの怒気が膨れ上がった。
心なしか、辺り一帯の温度が上がっていく。
「落ち着け、イェルガ。おい、ウラナゥル。一言……いや、言いたいことは色々あるが、ともかく……ふざけてるのか?」
今にも殴りかかりそうなイェルガさんを手で制しつつ、尋ねるアゥスファさん。
口の端がピクピクしている。
「いや、ふざけてなんかいない!ホラ!生まれたんだよ!俺と!リィンファの!赤ちゃん!ホラ!」
ウラナゥルさんはニッコニコで、腕の中の女性とお包みに包まれた赤ん坊を、竜人二人に見せつけた。
女性ーーリィンファさんは、ウラナゥルさんの腕の中で照れ臭そうにしている。
「……ご出産おめでとうございます 」
僕は場の空気を誤魔化そうと、取り敢えずウラナゥルさんたちを祝った。
「ありがとう!旧人族の君!あ、もしかして君が【神聖】殿かな? 嬉しいなぁ。【神聖】殿に祝ってもらえるなんて、ウチの子はうんと幸せになるぞ!」
ウラナゥルさんは一息にそう語った。
テンションが高い。
明らかに舞い上がってるな。これ。
「幸せなのはテメェの脳みそだッ!!!」
跳躍ーー折り畳まれた膝が瞬時に伸び、イェルガさんの体は水平へ。
足の先を綺麗にウラナゥルさんの顔面へと打ち込んだ。
お手本のようなドロップキック。
吹っ飛ぶウラナゥルさん。
ウラナゥルさんは奥さんと赤ん坊を抱え込むように宙を舞い、一回転して両足で着地した。
だぽん、と両足が泉に浸かる。
「イェルガ! 何すんだ!」
「黙れ!! お前、これから竜神様に謁見するんだぞ!? なに奥さんと赤ん坊連れてきてんだ!?」
「連れてきちゃったもんはしょうがないだろ!!」
「連れてくんなっつってんだよ!!」
大声で喧嘩するイェルガさんと、ウラナゥルさん。
アゥスファさんは呆れ顔だ
「まぁ、折角だ。赤ん坊、白竜泉に浸けてやれ。それも目的だったんだろう?」
「ん?あぁ、そうだった 」
アゥスファさんの提案に、ウラナゥルさんは得心いったような顔をして、リィンファさんを腕から下ろした。
「白竜泉?」
「知りませんか? 白竜泉は、初代【神聖】殿が我ら竜人族のために創ってくださった、神聖な泉です。我らは子供が産まれるとこの泉に浸けて、子供の誕生を祝福するんです 」
「なるほど、そんな文化が 」
「他にも、泉の水には高い治癒効果があるんですよ。良ければ、一瓶どうぞ 」
アゥスファさんは、腰のポーチから空のビンを取り出して、僕に差し出す。
「良いんですか?」
「もちろん。他ならぬ【神聖】殿ですから。誰も文句は言いませんよ 」
そういうものだろうか。
僕は空のビンを受け取ると、泉の傍らに座り、白竜泉にビンを浸けて、泉の水を注いでいく。
隣では、ウラナゥルさんとリィンファさんがふわふわと会話をしながら、赤ん坊の体を泉の水で清めていた。
リィンファさんは、産後直後で大丈夫なんだろうか。
竜人族だし、案外平気なのかもしれない。
ビンの中に泉の水が満ちると、僕はコルク栓でぎゅっと蓋を閉めた。
ビンを光に翳してみると、中の水が白銀色にキラキラ光る。
「こんなゆっくりしていて良いのか? 竜神様をお待たせしているんだぞ?」
「なに、竜神様は永遠を生きるお方だ。少し遅れたくらい屁でもないさ 」
「そういう問題ではない。竜神様が「連れてこい」と仰ったなら、全力で事に当たるのがーー」
「ごめんごめん、分かったよ 」
怒り顔で詰め寄るイェルガさんに、ウラナゥルさんは苦笑して応えた。
ウラナゥルさんは赤ん坊を奥さんに預け、頬にキスをすると、上空でずっと待機していた白竜へ、手をヒラヒラ振って合図を送る。
「じゃあ、行きましょうか 」
空。
白竜がその大きな翼を一打ちするたび、更に高度が上がっていく。
全身に押しつけられる空気の塊は重く、ともすれば空中へ吹っ飛んでしまいそうだ。
けれど、恐怖はなかった。
「ーーぅ、わぁあ……!!」
広い空。
地平線の彼方まで続くこの青色に、自分が浮かんでいるのかと思うと、言い知れぬ爽快感が僕の胸に押し寄せてくる。
耳元を擦る風の音が、なんだか心地良かった。
「スゴイですね!!空を飛ぶっていうのは!!」
「そうですか?」
「ええ!!」
すぐ後ろのアゥスファさんの顔を見上げて、僕は思わず感動を伝える。
アゥスファさんはきょとんとした表情だったけど、そんなこと気にならなかった。
僕は今、白竜の背中に乗って、空を飛んでいる。
白竜の頭にウラナゥルさん、首元にはイェルガさんが座っていて、僕とアゥスファさんは背中のど真ん中だ。
白竜は重さを感じさせないゆったりとした動作で、びゅんびゅん空を上っていく。
竜神山の山頂ーー神域には、階段が繋がっておらず、飛んでいくしかないらしい。
アゥスファさんとイェルガさんの白竜は、昨日の闇虎との戦いで負傷してしまったそうで、急遽、ウラナゥルさんの白竜を借りることにしたそうだ。
「あ……」
僕は上空から地上を見渡していると、とあるものが目に入った。
黒龍の死骸だ。
あまりにも長大な龍の体は、遥か上空からでもハッキリ見える。
あの黒龍の、どこか近くに、リリィが……。
気付けば、僕は昨晩戦いがあった場所を探していた。
崩れた山道、滝壺、鬱蒼と生い茂る森に、流れる川、崖側の滝から、視線を崖に沿って横にスライドさせていく。
ーーあった。あそこだ。
僕は良く良く目を凝らして、その場所を見つめる。
そこにはもう、蒼炎も闇虎もなかった。
ただ樹木が何本か倒れているだけだ。
少女の死体は見えない。
自分の胃がきゅっと縮こまる。
そうして、少しの好奇心を満足させて、視線をどこかへやろうとすると。
ーー少年が立っていた。
黒龍の絶壁の上、まるでそれを道かなにかのように、悠々と歩いている少年。
目を凝らす。
全身を黒地のゆったりとした衣服で包んでおり、体格はハッキリしない。
髪は黒髪をショートに、手入れはされていないのか、ボサボサだ。
ぶらぶらと歩く少年の肩には、栗毛のフェレットが乗っている。
誰だろう。
あんな所に、僕くらいの子がひとりで歩いてるなんて……。
僕がそう疑問に思ったとき。
ーー少年がこちらを向いた。
心臓が跳ねる。
少年の目元は、黒い包帯で覆い隠されていた。
見えない筈の眼窩の先と、僕は確かに目が合った。
「あ、あれ……!」
「はい?」
「あそこに! 人が……あれ?」
アゥスファさんの袖を引っ張り、地上のあそこと指を指す。
僕が再び地上に視線を下ろすと、いつの間にか、少年は消えていた。
「そろそろ到着します!!」
ウラナゥルさんの報告。
浮かんだ謎から、僕は意識を外した。